平尾誠二さんが亡くなって3回目の命日だそうだ。奇しくもそんな今日、ラグビーワールドカップの4強を賭けた一戦が繰り広げられる。
もちろん勝ってはほしいが、そういったことは多くのスポーツジャーナリストが書いている。自分はこの経験を自分自身がどう過ごすかに興味があり考えてみた。
遡ること1985年1月6日、ラグビー大学選手権の決勝(同支社大学VS慶応大学)。開始6分過ぎにキャプテンで4年生の平尾誠二が華麗なステップを踏みトライを決めた。
そして激戦の末のノーサイド(史上初の大学選手権3連覇達成)。その瞬間、当時高校2年生だった自分の中で何かが動いた。
1年後に迫りくる大学受験、「自分はどうなるのだろう」という他人事の世界から、「いよいよ受験生だ」というロングスパートのモードにスイッチが切り替わっていったのだった。
時は再び今日10月20日の深夜、YouTubeで35年近く前の試合を観た。あの日から今日に至るまで、自分の中にいる平尾誠二さんの存在感を思っていた。
ラグビー界に自由な発想で新風を吹き込んだ彼を通して、「ありたい自分」を観ているのかもしれない。そんなことを考えながら過ごした夜だった。
1985年1月6日から今日までの時間を味わいながら夜を過ごす。なんと贅沢なことか。
もちろん勝ってはほしいが、そういったことは多くのスポーツジャーナリストが書いている。自分はこの経験を自分自身がどう過ごすかに興味があり考えてみた。
遡ること1985年1月6日、ラグビー大学選手権の決勝(同支社大学VS慶応大学)。開始6分過ぎにキャプテンで4年生の平尾誠二が華麗なステップを踏みトライを決めた。
そして激戦の末のノーサイド(史上初の大学選手権3連覇達成)。その瞬間、当時高校2年生だった自分の中で何かが動いた。
1年後に迫りくる大学受験、「自分はどうなるのだろう」という他人事の世界から、「いよいよ受験生だ」というロングスパートのモードにスイッチが切り替わっていったのだった。
時は再び今日10月20日の深夜、YouTubeで35年近く前の試合を観た。あの日から今日に至るまで、自分の中にいる平尾誠二さんの存在感を思っていた。
ラグビー界に自由な発想で新風を吹き込んだ彼を通して、「ありたい自分」を観ているのかもしれない。そんなことを考えながら過ごした夜だった。
1985年1月6日から今日までの時間を味わいながら夜を過ごす。なんと贅沢なことか。