存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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人生の岐路か

2014年05月22日 | キャリア
先週末のこと、この半年間目指してきたことに結果が出た。

すぐに文章化することができずにいたが、1週間経過した今の思いを話題にしたい。

まだ実感がない。早くその世界に行きたくて準備を進めたいけれど、手元には合格通知しかなくマニュアルの類いや研修の案内などを目にしていないからなのかもしれない。

今回の取り組みに際しては多くの方のご協力をいただいた。練習に付き合っていただいたり、アドバイスをいただいたりした。

時間のない中、かなり無理していただいた方もいた。直接練習には関わっていただけなくても応援してくださった方もいた。

まずはそういった方々の顔が浮かんだ。

そして、ともに学んだ仲間の顔が浮かんだ。同時期に同じ世界に歩を進めることになる人もいるし残念ながら今回は踏み出せない方もいるが、皆大切な仲間だ。

また、一生懸命伝えてくださった講師陣や講座運営に携わってくださった方の顔も浮かんだ。なんとありがたいことだろう。

しかし改めて私はなんのためにこれを目指したのかも考えた。これまでに出会った多くのクライエントの方々や仕事の仲間、お客様…すべての人に尊い人生がある。

それら多くの人生に触れさせていただいたことが、今回の成果に繋がったのだと確信する。

これからも一人ひとりとの出会いに感謝の気持ちを抱きながら人生という大冒険を続けて行こう。本当の意味で人の心に向き合える日々が待っている気がする。

岐路は高揚と不安を伴う。

人手不足の時代

2014年05月15日 | キャリア
飲食大手の企業が運営する多くの店で「人手不足」を理由として休業しているとの記事を見た。

時給を上げても応募がないそうだ。人がいなければ店を運営することはできない。

理由としては様々な要素が考えられる。景気回復という時代背景の中で、有効求人倍率も上昇している。業種・職種の偏りもあろうし、個別企業のイメージもあろう。

いずれにしても、企業は人を採用しにくい時代になっていることは確かだ。

採用する側にとっては死活問題である。機械化や業務の簡略化・効率化が進んでいるとはいえ、特にサービス業は人が命である。

私が転職支援をしている香川という一地方でも同じようなお話しを伺うことがある。

労働者からしても、景気の高揚感を感じる中で次のチャンスを求める気持ちになるかもしれないし、実際にチャンスは多くなっているかもしれない。

しかし、転職は安易に考えるものではない。自分自身の中に転職先の職業に就く理由がしっかりと存在するかどうかの見極めが必要だ。

「なぜこの仕事なのか?」
「なぜこの会社なのか?」

これを語れずに転職活動をする人は意外と多い。

受け入れ側とて同様だ。しっかりとした経営の指針が存在しなければ、優秀な人材は来てくれない。

人にも企業にも絶対的に言えることは、「理念」を持つことの重要性だ。

「自分軸」が揺らいでいると感じる人は転職に際して改めて自分を知ることが必要だ。
また企業経営にも「経営の軸」が必要だ。

山のこと

2014年05月14日 | キャリア
新緑美しいこの季節、山へ行きたくていろいろと思いを巡らせた。そして「なぜ山に登るのか?」を考えていた。

山へ行くメリットはたくさんある。

心筋を鍛えること、達成感を得ること、そこへ行かなければ見られない景色に出会えること、一人になって考えることができること、森林浴ができることなど…。

自分の足を使ってすばらしい経験をすることが可能だ。

山登りは人生に似ている。仲間と達成感を感じることを求める人はパーティを組んで出かけ、ひとり考えることが好きな人は単独行を好むかもしれない。

すべて人それぞれだ。

私にとっての山は「冒険」のフィールドだ。美しい景色を見ることも大切だけれども、新たな自分自身への気づきや発想を得る場でもある。

すれ違う人々との一期一会の先にある人生を思う。その家族の、その職場の…様々な関わりを思う。もちろん自分自身の人生を思う。

人は一人では生きては行けない。支えあって生きている。「ひとりになること」でその大切さに気づくこともあろう。

山へ登ることはそういった人生の機微を考えるのに適している。仕事とかプライベートとかそんな区別はなくて、リアルな人生の場なのだ。

自身の原点・中心に何があるのか。考えることは大切だ。

思い出せない経験があるかもしれない。しかし、考えることそのものに価値がある。人生は簡単ではないけれど考えることは無限だ。

それにしても、次に山へ行ける日はいつのことだろうか(汗)

日本人は減るが

2014年05月13日 | キャリア
少子高齢化が急激に進んでいる。

平均寿命が延びると同時に出生率は伸び悩んでいる。また、生き方の「多様化?」もあって子供の数は減る一方だ。

このような状況に対し、様々な政策が検討されているようだが、どれが打開策に繋がるのか答えを明確にすることは難しいだろう。

年金受給年齢の引き上げも検討されている。75歳からだと受給できずに亡くなる人も少なくない。

そもそも年金よりも生活保護の給付額の方が高額である。ますます年金を納めるのがばかばかしくなるといった声は高まるだろう。

子供を増やせばよいということになるのだが、これが一筋縄とはいかない。

いわゆる「国策」としては様々な取り組みがされている。出産や育児に対する給付があるし、まだ十分とは言えないまでも子供を預けて仕事に行きやすい仕組みもある。

しかし子供は減り続けている。社会不安が原因なのだろうか。または生物学的に日本人の生殖能力が劣化しているのだろうか。

社会全体の問題として捉えるマクロ的視点の一方で個別の事情もあるだろう。いや、個別の事情の積み重ねが今の社会を作っているとも言える。

いずれにしても日本人が減る。私はそれを食い止めることは難しいと感じている。すなわち日本の国力は減退することを意味すると言っていい。

その中で「いかに生きるか」が今私たちには問われている気がする。

経済的な繁栄だけが価値ではない。日本人の良さ、麗しさは別の所にあるのだろう。

看護の日

2014年05月12日 | キャリア
今日は「看護の日」。近代看護境域の母といわれるフローレンス・ナイチンゲールの生誕日に因んで制定されたそうだ。

「白衣の天使」という呼称の源とされるが、「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」という言葉に象徴されるようにイメージとは異なる面もあるようだ。

キャリアカウンセリングの理論家ジョン・L・ホランドの分類でいうと、看護師の興味や能力は「S」すなわち「社会的」なものだと思われがちだ。

しかし、結構な割合で「R」=現実的や「I」研究的、または「C」=慣習的などにも分布があるということを聞いたことがある。

ナイチンゲールは統計学にもかなりの能力を発揮したという点や、「社会起業家」と言われるような「企業的」=リーダシップも併せ持ち、マルチ人間だったのかもしれない。

私には看護師の知人が結構いる。今日も複数の方に会ってきたのだが、彼女たちはどのような心持ちで看護師として働いているのだろう。

そのようなことを考えたのは「看護の日」と知ったからであるが、結局はどの職業にもさまざまなタイプがいる。

人材ビジネスに就く我々仲間もタイプそれぞれだ。「人のために…」という「社会的」な人がいれば、事務が得意な「慣習的」な人、「研究的」や「芸術的」もいるかもしれないし、「企業的」も多くいる。

いずれにしても人は面白い。

様々な個性が集まって組織は動いているのだなと感じた今日だった。