Pineapple Candy

1980年代の”松田聖子”の魅力!

松田聖子:「いそしぎの島」

2010年07月30日 | サマー
 ♫ いそしぎが泣いている
    何も感じない濡れた砂のシェード ・・・
   
     ・・・ 海は鏡ね 上手にかくした 
           本当の自分 映してしまう‥ ♪

 タイトル通りに幻想的な世界をテーマにしたアルバム「Tinker Bell」の中でも、ちょっと切なげで、クリアなボーカルがひときわ煌めく。

    歌い出しの声が、、、。


「いそしぎの島」(作詞: 松本隆 作曲:尾崎亜美 編曲:大村雅朗)
1984年6月10日リリース、9枚目のアルバム「Tinker Bell」3曲目。尾崎亜美がはじめて曲を提供。今だから良さがわかる?名曲。
”いそしぎ(磯鴫)”とは、小型のシギ科の鳥で、済んだ細い声で鳴き、日本含めアジアからアフリカまで広範囲に繁殖する。この島はいったいどこなんだろう?


松田聖子:「水色の朝」

2010年07月27日 | サマー
 イントロが流れた瞬間に、、胸が震え、涙があふれる、、。

   ♫ 水色の朝に包まれ 目覚めれば鳥の声
           あなたに逢いたい 夢の続きで ♪
  
  純粋で、素直、、そして恋する20歳の松田聖子。

       その繊細な心の内、、、。

     ♫ 私は私よ あなたのものよ ♪

「水色の朝」(作詞:松本隆 作曲:財津和夫 編曲:大村雅朗)
1982年5月21日リリース、あらためて語る言葉が見つからない、奇跡の名盤「Pineapple」のorange side(B面)4曲目。
レコーディングのときに涙が流れなかなか歌えなかったという逸話が残る。全曲素晴らしいこのアルバムの中にあって「Love Song」とともに泣ける曲、、、(涙)。


松田聖子:「パシフィック」

2010年07月24日 | サマー
 陽炎ゆらぐ街角の先に、遠くハワイの青い海を、、
  
     そして、夕暮れのビーチで貝殻を耳に佇む聖子さん、、を想う。

 ♫ 強く生きたいの 時の波を 進んでゆく船のように
     遠いパシフィック あなたなしで 生きてゆける自信がある ♪

「パシフィック」(作詞:松本隆 作曲・編曲:大村雅朗)
1983年7月1日リリース、映画「プルメリアの伝説」オリジナル・サウンドトラック収録曲。
 少しハスキーで表現力溢れるボーカル。聖子さんの歌唱力、可愛さ共に最も充実していた時、、。


松田聖子:「蒼いフォトグラフ」

2010年07月22日 | ウインター
 大人になるのが怖かった、、些細な事に傷つき、いつも誰かにそばにいて欲しかった。

   楽しかった時、悲しかったその一瞬、、全てがキラキラと輝いて見えた。胸が苦しくなる程に、今でも鮮やかに蘇る、、青春。

  もう取り戻すことができない、、光と影。そう、あの時の青さは、永遠に心の中にしまわれた一枚の写真、大切な思い出‥。

   ♫ 写真はセピア色に 褪せる日が来ても
         輝いた季節 忘れないでね 蒼いフォトグラフ ♪


「蒼いフォトグラフ」(作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 編曲:松任谷正隆)
1983年10月28日リリース、15枚目のシングル「瞳はダイアモンド」のB面だったが、TBSドラマ「青が散る」の主題歌となり、発売後間もなく両A面扱いとなった。8枚目のオリジナルアルバム「Canary」sideBの4曲目、B面コレクションアルバム「Touch Me, Seiko」4曲目にも収録。

爽やかに泣ける、これこそ永遠に色褪せない名曲。


松田聖子:少し生意気いってもいいですか‥

2010年07月18日 | スペシャル
 『少し生意気いってもいいですか、
      あまり好きではありません。

  ごめんなさい、もうしばらく、、、待っていて下さい。
    きっと歌えるようになります。きっと気持ちがわかります。

          だから、だから、もうしばらく待っていて下さい。』

 デビュー以来、2曲目の「青い珊瑚礁」で夢にまでみたザ・ベストテン1位、『この曲は、一生の宝物にしよう』と語った3曲目「風は秋色」ではオリコン1位獲得。年末の紅白歌合戦初出場も果たし、歌謡界を一気に駆け抜けた1980年。そして出会ったこの曲、、、。


「チェリーブラッサム」(作詞:三浦徳子 作曲:財津和夫 編曲:大村雅朗)
1981年1月21日リリース、4枚目のシングル。歴代4位のセールスを記録。
 デビュー以来作曲を手がけた小田裕一郎から、ソロ活動を開始したチューリップ財津和夫へ。アイドル歌謡からその後のニューミュージック系J-POP路線に転換するきっかけとなった曲。そして、松田聖子のアイドルとしての人気を不動のもとする曲となった。
 本人はレコーディング前に歌うのを相当にいやがったが、制作者達はヒットする事を確信していたと言われる。