主人の従姉の一周忌の法事に行ってきました。
その方は、従兄弟の中で最年長だったので、私の母とほとんど同年代でした。
式が終わって、会食のテーブルに移った時、
ひとりの従姉が、つけていた真珠をはずし、ビーズのペンダントに付け替えました。
ゴージャスですが、なんとも品がよく、思わず目を見張りました。
「なんと行き届いて..」
「法事でも食事の時は華やかにするのがマナーなのだろうか?」
と頭の中で???
その時、これは亡くなった従姉の手作りであることに気づきました。
主人の親戚では、私を含めて女性が5人出席していました。
他の方を見回すと、あとふたりの方は真珠とビーズを重ねてつけていました。
私は「XX子さんの手作りですよね?」と伺ってみました。
その通りでした。
皆さん、形見に頂いたビーズのペンダントを身につけて、会食に臨まれたのです。
シルバーとゴールドがこん然として、とにかく美しいのです。
実は、私も手作りのビースのペンダントを頂いていました。
でも、それは黒いニットにぴったりで、フォーマルとは違った物でした。
頂いた時、意味がわからず、
ビーズがお得意でいらっしゃるのだわ、沢山出来たので私にも下さったのかな?
と単純に思ったのですが、実は死を覚悟しての形見だったのです。
従姉は肺がんにかかっていました。死の予感の中で、
親戚の女性全員に手作りのビーズを次々と作られていたのでしょうか?
ご自分と相手の関係をきちんと見極めて、より親しい人にはそれなりの物を、
おつき合いの薄い人には、それよりは気楽な物を下さいました。
なんと思慮深い方なのだろう..と、私は教えられる思いでした。
そして、それぞれデザインが相手の雰囲気にあうように考えられているのです。
私の場合はデザイン的にも、法事につけていくことは思いつきませんでしたが、
いつも頂いた時のことを思い出し、ビーズを作っている従姉の姿が浮かび、
遠い存在だったのに、その従姉のことをしばしば思い出します。
形見の値打ち、意味を教えられました。
会食の始まりのご挨拶で、その息子さんが
「母はおもてなしに執念を持っていた、だから今日は赤ワインもどんどん飲んで下さい」と。
「伯母さんは頑張りの方でした」とのお話しもありました。
ステキな方だったのだなあ..と改めて思いました。
私も見習いたいと思いました。
ありがとうございました。
従姉の方の形見のペンダント、なんとモダンなんでしょう。
なんとなく大正ロマンを感じるデザインですね。
お歳を召していても感覚は鋭く冴えて見事な作品だと思いました。
きっと素敵な方なんだろうと思います。
私ももし死が迫っていたら、何かしら形見を作るかも知れません。(もし手や目が健全だったら、のことですが…)
そういう自分に憧れます。
心、洗われる思いがしました。
死を前にして凛としたお姿が想像でき
とてもマネはできないかと思いますが
それでも、凛とした生き方に憧れます。
日々の心の持ち方、暮らし方によって
“凛”とした生き方ができるのでしょうね。
それにしても、とっても素敵なペンダントですね。
ゴージャスだけれど、とっても品があって・・。。。
私は今まで形見について、ほとんど考えたことがありませんでした。
3年前に、高校1年の時の親友が亡くなった時はショックで、最後に頂いた年賀ハガキやお手紙がとても大切に思え、あわてて保管しました。
お友達つき合いの最後の品、思い出ですものね。
ビーズのペンダント..
ずっと年上で遠い存在の従姉でしたが、このペンダントのおかげで私の中に生きているのです。
一周忌の席でも、ペンダントを通して、従姉の存在が常に感じられました。
従姉からは、形見について考えるきかっけも頂きました。
私のペンダントはこんな感じでしたが、
もっとフォーマルな感じのペンダントを贈られた方が多かったです。
そのどれもが素晴らしいのです。
私の母ぐらいのお歳でしたし、会う機会も少なかったのですが、素敵な方でした。
皆にペンダントを贈るけれど、ただ平等にするのでなく、相手との関係をきちんと考えて、相応しい品を贈っているところにも、教えられました。
確かに手や目が健全でないと、作りたくても作れませんね。
(ここで)皆で話していると、いろいろな視点が出てきて、考えさせられます。
とても素敵な従姉でした。
従姉はおもてなし上手で、フルコースの洋食器を買って、外で食べると高いから、家で食べましょうと皆にご馳走してくれたそうです。
私がお会いしたのは、法事や葬儀の時だけでしたが、美しい真珠のブローチをつけていらっしたのが印象的です。
私の母と同年代でしたから、私達はまだこれからと思います。
日々の心の持ち方、暮らし方を大事にして、凛とした生き方が出来るようになりたいです。
(いろいろ目指すことが増えてきました~♪)