関西、近畿地方を拠点としている人間にとって(つまり僕のことだが)、伊吹山の雄姿を見ると「ああ旅に出てきたな」という感慨が湧く。東に旅立つとき、滋賀県~琵琶湖の際を行くときはまだ地元感覚。列車が米原を過ぎ、進行方向左手に伊吹山が見えるとようやく旅モードに入ることが出来る。ここから先は「関西」ではないのだなと。
古代不破の関が置かれ、関東と関西を分けていたこの県境は未だに「文化圏の違い」みたいなものを感じさせてくれる。伊吹山のふもとは関ヶ原だ。かつて壬申の乱、南北朝青野原の決戦、家康vs三成と、三度も天下分け目の地になったところだが、東西対決に最も相応しい場所なのだろう。
岐阜県は何度も訪れているが、海のない内陸県として隣り合う信州と風土が似ているのかもと思いきやそれが全く違う。これは、ある意味その山ひだのせいで隔絶されていた信濃の国と、交通の要衝であり古くから栄えた美濃との違いが出ているのかもしれない。なので、あくまで僕の感覚だが信州は高原のイメージ、言葉を過ごせば明治以降の洋風の面持ちを持つのに対して、岐阜は伝統的、日本的イメージが強い。不思議な感じだといつも思っている。
美濃ともうひとつ、岐阜は旧国分では「飛騨の国」も併せ持つが、この飛騨地方は地勢的に言えば信州とかわらない高原のイメージがあってもいいのに、高山、古川と歴史的町並みが続き、山懐ろは「奥飛騨慕情」である。信州のような教会やペンションは似合わず、古刹や温泉旅館がイメージに合う。繰り返すが不思議だなといつも思う。同じ北アルプスのふもとなのだが、松本から見れば北アルプスでも高山から見れば「飛騨山脈」という方がしっくりくる。
さて、その飛騨高山は実に楽しいところ。出格子造りの町並みはそれだけで美しいが、さりとて何度訪れても飽きることはない。それは文化が根付いているからだろう。
上三之町に行って写真を撮って終わり、とならないのは高山の実力。例えば木曾の馬籠、妻籠は映画のセット然とした美しさで素晴らしいが、一度行けばもうそれで満足する。しかし高山は何度も訪れてしまう。それは天領として、そして飛騨地方の文化の中心として築き上げられた歴史があるから。なので観光地以外の道をただ歩き、みたらし団子を食べ喫茶店に入り、朴葉味噌と飛騨牛で一杯やってラーメンを食べる、そんな楽しみも出来る。フトコロが深いのだ。やはり泊まるに値する街だろう。
飛騨は奥が深い。例えば千光寺には円空仏がずらり。両面宿儺はド迫力である。その向こう、飛騨山脈のふもとには名湯が連なっている。平湯、福地、栃尾、新穂高と続く温泉ロードはたまらない。あの大露天風呂で有名な水明館佳留萱山荘に泊まったことがあるがこれは素晴らしい。他にも無料または寸志で入れる温泉がズラリ。槍見館は今は立派な旅館になったが、ここの露天風呂から見る槍ヶ岳は絶景である。東洋一の新穂高ロープウェイを使って山々を見ると、それはもう息を呑む雲上の風景だ。しかし何故か上高地から見る風景と一味違うのは、前述した信州と岐阜の違いなのだろう。
山間のルートはこの高山、古川、新穂高が代表だがもうひとつ西のルートもいい。それは白山の麓を辿る道だ。郡上八幡は郡上おどりで高名な城下町だが、その川の流れの清冽さには圧倒される。吉田川はもちろん美しいが、ここには名水100選第一号の宗祇水もある。マニアは行くべき。
北上するとひるがの高原、御母衣と続き白川郷に至る。ご存知世界遺産合掌造りだ。見ておく価値がある。
飛騨の話に終始してしまったが、美濃地方も捨て置けない。東へゆく木曽路、恵那峡を過ぎ中津川・坂下はフォークの聖地なのだが、興味のない人にも見どころは様々多い。、
その県庁所在地はもちろん岐阜市である。ここで、金華山岐阜城(国取り物語で高名ですね)そして長良川の鵜飼を見物した経験はあるのだが、実は岐阜市内で呑んだことがまだない。これは由々しきことで、なんとしてもそのうち実行したいと思う。柳ヶ瀬で呑まずして岐阜を知ったことにはならないと常々思っていて、それが今後の目標なのである。
古代不破の関が置かれ、関東と関西を分けていたこの県境は未だに「文化圏の違い」みたいなものを感じさせてくれる。伊吹山のふもとは関ヶ原だ。かつて壬申の乱、南北朝青野原の決戦、家康vs三成と、三度も天下分け目の地になったところだが、東西対決に最も相応しい場所なのだろう。
岐阜県は何度も訪れているが、海のない内陸県として隣り合う信州と風土が似ているのかもと思いきやそれが全く違う。これは、ある意味その山ひだのせいで隔絶されていた信濃の国と、交通の要衝であり古くから栄えた美濃との違いが出ているのかもしれない。なので、あくまで僕の感覚だが信州は高原のイメージ、言葉を過ごせば明治以降の洋風の面持ちを持つのに対して、岐阜は伝統的、日本的イメージが強い。不思議な感じだといつも思っている。
美濃ともうひとつ、岐阜は旧国分では「飛騨の国」も併せ持つが、この飛騨地方は地勢的に言えば信州とかわらない高原のイメージがあってもいいのに、高山、古川と歴史的町並みが続き、山懐ろは「奥飛騨慕情」である。信州のような教会やペンションは似合わず、古刹や温泉旅館がイメージに合う。繰り返すが不思議だなといつも思う。同じ北アルプスのふもとなのだが、松本から見れば北アルプスでも高山から見れば「飛騨山脈」という方がしっくりくる。
さて、その飛騨高山は実に楽しいところ。出格子造りの町並みはそれだけで美しいが、さりとて何度訪れても飽きることはない。それは文化が根付いているからだろう。
上三之町に行って写真を撮って終わり、とならないのは高山の実力。例えば木曾の馬籠、妻籠は映画のセット然とした美しさで素晴らしいが、一度行けばもうそれで満足する。しかし高山は何度も訪れてしまう。それは天領として、そして飛騨地方の文化の中心として築き上げられた歴史があるから。なので観光地以外の道をただ歩き、みたらし団子を食べ喫茶店に入り、朴葉味噌と飛騨牛で一杯やってラーメンを食べる、そんな楽しみも出来る。フトコロが深いのだ。やはり泊まるに値する街だろう。
飛騨は奥が深い。例えば千光寺には円空仏がずらり。両面宿儺はド迫力である。その向こう、飛騨山脈のふもとには名湯が連なっている。平湯、福地、栃尾、新穂高と続く温泉ロードはたまらない。あの大露天風呂で有名な水明館佳留萱山荘に泊まったことがあるがこれは素晴らしい。他にも無料または寸志で入れる温泉がズラリ。槍見館は今は立派な旅館になったが、ここの露天風呂から見る槍ヶ岳は絶景である。東洋一の新穂高ロープウェイを使って山々を見ると、それはもう息を呑む雲上の風景だ。しかし何故か上高地から見る風景と一味違うのは、前述した信州と岐阜の違いなのだろう。
山間のルートはこの高山、古川、新穂高が代表だがもうひとつ西のルートもいい。それは白山の麓を辿る道だ。郡上八幡は郡上おどりで高名な城下町だが、その川の流れの清冽さには圧倒される。吉田川はもちろん美しいが、ここには名水100選第一号の宗祇水もある。マニアは行くべき。
北上するとひるがの高原、御母衣と続き白川郷に至る。ご存知世界遺産合掌造りだ。見ておく価値がある。
飛騨の話に終始してしまったが、美濃地方も捨て置けない。東へゆく木曽路、恵那峡を過ぎ中津川・坂下はフォークの聖地なのだが、興味のない人にも見どころは様々多い。、
その県庁所在地はもちろん岐阜市である。ここで、金華山岐阜城(国取り物語で高名ですね)そして長良川の鵜飼を見物した経験はあるのだが、実は岐阜市内で呑んだことがまだない。これは由々しきことで、なんとしてもそのうち実行したいと思う。柳ヶ瀬で呑まずして岐阜を知ったことにはならないと常々思っていて、それが今後の目標なのである。
歴史好きにはやはり不破の関!、関が原!!です。
話ずれちゃいますが以前もblogに書いたのですが今回もエスカレーターはどっちをあけたら良いのか迷ってしまいました。
東と西で別れてるのかと思いきや広島では関係なかったような‥。
「東と西の文化の違い」って岐阜を拠点として分かれる、と言いますが拘ると
名水百選の第一号のお水なんて飲んでみたいなぁ!
きっとおいしいんでしょうね!
ただ、関西から見て岐阜から先は言葉もかわってしまいますし、関西、近畿地方でなくなったという実感はあるのです。それが旅に出た実感♪ さりとて岐阜が関東とも思いません(笑)。
うなぎは豊橋で背開きと腹開き直焼きの境らしいですし。いろいろな境界線があるのですね。エスカレーターは万博の影響で関西が左を空けるようになったと言われていますが、エスカレーターをどちらか空けなくちゃいけないなんてよっぽど人口密集地でないと必要ないでしょうから境目など関係ないでしょうけどね。
文化の違いの話は面白すぎてコメントでは書き尽くせませんね。(^-^)
飛騨高山・・なんといういい響きでしょう。
私は2度訪れたことがありますよ。
小さいけれど、歴史の重みがあって、とても美しい町ですよね。
ちょうど、『赤かぶ検事』の収録中で、私が品定めしているお店に入ってきて、ちょっとだけエキストラに加わった想い出があります。
今度高山に行く時には、郡上八幡と五箇山にも行ってみたいです。
で、岐阜と言えば・・
三重在住の友人が、途中に名古屋があるにもかかわらず、岐阜に行くのが楽しみなんだそうです。
男性が遊ぶ場所がたくさんあるとか・・・?
つまり、ゆ、遊郭みたいな・・・
高山をはじめ、岐阜は結構こじんまりとした美しい町が多いような気がします。郡上八幡はいいですよ。
で…。遊郭と言いますかそりゃ金津園のことでしょうが…僕も未踏なので詳細はよく…(笑)。