存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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すべての命に価値がある

2016年07月26日 | キャリア
今朝、報道は衝撃的なニュース一色に染まっていた。多くの尊い命が失われたという。たった一人で、しかも短時間での犯行。史上稀に見る凶悪犯罪だ。

私はどうしても障害を持つ二男のことを頭に浮かべてしまう。場合によっては将来、今回のような施設にお世話になることとなる。

つまり、他人事ではない。

それでもいまだ自分の身に置き換え捉えることができない。それほど現実離れした異例の事件だと言える。

人により見方は様々だろう。当然犯人への憎しみの声は多いだろう。報道によると大麻での逮捕歴もあるそうで、未然に防ぐことができなかったことへの怒りの声も出るだろう。

亡くなった方々の無念はもとより、ご家族の方々の悲しみはいかほどだろう。特にご家族は、どうやっても解消できぬ憤りを抱えて今を過ごしておられるのかもしれない。

そんな今日ふと思った。いつか犯人である植松某と話したいということだ。失われた命すべてに価値がある。その価値を権利なく奪った彼の、その命にもまた価値がある。

薬物等による心神喪失などの酌量がなされなければ間違いなく死刑。自らの命が尽きるとき彼は何を思うのだろう。その命に価値を見出すことができるだろうか。

季節の音の自己概念

2016年07月20日 | キャリア
今日も暑い一日だった。「梅雨明け十日」という言葉があるとおり、この時期の天候は安定する。まさに登山に適した季節といえる。

私の高山への登山歴は梅雨明けからお盆前の週に集中している。まさに心がざわつく季節である。

この季節に必ず思い起こす音がある。それは長野県・松本駅のアナウンスだ。列車が到着するたびに流れる「まつもと~、まつもと~、まつもとです」という女性のアナウンス。

最後に聴いたのはもう15年以上前。今も同じ声であるはずはないが、おそらく子供の頃から聞いてきた懐かしい声だ。今も同じ風情であることを願うがどうだろう。

今日、8月までのスケジュールを確認する作業をしてみた。ほとんど家にいない予定。山へ出かけることはままならない。

しかし改めて周りの音に気を配ると色々気づく。蝉の声は定番だが、今朝になって近所の森のウグイスの声が「ホーホケキョ」から、地鳴きといわれる「チャッチャッ」に変わったようだ。

これらの他にも「音」にフォーカスしてみると、様々思い起こすことがある。清流の音、風鈴の音、花火の音など…

音に感じる季節感。これは自らの自己概念の形成過程でもある。
松本へ行きたい衝動にかられている。

自分の季節

2016年07月19日 | キャリア
梅雨が明けた。昭和42年の関西地方における梅雨明けの日に生まれた私は、この時期ソワソワする。「空気が変わる」ことを五感で感じる。

この週末は初めて「エニアグラム」を学んだ。エニアグラムでは生来の「気質」を見出すことを目指す。9タイプの中で自分はどれか…

生まれてこのかた多くの経験によってパーソナリティが形成されている。従って生まれながらの気質を見出すのは容易ではない。それでも普段の言動や顔つきまでにも表出しているそうだ。

こういったことを学び、改めて梅雨明けの日に感じる感覚について考えると、なんともいえない感慨を持つ。

自分自身のタイプであるからこそ感じることなのかもしれないなーなどとも考えた。改めて人って面白いなと強く思う。

49年前に感じたであろう「生まれいずる」という感覚。それは梅雨明けの「空気が変わる」につながるような気がした。

いよいよ本格的な夏が到来。とびきり暑い日には強いワクワク感を持つことや自己概念につながる経験が夏に多いことなど、夏は「自分の季節」と言ってよい。

昨日までの高知・松山を皮切りに、この夏は松江、大阪で過ごすことが多い。夏の旅と出会いと学び。これが私の自己概念へとつながっている。

幸福の礎

2016年07月13日 | キャリア
今日は、良寛の研究者としても知られる歌人の吉野秀雄の忌日だそうだ。新潟県出雲崎町の良寛堂にはこのような彼の歌碑がある。

「掛け網の錘触れ合ふ音すずし良寛堂の裏浜来れば」

夏に読んだ歌だろう。力強さとともに繊細さも感じさせる歌。絵画のような風情を感じ、日本海の紺碧が広がっている様子が伝わる。

彼が亡くなったのは1967年の今日。つまりは自分が生まれたその日である。

今日まで吉野秀雄のことは知らず。しかし、自分が生まれたその日に亡くなったと知れば興味も湧いてくる。

調べると、決して順風満帆な生涯ではなかったようだ。経済的にも恵まれたとは言えない人生。それでも清らかに生きた先人を偲ぶ日となった。

私自身は今日から40代最後の1年を過ごす。彼が亡くなった65歳まで僅か16年。それでもできることはたくさんある気がしている。

健康でいられるかどうかもわからない。しかし、そのときに応じた自分らしい人生を送ることはできる。順風満帆でなくても、経済的に恵まれなくても、幸福は手に入れられる。

キャリアの仕事は幸せを届ける仕事。その前提には、自ら幸福を築く必要がある。そんな自らの幸福の礎とは…

そんなことを考える誕生日を過ごしている。

香川の車事情(実感編)

2016年07月04日 | たわいない話
かねてより、香川県内の車運転技術について思うところがあった。しかし今日という今日は、そのことを強く実感することになった。

スクランブル交差点は思うとおりに青信号が巡ってこない。そりゃたまには間違えて赤信号を進む人もいる。

今日はそんな場面に出くわしたのだが、驚いたのはそれだけではなかった。その後ろにつけていた二台の車がそのまま前進したのだ。

つまりは信号を見ず、前の車の動きだけを見て前進したのだ。そしてついに気づかずにそのまま。運良く青信号の方向から車が来なかったので事なきを得た。

しかし、当事者はいまだにこのことに気づいていないのだろうなと思う。本当に恐ろしい。

と、今日はこんな日だったのだが、もっと恐ろしいことが起こった。

なんと、新車の後部バンパーに当てこすりの傷を発見。絶対に自分ではぶつけていない。誰かの当て逃げだ。

おそらくペイントで隠す程度になるのだろうが、非常にショックな一日。木曜日にディーラーに行く。保険はきかない。なんてこった。

香川県の車事情。常に事故率上位で恥ずかしい。走行車線と追い越し車線もわからない人々。私はその原因が教習所にあると睨んでいる。

どうにかならないものか。