今、「光る君へ」を見ているので、
YouTubeの動画に数多アップされている、
当時の平安貴族たちの行く末を知るのが楽しみだ。
ドラマが放送されるたびに、この人は、今後どうなる、こうなると、
微に入り細に入り、動画の解説者たちは教えてくれる。
それを見ていると、まるで、人間関係の縮図が曼荼羅のように透けて見えるのだ。
確かに、今後、道長の権勢は続くだろうが、
実はその後は、なんやかやと復讐されてゆくのだ。
道長にしてやられた人達の怨念みたいなものが、
その子供や孫に影響してくる。
ああ、これこそが、人生はバランス、家系のバランスというものだなあ・・・と
思ってしまった。
何事も行き過ぎると、歴史というものは、上手くバランスを取るように出来ているんだなあと思う。
ここで臍を噛んだ人が、永遠に浮かばれないということはない。
必ず、どこかしらで、歴史の調整が入るのだ。
それが素晴らしいと思う。
なので、権勢というものは、確かにその時はすごいかもしれないけれど、
長い目で見れば、続かないし、一過性のものだということが分るだろう。
そういう意味で、勝者はいないのだ。
みんなどこかしらで、バランスをとって、上手くいくように出来ているんだなと思った。
なので、私も今、不遇だからと言って、泣かないようにしようと思う。
本当は、もう人生も終盤に近付いてきて、まだ、こんな地を這うように生きていかなければならないのかと、情けなく思っているし、もういい加減、こんな状態に嫌気がさしてきている。
他人が定年を迎えて人生を謳歌する頃なのに、私はと言えば、収入も無く、
大して稼ぐもことも出来なくて、これから死ぬまで、
搾取され続けなければならそないのだと思うと、
泣けてくるのだ。
そんな絶望に苛まれているのに、
他人からは、まるで、それが当たり前のように言われる。
悔しい・・・。
そして、この悔しさは、他人には決して分からないだろうと思う。
自分の人生は、一体なんだったのだろうか?とも思うし、
いくら、自分が心血を注いでも、一向に私の作品は陽の目を見ないし、
どこが間違って、こうなっているのだろうと考えてしまうのだ。
自分の生き方が間違っていたのか。
他人からは、キリギリスのような生き方に見え、
今、この苦境に立たされているのを、
ざあまみろ!と言われているような気がしてならない。
一生、自分の好きな事をして暮らしていく!と豪語してきた私が、
回りのまともな人達から復讐されているような気がしてならないのだ。
でも、それでもいいや。
自分は何も間違ったことなどしてこなかったし、
自分は、自分の物語を書くためだけに生きて来た。
それに後悔はないさ。
でもね、でもさ。
こんなに報われなくてもいいのかな?
こんな人生でいいのか?とは思っている。
情けないけど、みっともないけど、
私だって、活躍したかったんだよ。
ちゃんと、本で食っていきたかったよ。
でも、駄目だったんだよ。
チャレンジしたけれど、駄目だったんだよ。
今、自分は、血の涙を流しています。
☆それでは今日もよい一日を。
感謝します。
すべては上手くいっている。
なんか、先週から、絶望ばかりしていて、
なんにもやる気がでないんです。
本当、どうしたらいいんだろう・・・。
この苦しさはどこからくるものなんだろう・・・と思うよ。
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