*てだこ浦西駅の「てだこ」、浦添ようどれの「ようどれ」ってナンジャラホイ?・・・の巻!
今回の旅は行くべきか行かざるべきか、そりゃ出発するまで悩みましたよ。一時は中止することも考えましたけど、出発時点(3月27日)で「不要不急の外出は控えて!」という要請はまだ具体的には出てませんでした。飛行機は「できれば乗らないで!」というインフォメーションはありませんでしたし、いくつかのホテルは「新型肺炎避難特別プラン」等も実施していたんですよね。テレビじゃ「観光客が来なくて困る!」みたいな話もあったので、「濃厚接触を避けつつ行こう!」と判断をしました・・・
※今回の旅行期間は新型肺炎に関する緊急事態宣言が出る前になります。
【空港に行ってから知りましたが、タダ乗り券(マイルで乗るヤツ)だと当日の便変更は不可(以前は当日でも変更OK)になってしまったそうです。しかし、新型肺炎の対応ということで3時間ほど早い便に特別に替えてくれました・・・】
【機内は3割くらいの搭乗ですかね、できるだけ密着しないようにグループ毎に列を割り当てているようです。飲み物のサービスや毛布の貸し出しも感染防止で無し、機内誌も撤去されていました(CAさんに言えば持ってきてもらえます)。テーブルやひじ掛けは持参のアルコールティッシュでフキフキしました・・・】
【那覇空港は北側の進入でずいぶん沖の方を飛んでると思ったら、前日(3月26日)にオープンしたばかりの第2滑走路(RWY18R)への着陸でした。これで自衛隊機のスクランブルとかで待たされることも少なくなりますよね・・・】
【さて、だいぶ早く着いちゃいましたのでどうしましょうか。ゆいれーるが首里駅の先に伸びたというので、終点のてだこ浦西駅の駐車場(パーク&ライド方式で駐車料金が安いらしい)に車を止めに行きましょう・・・】
【てだこ浦西駅の手前をレンタカーで走っていて、いきなりこのラッコ(新しくできる水族館のラッピング?)に追い越されてビックリしました・・・】
【ゆいレールで牧志駅まで戻りまして、国際通りを市場方面へ歩いて行きます。旧沖縄三越前の広場も今までならアジアの観光客の皆さんでごった返していましたが閑散としてます・・・】
【市場アーケードの中の沖縄定食屋さんはいつも大混雑なんですけど、この日はランチ時でもこんな感じ。ゴーヤチャンプルーとイナムルチ(沖縄風豚汁)が美味しかったです・・】
【裏通りのさらに奥にあって見つけにくいお店ですが、地元の人や日本人観光客はボチボチ入ってました・・・】
【市場に行ったら改装中でお休み(新型肺炎とは無関係)、臨時営業している仮設市場に行く途中に氷ぜんざいで一休み・・・】
【「ママに買っていけば?」って笑っている小娘さん、それはどういう意味でしょう・・・】
【ゆいれーるでてだこ浦西駅に戻りましょう。この辺(儀保駅~首里駅間)が最大傾斜の60パーミルだそうです。レールに書いてある数字は傾斜かと思いましたが制限速度表示らしい・・・】
【首里から先(新しく開通した部分)は右に左に上に下にジェットコースターみたいで面白いです・・・】
【てだこ浦西駅のひとつ手前の浦西前田駅で降りて浦添城跡(グスク)へ登ってみましょう。てっぺんのとんがり岩は「為朝岩」と呼ばれていて、伊豆大島でおなじみの源為朝が琉球に渡って王になったという伝説があるそうです・・・】
「浦添警察署前のシーサーにビビっております。小娘さんはたとえローマでグレゴリー・ペックさんに口説かれたとしても、絶対に真実の口に手は入れられません・・・】
【警察署の先のガソリンスタンドを右に曲がって急な坂を登っていくと浦添城があります。登り切った所にクチグヮーガマという洞窟があって、戦時中はこの辺に住んでいた人の避難壕だったそうです。この辺でも多くの人が亡くなったそうです・・・】
【浦添城の斜面には浦添ようどれという王様のお墓があって、駐車場の先の「浦添グスク・ようどれ館」で詳しい説明を聞くことができます。小娘さんの立っているところは自然石のトンネル(沖縄戦で破壊された)があって、太陽が通るとされていたそうです・・・】
【沖縄のお城やお墓にトンネルが多いのは、太陽がトンネルを通って出たり入ったりするという信仰からだそうです。「ようどれ」というのは夕凪の意味ですが、沖縄では転じて墓地の意味なんだそうです・・・】
【漆喰の壁が2つあって、右側が英祖王陵、左側が尚寧王陵だそうです。内部の様子はようどれ館に原寸大ジオラマで再現されていて、実際のようどれを訪れる前にはようどれ館で勉強してくることをオススメします。ただし、説明のおじさんの琉球方言が強くて半分くらいしかわかりませんでした・・・(笑)】
【英祖王は太陽(ティダ)の子と呼ばれていたそうで、てだこ浦西駅の「てだこ(ティダコ)」は英祖王のことなんですね。ちなみにテレビのブラ〇モリでも浦添城を紹介してましたよね。T瓶さんとTモリさんはてだこ浦西駅から歩いて行ったように見せてましたけど、たぶんウソです・・・】
【沖縄戦でようどれの外観は完全に破壊されてしまいましたが(石垣は復元)、埋まってしまった西室と東室は奇跡的に残っていたそうです。周辺には埋葬するときに必要だった工具や埋葬品を作る工房跡(ぴらにあの立っている辺り)なども発掘されたそうです・・・】
【ようどれの上部は浦添グスクになっていて、首里城に移転する前(13~15世紀)に琉球の王が住んでいたと言われています。沖縄戦では激戦地のひとつであり、日本軍には前田高地、米軍にはハクソーリッジと呼ばれて映画にもなっています・・・】
【浦西前田からてだこ浦西はたった1駅ですが、チョチョッと歩けそうな道が見つからないのでゆいれーるに乗って戻ってきました。てだこ浦西駅周辺は開発で空き地が目立ちますが、あと10年もしたら大きな街になっているんでしょうね・・・】
【本日から金武町にある小綺麗なアパートが自宅です、キッチン、洗濯機、ガス乾燥機が完備でございます~。目の前の住宅では米軍の将校ファミリーが買ったばかりのバーベキューセットを組み立てております・・・】
【アパートから国道を渡ると海がありますが、泳ぐにはチョイと雰囲気がありませんよね。一番近いコンビニまで約1Km、一番近いスーパーまで3Kmです。波浮港の旧我が家よりずっと便利ですね・・・】
【ドライブがてらキャンプ・ハンセンのゲート前にあるタコライス屋までやって参りました。いや~、ホント、あまりの店内の雑多ぶりにやってないのかと思いました。そして、安さとあまりの大盛りにビックリしました・・・】
【タコライスという食べ物はキャンプ・ハンセンの近くで米軍相手の食堂をやっていたおじさんの発明だそうです。変動相場制(円高ドル安)になって新兵さん(ドル建てで給料をもらっている)がお腹をすかせて困っているのを見かねて、安くて大盛りにするためにお米ベースの料理を考案したという・・・】
今回の旅は行くべきか行かざるべきか、そりゃ出発するまで悩みましたよ。一時は中止することも考えましたけど、出発時点(3月27日)で「不要不急の外出は控えて!」という要請はまだ具体的には出てませんでした。飛行機は「できれば乗らないで!」というインフォメーションはありませんでしたし、いくつかのホテルは「新型肺炎避難特別プラン」等も実施していたんですよね。テレビじゃ「観光客が来なくて困る!」みたいな話もあったので、「濃厚接触を避けつつ行こう!」と判断をしました・・・
※今回の旅行期間は新型肺炎に関する緊急事態宣言が出る前になります。
【空港に行ってから知りましたが、タダ乗り券(マイルで乗るヤツ)だと当日の便変更は不可(以前は当日でも変更OK)になってしまったそうです。しかし、新型肺炎の対応ということで3時間ほど早い便に特別に替えてくれました・・・】
【機内は3割くらいの搭乗ですかね、できるだけ密着しないようにグループ毎に列を割り当てているようです。飲み物のサービスや毛布の貸し出しも感染防止で無し、機内誌も撤去されていました(CAさんに言えば持ってきてもらえます)。テーブルやひじ掛けは持参のアルコールティッシュでフキフキしました・・・】
【那覇空港は北側の進入でずいぶん沖の方を飛んでると思ったら、前日(3月26日)にオープンしたばかりの第2滑走路(RWY18R)への着陸でした。これで自衛隊機のスクランブルとかで待たされることも少なくなりますよね・・・】
【さて、だいぶ早く着いちゃいましたのでどうしましょうか。ゆいれーるが首里駅の先に伸びたというので、終点のてだこ浦西駅の駐車場(パーク&ライド方式で駐車料金が安いらしい)に車を止めに行きましょう・・・】
【てだこ浦西駅の手前をレンタカーで走っていて、いきなりこのラッコ(新しくできる水族館のラッピング?)に追い越されてビックリしました・・・】
【ゆいレールで牧志駅まで戻りまして、国際通りを市場方面へ歩いて行きます。旧沖縄三越前の広場も今までならアジアの観光客の皆さんでごった返していましたが閑散としてます・・・】
【市場アーケードの中の沖縄定食屋さんはいつも大混雑なんですけど、この日はランチ時でもこんな感じ。ゴーヤチャンプルーとイナムルチ(沖縄風豚汁)が美味しかったです・・】
【裏通りのさらに奥にあって見つけにくいお店ですが、地元の人や日本人観光客はボチボチ入ってました・・・】
【市場に行ったら改装中でお休み(新型肺炎とは無関係)、臨時営業している仮設市場に行く途中に氷ぜんざいで一休み・・・】
【「ママに買っていけば?」って笑っている小娘さん、それはどういう意味でしょう・・・】
【ゆいれーるでてだこ浦西駅に戻りましょう。この辺(儀保駅~首里駅間)が最大傾斜の60パーミルだそうです。レールに書いてある数字は傾斜かと思いましたが制限速度表示らしい・・・】
【首里から先(新しく開通した部分)は右に左に上に下にジェットコースターみたいで面白いです・・・】
【てだこ浦西駅のひとつ手前の浦西前田駅で降りて浦添城跡(グスク)へ登ってみましょう。てっぺんのとんがり岩は「為朝岩」と呼ばれていて、伊豆大島でおなじみの源為朝が琉球に渡って王になったという伝説があるそうです・・・】
「浦添警察署前のシーサーにビビっております。小娘さんはたとえローマでグレゴリー・ペックさんに口説かれたとしても、絶対に真実の口に手は入れられません・・・】
【警察署の先のガソリンスタンドを右に曲がって急な坂を登っていくと浦添城があります。登り切った所にクチグヮーガマという洞窟があって、戦時中はこの辺に住んでいた人の避難壕だったそうです。この辺でも多くの人が亡くなったそうです・・・】
【浦添城の斜面には浦添ようどれという王様のお墓があって、駐車場の先の「浦添グスク・ようどれ館」で詳しい説明を聞くことができます。小娘さんの立っているところは自然石のトンネル(沖縄戦で破壊された)があって、太陽が通るとされていたそうです・・・】
【沖縄のお城やお墓にトンネルが多いのは、太陽がトンネルを通って出たり入ったりするという信仰からだそうです。「ようどれ」というのは夕凪の意味ですが、沖縄では転じて墓地の意味なんだそうです・・・】
【漆喰の壁が2つあって、右側が英祖王陵、左側が尚寧王陵だそうです。内部の様子はようどれ館に原寸大ジオラマで再現されていて、実際のようどれを訪れる前にはようどれ館で勉強してくることをオススメします。ただし、説明のおじさんの琉球方言が強くて半分くらいしかわかりませんでした・・・(笑)】
【英祖王は太陽(ティダ)の子と呼ばれていたそうで、てだこ浦西駅の「てだこ(ティダコ)」は英祖王のことなんですね。ちなみにテレビのブラ〇モリでも浦添城を紹介してましたよね。T瓶さんとTモリさんはてだこ浦西駅から歩いて行ったように見せてましたけど、たぶんウソです・・・】
【沖縄戦でようどれの外観は完全に破壊されてしまいましたが(石垣は復元)、埋まってしまった西室と東室は奇跡的に残っていたそうです。周辺には埋葬するときに必要だった工具や埋葬品を作る工房跡(ぴらにあの立っている辺り)なども発掘されたそうです・・・】
【ようどれの上部は浦添グスクになっていて、首里城に移転する前(13~15世紀)に琉球の王が住んでいたと言われています。沖縄戦では激戦地のひとつであり、日本軍には前田高地、米軍にはハクソーリッジと呼ばれて映画にもなっています・・・】
【浦西前田からてだこ浦西はたった1駅ですが、チョチョッと歩けそうな道が見つからないのでゆいれーるに乗って戻ってきました。てだこ浦西駅周辺は開発で空き地が目立ちますが、あと10年もしたら大きな街になっているんでしょうね・・・】
【本日から金武町にある小綺麗なアパートが自宅です、キッチン、洗濯機、ガス乾燥機が完備でございます~。目の前の住宅では米軍の将校ファミリーが買ったばかりのバーベキューセットを組み立てております・・・】
【アパートから国道を渡ると海がありますが、泳ぐにはチョイと雰囲気がありませんよね。一番近いコンビニまで約1Km、一番近いスーパーまで3Kmです。波浮港の旧我が家よりずっと便利ですね・・・】
【ドライブがてらキャンプ・ハンセンのゲート前にあるタコライス屋までやって参りました。いや~、ホント、あまりの店内の雑多ぶりにやってないのかと思いました。そして、安さとあまりの大盛りにビックリしました・・・】
【タコライスという食べ物はキャンプ・ハンセンの近くで米軍相手の食堂をやっていたおじさんの発明だそうです。変動相場制(円高ドル安)になって新兵さん(ドル建てで給料をもらっている)がお腹をすかせて困っているのを見かねて、安くて大盛りにするためにお米ベースの料理を考案したという・・・】