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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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讃岐運転事情

2016年05月18日 | 日記
今日運転していると前を走っていた車が急停車。私は少し驚いたもののポンピングブレーキで止まる程度の余裕があった。

しかしその瞬間気になってルームミラーを見ると、後ろの車が更なる急ブレーキ。タイヤのきしむ音がしてハンドルを中央分離帯に向けて切った。少しでも衝撃を回避しようとしたのだろう。

私は覚悟を決めた。が、ギリギリのところで追突は回避。事なきを得た。あの「キュルキュル-」という音を思い返すとぞっとする。なにせ昨日1ヶ月点検を終えたばかり。

香川県は事故率が高いといわれる。人口に比べ道の整備が進んでいる反面、運転技術は超低レベルであることを実感している。

マナーを問う声が多い。もちろんそれもあるが、そもそもルールを知らないのではないかという事象も少なくない。そしてとにかく運転が下手なのだ。

香川県にやってき来て15年が経つが、当時からその印象は変わらない。低速で追い越し車線を走る車は日常。また、車線変更がままならない人も大勢いる。駐車もデタラメである。

このような土地においてこれまで無事故で来られたことは幸運なのかもしれない。それほど毎日のようにどこかで事故現場を目撃する。

あー、明日からも気をつけよう!

空海の道

2014年05月06日 | 日記
四国八十八箇所霊場のひとつ善通寺にお参りしたのは既述の通り。その際に朱印帳を購入したが、その後の予定は立てていなかった。

ふとしたきっかけでゴールデンウィークに徳島へ行くこととなったのを縁に、一番札所からお参りすることにした。これも既に書いた。

今日までで十二番札所の「焼山寺」まで順にお参りした。

本来は「歩き遍路」を志していたが現段階では断念。できる限り前に進めるよう車や公共交通機関を利用し、また順番にもこだわらずに進めていこうと考えている。

今日感じたことは、やはりどうしても歩いてでしか感じられないものがあろうということだ。十一番札所の藤井寺から十二番札所の焼山寺までは阿波随一の難所といわれる道だ。

峠をいくつか越えながら900メートルもの標高差を登る。12キロ以上の道のりだ。古来の道そのままが残り、空海も歩いたと言われる道である。

様々な情報を見るにつけ、次回の一巡はどうやっても歩いて巡りたいと感じる。かなりハードなことは承知。この道はやはり自らの足で刻むに限る。

昨日話題にした宇宙旅行。そんなものとは比較にならない重みを感じる。自らと向き合い心を見つめる冒険。ワクワクすることこの上ない。

余談だが、お遍路巡りで感じたこと。それは毎回読む「般若心経」。自分で言うのもなんだが至極スムーズなのだ。こんなところで高校時代の経験が生きるとは…

「全国から人が集まる四国」も再発見。面白い連休だった。

通勤電車の中の新たな命

2014年04月17日 | 日記
私はいつも最寄駅始発の電車で通勤している。必ず座れるというメリットは大きい。30分程度とはいえパソコン仕事が出来ることは本当にありがたい。

この時間に生まれたコンテンツやキーボードを叩きながら生まれ出たアイデアも数々存在する。

しかし、これからしばらくは途中の駅で立つ必要性が出て来そうだ。しかしこれはネガティブな感じではない。

新たな命が通勤電車の中で育っている。

2年間毎日のように同じ電車に乗っていると、会話はなくとも同じような顔ぶれに出会う。その中の一人の女性が妊娠されたようだ。

それに最初気づいたときに私は席を立つことをためらった。おそらくそうだと思ったけれども確証がなかったからだ。もし間違っていたら失礼になると思ったのだ。

しかし目的地に着こうかというときに、その女性のバッグに札がぶら下がっているのを見た。

「おなかに赤ちゃんがいます」と書いてあった。

私はその瞬間ホッとした。これからは躊躇なく席を譲ることができる。そう思った。

しかし、例えば今日はその女性が乗ってきたときにたまたま席に空きがあった。少し離れたところに乗ってこられたので座れるかどうか気になっていたがホッとした。

これからしばらくは始発駅から座る意味が変わるだろう。パソコン仕事ははかどらないかもしれない。けれどもそれ以上になんだかホッコリする感じがある。

あの札のおかげかもしれない。

通勤電車の中の新たな命をみんなで育みたい。

「怪しい石鎚登山隊」後記

2013年07月16日 | 日記
社内の有志で決行された石鎚山登山から2晩経過した今日、参加メンバーが本社に揃った。

20代から50代までの面々。その姿はバリエーションに富んでいて面白かった。

2月のハーフマラソンで私を遙か置き去りにした2人の痛み様は軽くなく、たまたま遭遇したK氏は下りの階段で手すりを使用していた。

さすがに20代・30代は元気だったが、まだ少し影響を残している者もいた。

私はどうかというと、翌日の勉強会では特に後半の脱力がひどかったが、昨日は午前中仕事をこなし、午後も勉強会参加とフル回転で今日を迎えた。

お陰様で足へのダメージはなく日常生活。もちろん手すりは不要。

今回は新調の靴だったので不安が大きかった。15年来の盟友以外の山靴に身を委ねるため無理はしないでおこうと思っていた。

例えば岩へのグリップ感覚やちょっとした捻りへの対応に関しては信頼感を持てずにいた。フィッティングはしたものの実際に使用して靴擦れなどが生じることも覚悟していた。

しかし心配は杞憂。いい靴に巡り会えたと思う。まったくダメージなく帰って来ることができた。

さすがに履き慣れた革靴にはその柔軟性など及ばないが、機能的には満足。このブランドにして良かった。

次回は剣山だそうだ。秋に計画できればいいかなと思っている。

たまには会社メンバーと自然の中で過ごすのも良い。
山頂で誕生日のお祝いもしていただいて思い出に残る休日だった。

感謝!

歴史の潮目

2013年07月10日 | 日記
昨日、東日本大震災当時の福島第一原発所長、吉田昌郎氏が亡くなったという報道に接し、改めて東日本大震災の意味するところについて考えた。

今からちょうど800年前の1213年。「元号が変わる」という出来事があった。
その理由は相次ぐ自然災害。「縁起が悪い」からというわけだ。

当時の災害の様子を著わした歴史的名著が鴨長明の『方丈記』だ。大地震、竜巻(辻風)、大火事などの生々しい災害レポートがそれ。

さてちょうど800年経過した今はどのような時代だろうか。

わが国においては、今回の震災クラスの地震は繰り返し発生している。しかし、地震によって自宅を放棄し二度と戻れない事態が生じたことは史上初。

放射能さえなければ元の土地でゼロからやり直すことができたがもう手遅れだ。

「土着性」という日本人のアイデンティティの崩壊。農耕によって芽生えた土地への愛慕が脆くも打ち砕かれたのだ。

『方丈記』の時代に確立されたもう一つのアイデンティティ。それは「無常観」だ。どんなに打ちのめされてもそれを受容れ乗り越える強さ。それは「無常観」から来る。

地震や津波だけならまだしも、放射能はどう乗り越えるのか。経済やイデオロギーの問題ではなく、我々の「成り立ち」の礎が揺り動かされていると感じる。

もちろんこのような危機に瀕しても私たちはどうにかして乗り越えていくのだろう。

「歴史の潮目」。800年後には現代を称してそのように語られるのかもしれない。