私感・雑感

平和、平穏。

安全、安心。

でもそれらを脅かすものは許さない。

暖冬??

2012年01月22日 | 日記

気のせいかも知れないが、何だか今年の冬は、昨年や一昨年の冬に比べて、少し気温が高いように感じる。

ま、まだ1月下旬だからかも知れないが……

自室付近を歩くと、なんだか梅の花のような香りが漂ってくるし、また梅ではない花の芳香も漂っていたりする。
ググってみたが、マンサクでもレンギョウでもなさそうだ。
去年も一昨年も、こんな時期から花の香りなんて……確かしなかったように思う。

昨年の冬は、窓の結露が凍ったし。
また一昨年の冬は、終日外出して深夜に帰宅したりすれば、室温が8度しかなかったこともある。

でもこの冬は、室温が何もしないでも今のところ12度を下回ることはない。


大体15度くらいか。それだけあったら暖房は入れない。
風呂上がりなんぞは暑いので、しばらくはすっぽんぽんでいるし、数分間だけ窓を開けてもいる俺って…ちょっと変かも。

14度か13度を下回ると暑がりな俺でもちょっとだけ暖房を入れる。

いやいや、待てよ、そういえば……去年は洗濯機が壊れていて、洗濯も乾燥もコインランドリーに行っていたんだったな。

今年はといえば、乾燥機をかけている。
そうすれば、室温が少し上昇するので、暖房が不要もしくは軽減できる。
乾燥気味な冬だが、この時期、室内干しだけでは完全に乾くまで2日くらいかかる。
扇風機を使うとかなり時間短縮できるのだが、やっぱり寒い風が吹いてくるのはねえ、この時期はちょっといただけないな。
春夏秋はそうしてる。
特に夏なんかはエアコンかけて扇風機を少し強い風にして……たった1時間少々でOK(@_@;)!

春秋(最近短くなったなぁ……)の、冷暖房のいらない時期には、窓を開けてそちらに向けて風を送る。

……でも本当に寒く感じるのはこれからだよなあ。
油断しないように気をつけるとしよう。


フィルムカメラの思い出

2012年01月22日 | 日記

私が子どものとき、いわゆるハーフサイズのカメラを家では使っていた。
ネガフィルムのひとコマ分に二つの画像が入るものだった。
メーカーは確か、CanonかNikonだったか。

そのカメラには随分とお世話になった。

小学生の頃、いわゆる「スーパーカー」ブームがあり、車の通行量の多そうな場所に出かけては珍しい車の写真を撮ったりしたものだ。

中学生のときには、いわゆる遠足や校外学習などには持っては行かなかったが、なぜか修学旅行だけはカメラ持参OKだった。

信州の美しい自然、白樺湖、白糸の滝、志賀高原……などを撮影した。

高校生の頃には、電車であちこち出かけるのが好きだったので、結構色んな写真を撮った。

桜の咲く時期には、嵐山、造幣局の通り抜け、天龍寺の美しい庭、夏には祇園祭の山鉾……
そういった、数多くの風景などを撮った。

そのカメラは、いわゆるマニュアルカメラで、絞りやシャッタースピード、フィルム感度も全て自分で調節しないといけないものだった。

だからちょっと距離感を間違えると、たちまちピンボケの写真ができあがる。
そのときの明るさを考えずにシャッタースピードを調節すると、明る過ぎたりあるいは暗すぎたりと、ちょっとおかしなネガができたりした。ポジにする段階で調節してくれたが。

たまに、フィルムの巻きつけに失敗し、ギアに咬ませずに写真を撮りまくって、真っ黒けのものしかなかったり。

またあるときは、レンズのキャップを外し忘れたままで撮りまくって、フィルム1本おじゃんにしたり。

今世間で一般的に使用されているデジカメなんかだとそんなミスは起こらないんだろうな。

あ、因みに今私はデジカメを持っていないので、画像撮影が必要なときには携帯のデジカメ機能を使う。


大学生の頃には、父がハーフサイズではないカメラを買ったので、それが我が家では使用された。
これはオートフォーカスで(いや、昔の言葉で言えばバカチョンカメラというのだが、それは差別表現ということだろう)、色々な調節が不要な、便利なすぐれものだった。撮影日時も写し込むことができた。

しかし一応、画面の中心に存在するものにピントが合うような設定になっていたようで、主な被写体を画像の周辺部に置きたいときなどはやはりピンボケになったりもした。

本当はそのオートフォーカスを末永く愛用したかったのだが、いつの間にかデジカメが普及し、今となってはフィルムを現像してくれるところはほとんど見当たらなくなった。

だからネガフィルムとのお付き合いは20年以上なのだが、その殆どがコダックだったと思う。

他のメーカーのも、例えばサクラとか富士フィルムとか、何回かは使ってはみた。

メーカーによって、発色には微妙に差があり、確かサクラは暖かみのある色合いで、赤や黄色、橙などの暖色系の鮮やかさが私には印象深い。

一方コダック製品は、どちらかと言えば暖色系には強くなく、全体にやや青みがかったような色調だった。その、少しブルーがかった色合いが私は好きだった。

印画紙も、確か昔は光沢、半光沢(石目)、シルク、と……幾らかは選択肢があったような気がする。
最後にネガフィルムを現像に出したときは、もう光沢しかできないと店では言われた。

写真フィルムの草分け的存在だったKodakが飛んだというニュースに、一抹の寂しさを感じた。

評判

2012年01月22日 | 日記
評判

食べログのやらせが発覚したのは記憶に新しい。

ところが今度は化粧水のクチコミもやらせが発覚した。

以前、行列ができるからと言って、必ずしも美味い店かどうかは行ってみないことには分からないと……確か5年以上前に書いた記憶がある。

あ、あった。

http://blog.goo.ne.jp/paix31415/d/20061226
作られた流行、あるいは作られた行列、作られた人気。

歌手やアイドルだってそういうのはある。

テレビやラジオの歌番組が全盛期の頃、芸能プロやレコード会社が売り出したい歌手のリクエストハガキを1枚いくらで書くというバイトがあったらしい。

いつでもこういうのは消えないな。

音楽媒体がマスコミやレコードからCD、そしてネット配信のDL、と形を変えても、まだそんなのもある。

つまり、レコード会社や芸能プロダクションが、学生バイトを雇ったり日雇い派遣業者に依頼して、1人で同じ人の同じ曲を数十回DLするということもある。

具体的に誰かはここでは書かない。

勿論、飲食店や化粧品メーカー、あるいはアーティスの全部が全部、そういう、やらせ手法を使ったと主張する気はさらさらない。

要は、人気が出ているからとか、多くの人が高評価をしているからとか、行列ができているからとか、そういうものを絶対視しないで、自分の感覚をもっと信頼しよう、ということを言いたいだけだ。

味とか香りなんてはっきり言って好みの問題だし、聴いていて心地よい音楽かどうかだってその人それぞれだし、ね。

※1月23日、リンク不備を修正


帰ってきた酔っパイ

2012年01月21日 | 日記

地元の組合の旗開きで、まぁ、つまり飲み会でんな。

食べ過ぎず、飲みすぎずで、丁度ええ酔い加減です^^

買出し担当だったんですが、仕入れた食材はほぼ綺麗に片付き、
残りを持ち帰ろうと思って持参した弁当箱は……
全あぁったくく出る幕がありませんでした^^

おぉ、素晴らしい!!♪

需要と供給がこんなにピッタンコだったのは初めてです。

ま、後で、足らんかった~って不満があるかも知れませんが、
余るよりもはるかにマシです。

あ、でも金麦と淡麗は4本持ち帰りました。

どうなったかって?

今飲んでます……(^^;

あ、そうそう、タイトルにあるのは、言うまでもなく、
フォーク・クルセイダーズの

「帰ってきた酔っ払い」

のパクりです~

あ、臨死体験もしてませんし、階段も登ってませんし、
キレイナネエチャン?!にも会うてませんよ~

ほんなら また~(^^)/




Cafeの閉鎖に思うこと……

2012年01月12日 | 日記

5年ほど前に、迷い込むような形で始めた日記サイト、OCNCafe。

そこでは、色々と楽しいことや辛いこと、鬱陶しいこともあったけど、
随分と今の自分にはためになったと思っている。

ところが、Cafeが閉鎖されるとの知らせを年末に聞いた。

Cafeでは色々と……あった。

比較的気の合う人との交流が多かったのだが、ときには全く政治的・社会的見方で対立することも、
あるいはときには激しく論争することも、あった。

どうしても許せない人には、もう二度とそのサイトには行かない、足跡も受け付けない、という態度を
取ったりもした。

またあるときには、気持ちが不安定な友人との交流の中で、自分自身もどうしてよいのか分からず、
一方的に絶交と復活を繰り返されたりした。

過去にも何度かそういうことがあったのだろうか、最後のやりとりの頃にはすっかり
お友だちが入れ替わってしまっていた。

またあるときは、ふとしたきっかけで知り合った人に恋心を寄せ、そして出会い、別れた。

もう今は恋愛感情は残っちゃいないが、僕が色々と、大きくハンドルを切るきっかけになった……
そういう意味では、大切な人には違いない。

今はよき人生のご伴侶に恵まれ、幸せに暮らしているようだ。

僕自身は感情移入が激しいほうなので、ネットの文字でも、
喜怒哀楽が読んでいて伝わりすぎるほど伝わることがしばしば……ある。

しかしその中で、かなりネットでの人間関係に依存的になっている自分にも
気づき、丁度その頃運動団体に就職したことも相まって、一時Cafeから
は相当距離をおいた。

その頃、発達障害があることが分かった。
でもそれは、運動団体に就職してなかったらあるいは分からなかったことなのかも
……知れない。

だからその団体は、僕の人生の上では大きなターニングポイントになったことは違いない。

つまりここに迷い込まなかったら、あるいは今の自分はなかったかも知れない、とすら
……思う。

最近は色々な事情で立ち寄ることが減っているが、そんな色々な想い出のあるCafeが閉鎖されるのは、残念で仕方がない。

ここの日記も、数ヶ月前から手作業でチョコチョコとFC2に引っ越したりしていたのだが、
一旦goo blog に移してからなら簡単に「お引っ越し」できそうだ。

きちんと形を整えるまで、少々時間がかかるかも知れないけど、またちゃんとやっておこう。

あ、BBSは引っ越しできないんだよな……。

しゃあない、これは手作業するか。