仕事上で新たに契約した転職サイトに自己紹介欄のコメントを書いた。
「自分が転職を考えたときには自分に相談するだろうか?」
そう書いてみてこの矛盾にも気づく。キャリアカウンセリングには客観的な視点が不可欠だ。「自分に向けて客観的な目線をどこまで注げるか?」これは難しい。
今回の「自分が転職を考えたときには自分に相談するだろうか?」の真意はそういうことではなく、いわば「レベル感」がどうか?自分自身が「被相談者」たりうるか?ということなのだった。
しかし別の角度からは、社会の諸対象の中における自分自身の正確な立ち位置を知ることは本当に難しいと感じる。
「自己概念の明確化・明文化」これさえも簡単なものではない。おそらく自己への問いかけだけではそこへ至る道は遠いだろう。
ここ数ヶ月、新たな出会いをいただく中で気づいたことは、自分は「自由」という言葉をよく使うということだ。
自己概念の周辺にある言葉かもしれないが、そもそも自由でありたくない人間が存在するかどうかは疑問である。従って「自由」そのものが私の自己概念ではないのではないか。
むしろ本当の自分、即ち「自己概念」といえる言葉に出会ったときに初めて、人は「自由」になれるのかもしれない。
「自己概念の明確化」これは安易なものではない。今まで言葉だけで捉えすぎていたのではないか。イメージの世界だけで考えていたのでは?
それにしてもこれは、とてつもなく大きくて楽しい課題なのだ。
「自分が転職を考えたときには自分に相談するだろうか?」
そう書いてみてこの矛盾にも気づく。キャリアカウンセリングには客観的な視点が不可欠だ。「自分に向けて客観的な目線をどこまで注げるか?」これは難しい。
今回の「自分が転職を考えたときには自分に相談するだろうか?」の真意はそういうことではなく、いわば「レベル感」がどうか?自分自身が「被相談者」たりうるか?ということなのだった。
しかし別の角度からは、社会の諸対象の中における自分自身の正確な立ち位置を知ることは本当に難しいと感じる。
「自己概念の明確化・明文化」これさえも簡単なものではない。おそらく自己への問いかけだけではそこへ至る道は遠いだろう。
ここ数ヶ月、新たな出会いをいただく中で気づいたことは、自分は「自由」という言葉をよく使うということだ。
自己概念の周辺にある言葉かもしれないが、そもそも自由でありたくない人間が存在するかどうかは疑問である。従って「自由」そのものが私の自己概念ではないのではないか。
むしろ本当の自分、即ち「自己概念」といえる言葉に出会ったときに初めて、人は「自由」になれるのかもしれない。
「自己概念の明確化」これは安易なものではない。今まで言葉だけで捉えすぎていたのではないか。イメージの世界だけで考えていたのでは?
それにしてもこれは、とてつもなく大きくて楽しい課題なのだ。