とうとう若旦那が巣立ちました。彼は小学生の時から憧れていた飛行機関係の仕事に見事に就職しました。ずいぶん前に「パイロットじゃないの?」とぴらにあが聞いたら、「操縦も面白そうだけど、パイロットだと外から飛行機が見えないから・・・」だそうです。彼は小さい時から飛行機のオモチャ(搭乗の度に貰った大量のプラモデル)を並べて遊ぶのが大好きでした。畳のヘリを誘導路に見立てて、何十機も離陸待ちの飛行機を大渋滞させて1機ずつ離陸させていく。もう、待たされている飛行機の方からすればいい加減にしてほしい状態・・・(笑)
若旦那はぴらにあにとって「息子」というより「相棒」だったんですかね。山登りも温泉もたくさん行きました、47都道府県は全て行きました、外国もアチコチ行って寝台列車にも乗りました、美味しいものもたくさん食べました、飛行機も数えられないくらい乗りました、バイクやマニュアル車で走り回りました、島で8年間暮らして色んな経験をしました、言うことを聞かないので叱りました、ケンカもしました、発熱や怪我が絶えませんでした、本気で付き合った23年間でした。今まで「おとんゴハン」をさんざん食べてくれた彼は出て行きましたけど、今度は彼が彼の力で切り開く本当の彼の人生が始まります(食事も含めて)。彼が選んだ職業は間違いなく責任が重く、色々と大変なことがあると思いますが、世界中さまざまな人の活動に大きく関わる仕事です。彼はきっと自分の力で乗り切るでしょう。むしろ、ぴらにあの方が彼の力を借りられなくなるので大変です。若旦那がぴらにあに依存していたのはとっくに終わり、最近ははぴらにあが若旦那に依存していたのでしょうね・・・
若旦那がまだヨチヨチの時に伊豆大島への移住が決まりましたが、その時におばぁが行った一言が忘れられません。「私から孫を取り上げるつもり!」と目をつり上げて、別に仕事の都合で移住することになっただけなんですけどね。でも、当時のおばぁの気持ち、少しわかるなぁ。そうだ、若旦那の手紙が家に届いたら持ってってやればいいのか、それで一緒にメシ食おうよ。「たった1通でも持って行くつもりなんでしょ!」(ぴら奥さんの鋭いツッコミ)、バレちゃぁしょうがね~、じゃぁ2通貯まったらにします・・・

【ハノイ先輩に会いに4回ほどベトナムに行きましたが、それがキッカケなのか彼は本格的にベトナム語を学んで見事に習得しました。ぴらにあにはわからないベトナム語の方言も聞き取れるようです・・・】

【学長さんの祝辞で「ウチの学校は4年で卒業する学生は少なくて、留年して5年や6年で卒業する学生のが多いんです!」と自虐ネタかと思いましたが・・・】

【実は留学する学生が極めて多いので留年(休学扱い)するんだそうです。この大学の留学は紹介状だけ一筆持たせて、申し込みの手続きから本人がたった一人でやるんだそうです。決して旅行気分のナンチャッテ留学ではありません・・・】

【若旦那もハノイの大学に短期留学に行きましたけど、道路標識と決闘をして頭を数針縫うという成果でした(笑)。旅立つその日、小娘さんとおばぁと桜の木の下で・・・】

【家で別れるのは寂しくて小娘さんと羽田まで送っていきましたよ、小娘さんも「べつに~、家にいるし~」とか言うかと思ったら軽~く着いてきてくれました。やっぱ仲いいんですね、今でも同じ部屋で蹴ったり蹴られたりしながら一緒に寝てますからね・・・】

【なんかね~、「お父さん、今までお世話になりました・・・」とか全然なくて、「じゃぁ行ってくるね~!」って気持ちは既に飛行機の中。この翌々日、関西地区の家電量販店で豪遊することになりますが・・・(会わなかったのは中1日だけ)】
若旦那はぴらにあにとって「息子」というより「相棒」だったんですかね。山登りも温泉もたくさん行きました、47都道府県は全て行きました、外国もアチコチ行って寝台列車にも乗りました、美味しいものもたくさん食べました、飛行機も数えられないくらい乗りました、バイクやマニュアル車で走り回りました、島で8年間暮らして色んな経験をしました、言うことを聞かないので叱りました、ケンカもしました、発熱や怪我が絶えませんでした、本気で付き合った23年間でした。今まで「おとんゴハン」をさんざん食べてくれた彼は出て行きましたけど、今度は彼が彼の力で切り開く本当の彼の人生が始まります(食事も含めて)。彼が選んだ職業は間違いなく責任が重く、色々と大変なことがあると思いますが、世界中さまざまな人の活動に大きく関わる仕事です。彼はきっと自分の力で乗り切るでしょう。むしろ、ぴらにあの方が彼の力を借りられなくなるので大変です。若旦那がぴらにあに依存していたのはとっくに終わり、最近ははぴらにあが若旦那に依存していたのでしょうね・・・
若旦那がまだヨチヨチの時に伊豆大島への移住が決まりましたが、その時におばぁが行った一言が忘れられません。「私から孫を取り上げるつもり!」と目をつり上げて、別に仕事の都合で移住することになっただけなんですけどね。でも、当時のおばぁの気持ち、少しわかるなぁ。そうだ、若旦那の手紙が家に届いたら持ってってやればいいのか、それで一緒にメシ食おうよ。「たった1通でも持って行くつもりなんでしょ!」(ぴら奥さんの鋭いツッコミ)、バレちゃぁしょうがね~、じゃぁ2通貯まったらにします・・・

【ハノイ先輩に会いに4回ほどベトナムに行きましたが、それがキッカケなのか彼は本格的にベトナム語を学んで見事に習得しました。ぴらにあにはわからないベトナム語の方言も聞き取れるようです・・・】

【学長さんの祝辞で「ウチの学校は4年で卒業する学生は少なくて、留年して5年や6年で卒業する学生のが多いんです!」と自虐ネタかと思いましたが・・・】

【実は留学する学生が極めて多いので留年(休学扱い)するんだそうです。この大学の留学は紹介状だけ一筆持たせて、申し込みの手続きから本人がたった一人でやるんだそうです。決して旅行気分のナンチャッテ留学ではありません・・・】

【若旦那もハノイの大学に短期留学に行きましたけど、道路標識と決闘をして頭を数針縫うという成果でした(笑)。旅立つその日、小娘さんとおばぁと桜の木の下で・・・】

【家で別れるのは寂しくて小娘さんと羽田まで送っていきましたよ、小娘さんも「べつに~、家にいるし~」とか言うかと思ったら軽~く着いてきてくれました。やっぱ仲いいんですね、今でも同じ部屋で蹴ったり蹴られたりしながら一緒に寝てますからね・・・】

【なんかね~、「お父さん、今までお世話になりました・・・」とか全然なくて、「じゃぁ行ってくるね~!」って気持ちは既に飛行機の中。この翌々日、関西地区の家電量販店で豪遊することになりますが・・・(会わなかったのは中1日だけ)】