彼の登場は衝撃的だった。
1974年というから私は小学校1年生の頃だろうか。センセーショナルな出会いだった。
荒井注さん無きあとのザ・ドリフターズに加入した「ホープ」と呼ぶにふさわしい存在感を発揮していた。
彼が登場した直後、家族でザ・ドリフターズの舞台を観た。楽しみで、そしてホント楽しくて、笑顔に溢れた経験だった。
あの日大阪フェスティバルホールでの妹たちの満面の笑みを忘れることができない。自分も心の底から笑った。
もちろん毎週土曜日の20時にはテレビの前から離れなかった。昭和の家族団らんの典型と言える風景。
その後の活躍は言わずもがなだ。
彼の死は悲しい。けれども自由に生き、自分という人間を生き尽くした感があり、そして潔い最期。そんなことへの羨ましさや憧れや…様々な感慨が残る。
彼のことは忘れない。彼はそんな私のような人が世の中に多くいることを意識していただろう。だから、幸せな人生だったのだろう。
志村けん、志村けん、志村けん…
何度も呟いてみる。
とことん突き抜け尽くす人生。それはそれは美しい!