あなたが子どもを通わせている学校にあなたの妻が授業参観などで行ったとき、校長があなたの妻の腰や胸を触って、しかもそれが他の保護者含めて複数回あったとしたら、そんな報告を妻の口から聞いたら、果たしてあなたはどうする?
「許容性のない世の中は嫌」と言うあなた。
じゃあ、あなたの妻に校長がセクハラして、研修後にまた校長として戻ってくるのも平気なのか?
セクハラ校長が復職した後にその学校に子どもを通わせるのも平気なのか?
もし復職したとして、仮に違う学校に赴任したとしても、教職員・児童・保護者から事前に猛反対が出るだろうし、あるいは反対を押し切って赴任させたとしても現場は混乱するだろう。
教職員だって、セクハラオヤジが来た、って思うだろうし、児童も保護者も「セクハラ校長」「前科者」「スケベおやじ」って感じでまともに接しようとはしないだろう。
多分各家庭で保護者が「校長先生とお話しちゃいけませんよ!!」なんて言う可能性も大。
あるいは同じようなケースがあなたの身に降りかかった場合、我が子に校長の悪口や批判的言辞をひとっっっっっっ!!ことも言わない10,000%の自信はあるんだよね。
……おそらく校長には誰も口きいてくれないかも知れない。それでまともに校長としての権能を発揮できるのか甚だしく疑問だ。
最悪、ボイコットかストライキにでもなるんじゃないのかな。
「許容性のない世の中は嫌」
嘘は言わないでほしい。
あなたの出自のことについて週刊誌が色々と論じたとき、猛烈に批判したのはあなた。許容しなかったよね。
パー券買った人しか入れないところで、マスコミの悪口を散々言いまくってたあなた。
マスコミを許容してないよね。
本当に許容性のある世の中が好きなら、
マスコミの悪口言いまくったり、週刊誌を猛烈に批判したり、するはずないよね。
自分自身に対する批判的な意見や感想、それらに対して誠実に対処できていないあなたが言うべきセリフではないと僕は思う。
嘘を言った意識がないのなら、いい加減に気付いてほしい、自己矛盾に。
身内とか自分の肝いりで起こした政策での失敗にはおおいに許容性を発揮し、自分の嫌な部分に対する意見には全く許容性を発揮しない、という自己矛盾に。
難しいことかも知れないけどねぇ。。。。
「許容性のない世の中は嫌」と言うあなた。
じゃあ、あなたの妻に校長がセクハラして、研修後にまた校長として戻ってくるのも平気なのか?
セクハラ校長が復職した後にその学校に子どもを通わせるのも平気なのか?
もし復職したとして、仮に違う学校に赴任したとしても、教職員・児童・保護者から事前に猛反対が出るだろうし、あるいは反対を押し切って赴任させたとしても現場は混乱するだろう。
教職員だって、セクハラオヤジが来た、って思うだろうし、児童も保護者も「セクハラ校長」「前科者」「スケベおやじ」って感じでまともに接しようとはしないだろう。
多分各家庭で保護者が「校長先生とお話しちゃいけませんよ!!」なんて言う可能性も大。
あるいは同じようなケースがあなたの身に降りかかった場合、我が子に校長の悪口や批判的言辞をひとっっっっっっ!!ことも言わない10,000%の自信はあるんだよね。
……おそらく校長には誰も口きいてくれないかも知れない。それでまともに校長としての権能を発揮できるのか甚だしく疑問だ。
最悪、ボイコットかストライキにでもなるんじゃないのかな。
「許容性のない世の中は嫌」
嘘は言わないでほしい。
あなたの出自のことについて週刊誌が色々と論じたとき、猛烈に批判したのはあなた。許容しなかったよね。
パー券買った人しか入れないところで、マスコミの悪口を散々言いまくってたあなた。
マスコミを許容してないよね。
本当に許容性のある世の中が好きなら、
マスコミの悪口言いまくったり、週刊誌を猛烈に批判したり、するはずないよね。
自分自身に対する批判的な意見や感想、それらに対して誠実に対処できていないあなたが言うべきセリフではないと僕は思う。
嘘を言った意識がないのなら、いい加減に気付いてほしい、自己矛盾に。
身内とか自分の肝いりで起こした政策での失敗にはおおいに許容性を発揮し、自分の嫌な部分に対する意見には全く許容性を発揮しない、という自己矛盾に。
難しいことかも知れないけどねぇ。。。。