存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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終わりははじまり

2016年03月31日 | キャリア
佐野元春の「グッドバイからはじめよう」という曲をご存じだろうか。1983年にリリースされたアルバムに収録されたものだ。

もう33年にもなるのだなーとしみじみ。当時私は高校1年生だったが、「終わりははじまり」というフレーズに惹かれた。

地味でシンプルな曲。おそらく失恋を歌ったものだろう。今は、さすがに「失恋」という感覚を持つ状況ではないのだが、今日は「別れ」、そして「はじまり」について考えた。

私は昨年CDAインストラクターになるという選択を機に「正社員であること」から卒業した。そしてこの一年は「非常勤」として前職に「勤めて」いた。

そしてこの春はいよいよ「雇われる」身から卒業することになる。引き続きこれまでの業務を受託はするのだが、身ひとつで自分自身の人生を築き上げていくこととなる。

そこで今日は会社メンバーに向けて「退職のご挨拶」なるメールを送った。伝えたいことはたくさんあった。

まずは感謝。「キャリア」を見つめ続けられる日々を過ごせたことは、この上なく幸せなこと。そしてまた寂しさもある。

15年の月日で得たものを軸に生きていく。今日の「終わり」は明日からまだまだ続く「よりよい人生のはじまり」と信じている。

未来を決めること

2016年03月31日 | キャリア
全国を旅した西行法師。有名な歌にこのようなものがある。

ねかはくは 花のしたにて春しなん そのきさらきの もちつきのころ(山家集)

今日はその西行の忌日だ。

彼が入寂した1190年3月31日(旧暦2月16日)を調べてみると、確かに月齢15.1。桜の時期に丸いお月様のもと亡くなったことになる。これはすごいことではないか。

一般に、人は死ぬときを「選ぶ」ことはできない。しかし彼のように「願う」ことはできるのかもしれない。もちろんそれを達成するのは「意志の力」なのだろう。

ところで、空海や芭蕉、伊能忠敬などもそうだが、彼のように全国を旅した人に惹かれる自分がいることに思い至る。

同時に上記の歌には「場所」が謳われていないことにも気付く。そのことは私にとって大いに共感につながることだ。

彼は「花の時期」にこだわった。しかも「望月」にこだわった。そして「花」と「望月」が重なる「年回り」にもこだわったと言えるのかもしれない。

さて、私自身はどうだろう。花や望月に相当するものは何か。

ここで、未来を決めることの偉大さを思う。

しかし、西行同様「場所」についてのこだわりのない自分がいる。これも人それぞれ。「らしさ」が反映するところなのだろう。

学んだことを活かしてこそ

2016年03月30日 | キャリア
資格を巡り感じることがある。それは資格取得自体がゴールになってはいないかということ。当ブログでも何度か触れたが、私はかなり懸念している。

特に気になるのは、私の専門分野である「キャリア支援者」のことである。様々な資格が存在するが、殊更この「キャリア」の分野は果たしてそれでいいのだろうかと思う。

なぜならば「キャリア」とは、ひとことで言うと「人生そのもの」のことだからである。つまり「人生を考えること」をやめていいのだろうかという問いだ。

せっかく「キャリア支援」のことを学び資格を取得したのだから、最も身近な「自らのキャリア」(人生)を考えずして放置しておくのはもったいない。

私たちキャリア支援者は、自らの経験に向き合い如何に自己理解を深めていけるかということが大切なのだ。

自己理解の深化が支援にも生きてくる。クライエントによりよい人生を送っていただくためには、キャリア支援者が自ら「よりよい人生」を目指す必要がある。

そのためには自らが「学び続ける」・「経験に向き合う」といった行動しかない。ゴールがない世界。ならば生涯がその時間になる。

学んだことを活かしてこそ、私たちの存在価値が光るのだ。

生命の息吹

2016年03月29日 | たわいない話
今日は気温が上昇するとの予報。昼間はそれなりに暖かかったが、いっきに春本番とはいかないようだ。特に私が住む場所は肌寒さが残っていた。

今日は家の庭のタラの木の話題。この木は10年くらい前に植えた。当然だが年々幹が太くなり背丈も高くなってきた。

夏場は葉が茂り木陰をつくってくれて役に立つ。しかし目的は新芽を摘み食卓に役立てることであることを考えると、背が高くなるのは不便。

よってシーズンが終わればかなり思い切った剪定を重ねている。ご覧のようにかなり歪(いびつ)な形状になってしまい見た目はよろしくない。

実は、今回は剪定の時期を間違え、かなり遅くなってしまった。そのため今年はもしかすると芽が出ないのではないかと懸念していた。

ところが今日は、写真のように複数の萌芽が確認できた。これで今年も天ぷらやパスタなどに使えそうだ。つまみが足りなければバターで炒めるとよい。

それにしてもこの木の生命力たるや凄まじいものがある。放っておけば周囲の地面からニョキニョキと芽が出てくる。雑木林で育んだ強靱なDNAは不滅のようだ。

桜も咲いた。タラの芽も出た。鶯の囀りも板についてきた。力強い生命の息吹が力を与えてくれる季節だ。

衰えと成長と(後編)

2016年03月29日 | キャリア
今日は、15年前に私が四国・香川県での一歩を記した日だ。

人材ビジネスに携わり、いくつかの職種を経験した。33歳で畑違いの世界から転身し、紆余曲折ありながらも楽しく時を重ねキャリアを築くことが出来た。

昨日は体力の「衰え」について書いたが、今日はこの期間の「成長」についてだ。私にとってこの15年は、まさに信じられないくらい成長出来た年月だった。

日々の仕事での経験はもとより、キャリアカウンセリングとの出会いや軍師での学びは私にとって、とてつもなく価値が高いものだった。

限られた文字数では表現が出来ないが、ビジネスの現場で吸収してきたこととさまざまな学びにより支えられてきたもので「今」があると感じている。

そしてこの春、新たな一歩を踏み出すこととなる。7月で49歳。体力の衰えと経験の積み重ねが交錯する歳になった。まだまだ、否、今だからこそ出来ることがある。

今後10年のテーマはいってみれば「統合」といったところ。もちろん吸収すべきことは多く、学び続ける中で更に進化を遂げ、より一層社会に還元できる自分でありたい。

15年ぶりに購入した赤い車を駆る少し体力の衰えたおじさん。私は、これからも香川県で生きていく。