存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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学ぶことの意味

2016年05月23日 | キャリア
キャリコンサルティングで企業に入らせいていただく際の着眼点について考えることがある。

例えば金融機関から会社を紹介していただくことがあるが、その際の「良い会社」という場合、多くは「財務」にフォーカスしている。

借金がない、または自行が安定的に融資している上得意様である場合などだ。「人」の側面を気にして「良い会社」「悪い会社」と断じる銀行員は少ないのではなかろうか。

私の場合はどうしても「風土」や「人と経営のつながり」を見てしまう。そういった視点の偏りは如何ともしがたい。しかし、その偏りを知っておくことは重要だ。

私が訪問させていただく企業様の中には上記の「風土」に問題を抱える組織もある。課題は、「どのように経営に伝えるか」といった点。ハードルは低くない。

ところで、キャリア支援の専門家の多くは「経営」の視点が足りなかったりする。もう少し踏み込むことができれば…と勿体なく思うことも少なくない。

多くの人は誰かに雇われる。つまりは経営の傘下にいる。しかるに経営を知ることはどうしても必要。

そう考えると「わかる人にはわかる」といった事象の存在に気づく。またそのことが幸福への岐路であったりもするのだろう。

学ぶ幸福

2016年05月21日 | キャリア
昨日の夕方からで勉強会を実施させていただいた。テーマはすべてキャリアカウンセリングに関するものだ。

昨日は、カール・ロジャーズについて。参加者それぞれの視点でロジャーズ理論に関する見方を議論した。また「非指示的アプローチは原理か道具か」について考えてみた。

こういった取り組みは初めてだったが、期待以上の深まりを見せた。いくら時間があっても語り尽くせない感覚。次回はアルフレッド・アドラーが主役。楽しく学んでいきたい。

そして今日は、午前中恒例の「自己理解セッション」。クライエントとして自らへの気づきを主目標として学ぶ機会だった。午後は「レジリエンス」を題材とした。

昨日実施したような取り組み(座談会的な雰囲気も珍しい)は初。そして今日の午後に学んだ「レジリエンス」についても初めて向き合うテーマだった。

いずれも想像以上に深い学びの機会となった。参加者おひとりおひとりの人生が反映された実感がある。

キャリアの学びはゴールがない。ゆえに学び続けることしか道はない。それは極めて幸福なことだ。なぜならば「キャリア」とは「人生そのもの」の謂なのだから。

人生が続く限り、自らの人生を考えることは至福の時間ではないか。

(続)自己概念とプライド

2016年05月20日 | キャリア
昨日のブログをみて、一部の方からご指摘をいただいた。「自己概念ってプライドなんですか?」ということだった。

私も何気なしに「プライド」という表現を使った。全くイコールの意味ではないと思うが、近いものだと思っている。

「プライド」を「自尊」という言葉で説明しようとすれば理解しやすいのかもしれない。自らの最も貴いものであり、自らの最も大切なもの。それが「自己概念」だ。

様々な経験を経て自らを形づくってきたもの。ときには「防衛」という機能に守られながら、そしてときにはどうしようもない不運を受け入れながら、それでも築いてきたもの。

それが自己概念でありプライドでもある。「自己概念」とはダイヤモンドのように美しく輝くものであり、自らの人生の司令塔であり、自らを表現する土台である。

自分が自分であることにどれだけの価値があるか。これを本当の意味で理解するとき、「自己概念」と「プライド」はつながるのではないか。

もちろん別のアプローチもあろう。また、「田中さんそりゃ違う!」という声も聞こえてくるかもしれない。

しかし、今日少し考えてみて出てきたのはこんなところ。是非斬新な視点をお持ちの方からのお声もいただきたい。

自己概念とプライド

2016年05月19日 | キャリア
「自己概念」という言葉を説明する言葉はいくつもある。「自分らしさ」「ありたい自分の姿」「自己理解」「環境理解」などが立体的・複合的に結束したものとも言える。

自己概念の形成過程に不可欠なものは「経験」である。事象そのものとその事象に伴う心模様。それが結晶化したものが自己概念であり、同時にその自己概念が「経験」を作る。

キャリア支援の現場にいるとこの「自己概念」が人それぞれのありようを作ることがわかる。「自己概念」が様々な人生の場面における選択に作用していることが見えてくる。

キャリア支援は表面的なことではない。事象の奥に潜むものこそが大切であり、普段は考えることのないことに問いかける感性が求められる。

人々の「経験」。その人を作ってきたものは「輝かしい」ものだ。「自己概念」は自らの自尊感情と結びつく。「プライド」そのものだ。

と、なにやら難しいことを書いているが、今日の私は「キャリア支援」そのものについて深く考える一日だった。

考えれば考えるほど奥の深さに気付く。考えれば考えるほど答えから遠くなる。そんな感覚を味わっている。

アウトプットへ向けての産みの苦しみ。これも自分の「プライド」だ。

讃岐運転事情

2016年05月18日 | 日記
今日運転していると前を走っていた車が急停車。私は少し驚いたもののポンピングブレーキで止まる程度の余裕があった。

しかしその瞬間気になってルームミラーを見ると、後ろの車が更なる急ブレーキ。タイヤのきしむ音がしてハンドルを中央分離帯に向けて切った。少しでも衝撃を回避しようとしたのだろう。

私は覚悟を決めた。が、ギリギリのところで追突は回避。事なきを得た。あの「キュルキュル-」という音を思い返すとぞっとする。なにせ昨日1ヶ月点検を終えたばかり。

香川県は事故率が高いといわれる。人口に比べ道の整備が進んでいる反面、運転技術は超低レベルであることを実感している。

マナーを問う声が多い。もちろんそれもあるが、そもそもルールを知らないのではないかという事象も少なくない。そしてとにかく運転が下手なのだ。

香川県にやってき来て15年が経つが、当時からその印象は変わらない。低速で追い越し車線を走る車は日常。また、車線変更がままならない人も大勢いる。駐車もデタラメである。

このような土地においてこれまで無事故で来られたことは幸運なのかもしれない。それほど毎日のようにどこかで事故現場を目撃する。

あー、明日からも気をつけよう!