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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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農鳥小屋のオヤジとのこと

2019年08月04日 | たわいない話
今年のメイン登山が終わった。南アルプス白峰三山縦走(広河原~北岳・間ノ岳・農鳥岳~大門沢~奈良田)だった。山から下りてしばらく考えていることをテーマとしたい。

それは農鳥小屋におけるある「事件」のことだ。「農鳥小屋のオヤジ」が主人公。ネット検索で多くの記事が出てくる名物オヤジだ。「名物」というとよい響きだが、あまり好印象で語られない記事も散見される。

オヤジは「がんこ」「偏屈」「横柄」…や、小屋については「不潔」といった感じである。私は、今回ここを訪れるまで小屋の評判やオヤジの存在は全く知らなかった。

農鳥小屋を訪れたのは行程中たまたま通りかかったからだ。しかし、私は農鳥小屋に入る前に重大な課題を抱えていた。それは、その前に登頂した間ノ岳(3,190m)山頂付近にカメラを置き忘れたことだった。

気づいたのは農鳥小屋に着く直前。戻ろうにも体力が残っておらず、次の行程を考えるとそれ(戻ること)は考えられなかった。一方で万が一無くしたとしてもある意味「仕方ない」という諦念もあった。

何人かの登山者に声をかけ、もし見つかれば北岳山荘に届けていただくようお願いした。一方、農鳥小屋に届くことも想定されるため農鳥小屋の人に伝えねばと考えていた。

そんな中で出会ったのが「農鳥小屋のオヤジ」だった。私が到着したときは、他の登山者と話していた。耳が遠いらしく大きな声で。親しみを感じる話しぶりだったが、明らかに「ただものではない」オーラを放っていた。

私は宿泊客でもなく通りすがりである。カメラのことを切り出すチャンスを伺っていた。考えた挙句、何かを購入しそのついでにカメラのことをお願いすることにした。

そこで、「Tシャツはありますか?」と聞いてみた。以後オヤジとのやり取りである。

オヤジ :「あー、Tシャツ…、何枚か残りがあったかなー」(ごそごそ)
私 :「…」
オヤジ :「あー、これならある。2色しか残ってないな。」
私 :「じゃあ、こっちの色にします。」
オヤジ :「そうか。じゃあ、3,000円。」
私 :「はい。わかりました。。(支払う) …あのー、実は間ノ岳でカメラを置き忘れたようでして。」
オヤジ :「ん?」
私 :「もしこちらに届けばご連絡いただきたいんですけど。
オヤジ :「なに!そんなもん、お前自分で取りに行けよ!」
私 :「いや、私体力的に無理なんで、なんとかご協力を。」
オヤジ :「まぁ、置いてくるってことはたいして大事なもんじゃないだよなー」
私 :「はい。まぁ、出てこなくても仕方ないと思ってます。」
オヤジ :「じゃあ、メモに書いておけ。」

と、このようなやり取りとなった。

その後もいろいろとやり取りがあって、名刺の余白にカメラの機種名などを記入し手渡した。

このような「事件」の経緯である。

文面ではすべてを表現できていないが、結構辛辣なことも言われた。しかし、私が感じたことは言葉通りではなかった。それは「がんこ」ではあっても、そこには「正しさ」や「暖かさ」があった。

オヤジ :「うちの若いのが今日登ってるから、持って帰ってくれば連絡してやるよ。」
私 :「そうですか。よろしくお願いします。」

となり、農鳥小屋を後にした。

「農鳥小屋のオヤジ」は、私がそこにとどまっている間、登山者に対し盛んに天候のことを言っていた。そして「早く発て!」と。すると案の定、私が大門沢小屋に着くや否や雨が降り出した。

山のことを深く知り、登山者の安全を願いながら声をかけ、そして山の掟を逸脱した登山者には厳しく接する。それが「農鳥小屋のオヤジ」だったのだ。

私は、「ただものではない」と感じた第一印象から、「農鳥小屋のオヤジ」に強い関心を持った。自分自身のニーズ(カメラの件)もあったが、対話できたことが嬉しかった。

しかし、中にはあの独特の雰囲気や厳しい言葉にたじろぎ、敬遠する人もいるのだろう。彼らは、一歩踏み込まなければ味わえない強烈な個性の奥に潜んだやさしさや暖かさを感じることができないことになる。

おそらく社会全般においてもこのようなことが頻繁に起こっているのだろう。表面的な接点では見えてこない奥深さがどんな人にもある。そのことを今回の「農鳥小屋事件」を通して味わっている。

ところでカメラのことだ。私は、農鳥小屋に届く確率は高くなく、どちらかというと北岳山荘に届く確率の方が高いと考えた。下山後山荘に連絡しようと思った。また、持って帰る人がいればそれは仕方ないとも考えた。

奈良田の里に下山すると一本の留守番電話が入っていた。道中は携帯電話が通じないのだ。

「農鳥小屋です。カメラが見つかりました。仙丈小屋を管理する伊那市の職員の方が来てカメラをもっていきました。近々山を下りる用があるから送ってくれることになりました。」

若い女性の声だった。私には奥でオヤジの笑う顔が見える気がした。

私の社会性のなさから始まった「事件」だが、改めて人間の素晴らしさを思うこととなった。一方、オヤジにたじろがず(?)対話を楽しんた自分のことも考えた。この話、まだまだ自己の内部で楽しめそうなテーマである。

香川の車事情(実感編)

2016年07月04日 | たわいない話
かねてより、香川県内の車運転技術について思うところがあった。しかし今日という今日は、そのことを強く実感することになった。

スクランブル交差点は思うとおりに青信号が巡ってこない。そりゃたまには間違えて赤信号を進む人もいる。

今日はそんな場面に出くわしたのだが、驚いたのはそれだけではなかった。その後ろにつけていた二台の車がそのまま前進したのだ。

つまりは信号を見ず、前の車の動きだけを見て前進したのだ。そしてついに気づかずにそのまま。運良く青信号の方向から車が来なかったので事なきを得た。

しかし、当事者はいまだにこのことに気づいていないのだろうなと思う。本当に恐ろしい。

と、今日はこんな日だったのだが、もっと恐ろしいことが起こった。

なんと、新車の後部バンパーに当てこすりの傷を発見。絶対に自分ではぶつけていない。誰かの当て逃げだ。

おそらくペイントで隠す程度になるのだろうが、非常にショックな一日。木曜日にディーラーに行く。保険はきかない。なんてこった。

香川県の車事情。常に事故率上位で恥ずかしい。走行車線と追い越し車線もわからない人々。私はその原因が教習所にあると睨んでいる。

どうにかならないものか。

ジーンズのこと

2016年04月12日 | たわいない話
今日の夕方、少し空き時間が来て某ショップへ。数日前に顔を出し、なんだか「呼んでいる」と感じたジーンズを手に取る。

店員さんに「ネットでは完売」と聞き、サイズも合致したことで購入意欲がマックスとなる。

私は、大学生のとき気に入ったジーンズがあった。絶妙なブリーチ、そして完璧な場所に完璧な破れ具合。時間をかけて完成させたのだった。

ところがある日。完成間もない時期に不幸が起こった。なんと、亡き祖母が「捨てた」というのだ。

言い分としては、「破れている」「痛んでいる」。すなわち捨てるに値するというものだった。気づいたときには既に遅かった。

そのとき以来ジーンズへの細工はやめていた。折しもバイト代のほとんどを服に使う学生時代。他にも気に入ったパンツがあったので紛らわすことができたのかもしれない。

30年近い時を経た今日、購入したのはすでにブリーチがかかり、破れ具合も完璧なやつだった。

ところが、買ってから気づいたこと。それは、本来膝の部分にあるはずの破れている箇所が、随分と下にあったことだった。

それはつまり、ウェストサイズに比して足が短いことを意味する。そんなことはわかっていた。しかし現実は厳しいものだ。

生命の息吹

2016年03月29日 | たわいない話
今日は気温が上昇するとの予報。昼間はそれなりに暖かかったが、いっきに春本番とはいかないようだ。特に私が住む場所は肌寒さが残っていた。

今日は家の庭のタラの木の話題。この木は10年くらい前に植えた。当然だが年々幹が太くなり背丈も高くなってきた。

夏場は葉が茂り木陰をつくってくれて役に立つ。しかし目的は新芽を摘み食卓に役立てることであることを考えると、背が高くなるのは不便。

よってシーズンが終わればかなり思い切った剪定を重ねている。ご覧のようにかなり歪(いびつ)な形状になってしまい見た目はよろしくない。

実は、今回は剪定の時期を間違え、かなり遅くなってしまった。そのため今年はもしかすると芽が出ないのではないかと懸念していた。

ところが今日は、写真のように複数の萌芽が確認できた。これで今年も天ぷらやパスタなどに使えそうだ。つまみが足りなければバターで炒めるとよい。

それにしてもこの木の生命力たるや凄まじいものがある。放っておけば周囲の地面からニョキニョキと芽が出てくる。雑木林で育んだ強靱なDNAは不滅のようだ。

桜も咲いた。タラの芽も出た。鶯の囀りも板についてきた。力強い生命の息吹が力を与えてくれる季節だ。

「解釈」と「マインド」

2016年01月06日 | たわいない話
ここ最近気になることがあり「リーガルマインド」という言葉をテーマに取り上げたくなった。

私は法学部出身。当時教わったのは、法学部で学ぶべきことは「リーガルマインド」の獲得だということ。

ではその「リーガルマインド」とはなんだろう。少し調べてみて最もしっくりきたのが以下の説明だ。

「各問題について、法原則や条文を根拠とする合理的な推論によって論理的に考え、きちんとした法的理論構成を行うこと」

これはいわゆる「主観的な解釈」とは異なる。

例えば何らかのルール・規約に勝手な拡大解釈を加え「違反」だと騒ぎ立てることはリーガルマインドとは対極をなす。

私自身「法学部出身」ということに多少の思いを持って社会生活を送ってきた。しかし同時に「法」は最後の手段であるという感覚もある。

そんな葛藤の中でキャリアカウンセラー・キャリアコンサルタントという道を選び、それにプラスして社会保険労務士という「リーガル」な側面を持つに至った。

また、「軍師」の学びを通じ、経営の本質を深く知ることもできた。

「リーガルマインド」を起点に思いを巡らす夜。

キーワードは「泰然自若」という言葉。
人生の「軸」は自分しかない。