凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

僕の旅 長崎県

2008年02月25日 | 都道府県見て歩き
 長崎県の面積は、日本の約1%である(一応計算した)。ところが、その100分の1の県が有する海岸線は、日本の約12%にあたるのである。北海道に次いで全国2位。北方領土を計算しなければ、長崎県は堂々の1位である。これにはちょっと驚く。
 なんでこんなに長い海岸線を有するのかと言えば、実に複雑に入り込んだ海岸線にある。リアス式海岸であり、県全てが大小の半島で成り立っていると言ってもいい。なので港湾が実に多く、日本の最も西に存在し大陸にも(世界にも)近いことから、この場所が「日本の窓口」として長く栄えたのも頷ける。
 さらに、島が多い。その数は全国一であり、瀬戸内の県や沖縄県を上回る。小さな島々から、壱岐・対馬、さらに五島列島までを含む。

 その対馬に、以前訪れたことがある。昔の話ではあるけれども。
 対馬には博多から船で渡る。飛行機の便は長崎空港からもあるけれども、船舶は博多からしか出ていない(かつては小倉からも出ていたが。なお、釜山からも出ているがそれはさておき)。何故かと言って博多の方が対馬よりずっと近いからである。なんで対馬が(壱岐も)長崎県に編入されたのかは本当に不思議である。共に国際的な場所であったという括りだろうか。しかし今となっては不便なことだろうと思う。
 船は、島で最も栄えている厳原の町に着く。僕は特に予定もなく町の中心に向かって歩き出した。そのとき目に入った町の風景は、実に威容であった。非常に特異な雰囲気を醸し出す町である。厳原は城下町であるのだが、その武家屋敷群が高い石垣塀に囲まれ、威圧的に聳える。道の両側をうずめるその石塀は荘厳とも言える。こんな風景は日本の他地域では見たことがない。強いて言えば、後にソウルに行ったときにこういう風景に近いものがあった。異国の香りがする。ここを訪れるだけでも価値がある。
 対馬の歴史は魏志倭人伝にも記載を残すほど古く、それについて言及するとまた長大に伸びるので控えるが、歴史好きにはたまらない場所である。僕は宗氏の菩提寺である万松院その他を訪れ堪能し、夜は対馬藩の朝鮮外交施設となった歴史のある西山寺に泊まった(ここはユースホステルとしても開放している)。

 五島列島にも行ったことがある。残念ながら五島全てを回ることは出来ず、最も大きな福江島だけであるが。
 この島は、遣唐使最後の寄港地である。ここから先は広大な東シナ海が広がる。対馬にしろ平戸にせよ長崎出島にせよ、この県が「国境」に存することを実感させてくれる。
 この島はキリシタンの島でもある。福江島に訪れたときはもう所帯を持っていたので、レンタカーを借りて島中を廻った。あちらこちらに教会と「隠れキリシタン」の足跡が残る。驚くほど自然の美しいこの島で、悲劇が繰り返された。

 僕は一時期、キリシタン関係の本ばかり読んでいた時期があり、関する場所にずいぶん足を運んだ。長崎市内や平戸はもちろんのことながら、西彼杵半島にはその足跡(爪痕)が数多い。外海地区には特に色濃い。またここには「沈黙」の作者である遠藤周作文学館がある。関係ないけれども、黄昏時にここを訪れた僕は、あまりにも美しいサンセットを見て鳥肌が立ったことがある。
 島原半島もキリシタン史跡は多い。ここに最初に来たときはまだ雲仙普賢岳の噴火からそう日が経っていない頃で、その被害の痕が実に生々しかったけれど、美しい島原の武家屋敷群は健在だった。教会も半島には数多くあるが、中でも原城址には足を止めざるを得ない。「島原の乱」の攻防戦が行われたこの場所に立つと、僕は今までの城跡めぐりで感じたことのない畏怖感を全身に浴びた。こう単純に書いていいのか迷うが、怨念のようなものをどうしても感じる。

 そんなことばかり書いていても筆が止まらないが、長崎には若い頃からよく訪れていると思う。7、8回は行ったのではないか。本当は何週間か貼り付いて旅をすれば楽しいのだろうけれどもそうもいかないので、足繁く行くことになる。前述の対馬などは金沢(当時住んでいた)から一泊二日で訪れたのである。自分でも無茶があると思う。しかし行かずにはいられない。行く度に発見がある。
 初めて訪れたのは二十歳の時の自転車旅行の途上であったが、その時は長崎市内に三泊したに過ぎない。学生の夏休みでもありもっと長逗留すればよかったと今になって本当に思う。
 そのときは、ベタに観光をした。グラバー園。オランダ坂。大浦天主堂。シーボルト邸跡。崇福寺。興福寺。眼鏡橋。出島(今のように整備されていなかった)。唐人屋敷。平和公園。浦上天主堂。坂本龍馬はんの亀山社中に行きたかったのだが、どこにあるかさっぱり分からず断念した記憶がある。20数年前はそうだったのだ。今は「龍馬通り」まであり観光案内がしっかりとしていて隔世の感がある。また、宿に泊まり合わせた旅人らと連れ立って野母崎にまで泳ぎに行った。その時の淡い想い出などもあるのだが、そんなことを書き出したらキリがないので措く。
 その後も、雲仙・島原半島に集中して、とか平戸に絞って、とかいう形で足を運んだ。ハウステンボスにも行ったことがある。確か僕は金曜まで名古屋に出張で居て、そこから直行夜行バスに乗り込んだのだったっけ。当時九州を周遊券で旅行していた妻(この人はダンナを放っておいて勝手に長期旅行に出る 笑)と合流して見物した。ここにもやはり異国があった。
 一番最近訪れたのは三年前の夏だっただろうか(→関連記事)。この時は久々に長崎市内を徹底して歩いた。どうしても亀山社中へと足が向く。ここには都合三度訪れたのだが、今は残念ながら邸内に立ち入りが出来なくなってしまったようだ。ブームの弊害かなあ。龍馬はんがもたれかかった跡が残る柱の前にもう座れなくなったのは実に痛恨である。

 長崎はまた美味い食べ物が多い。卓袱料理などは実に大層で、料亭に上がって食べるほどの根性もなく街中で「簡易卓袱」なる省略したコースを食べたにとどまるが、なかなかに個性的で美味い。ここは本当に世界と繋がっていると実感できる。料理までが中国、そして西洋とのクロスオーバー的なのだ。
 もちろん、長崎には冠たるちゃんぽん、そして皿うどんがある。名店四海楼でも、また新地中華街でも楽しめる。美味いんだなこれが。このコクというものはなかなか他ではない。中華街は神戸南京町よりまたひとサイズ小さな規模で、ここで東坡肉(豚の中国風角煮)を花巻(蒸しパンに似ている)に挟んで食べるともうそれは至福である。
 さらに個性的なものもある。「佐世保バーガー」などはもう全国を席巻しているが、「トルコライス」なる摩訶不思議な料理は長崎でしかお目にかかれないのではないか。また「ミルクセーキ」。これは、説明は省くが飲み物ではない。スプーンで食べるのである。
 しかしながら、僕が最も好む長崎の食べ物は実は老舗「吉宗」で供される蒸し寿司と茶碗蒸しのセットである。小丼で出てくる蒸し寿司。あなごと桜でんぶと錦糸玉子が乗ったこのトリコロールは実に美しくおいしいが、その同じ大きさの丼で茶碗蒸しが出てくる。僕は茶碗蒸しというのは末期の一品にしたいほど好きであるが、たいていは量が少ない。ここではたっぷりと供される。具も豪勢に入っていて実に幸せな気持ちになる。必ずここには行く。博多や東京にも支店があって入ったことがあるが(好きなのですよ)、なんで関西にないのか。そう思いつつ、また長崎への思いが募るのである(結局食べ物か)。

 なお、以前長崎市内の歴史散策の記事を作ったことがあります。僕にしては珍しい画像付き記事なので合わせて御覧いただければ幸いです。
 →僕の旅番外編・長崎のマニアック歴史ポイント
 

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4 コメント

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Unknown (jasmintea)
2008-02-27 21:55:03
ついに長崎県まできましたね~。何だか一昨年を思い出して感慨深いです。「僕の旅番外編・長崎のマニアック歴史ポイント」も再び拝読ししっかり思い出に浸っていました。
まだ長崎初心者ですからまた行きたいなぁ。
島原半島はどうしても行きたい場所です♪

ちなみに吉宗、おいしいですよね^^
近いので時々行きます。
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>jasminteaさん (凛太郎)
2008-02-28 23:03:39
「都道府県見て歩き」も終盤です。これ書き終わるまではブログは続けないと(笑)。
でもねぇ、光陰矢の如しじゃないですけど、jasminさんが長崎に行かれたのはもう一昨年ですか。ふぅ。番外編作ったのはついこの間のようなんですけどねー(汗)。

島原といい、長崎って本当に見どころ満載なのですね。こないだ別ブログに書いたご当地ソングに長崎が多いのもまた頷けるような。個人的な思い出話もいろいろあったのですが、そこまで書けませんでしたよ。よっぽど前後編に分けようかなと思ったくらいで。沢村惣之丞さんや近藤長次郎さんの墓所をケンカしながら探した話だけでも一編書ける(笑)。

吉宗は好きでしてねー。うらやましい。大阪や神戸に支店があればなー。椎名誠対談で「茶碗蒸しはおつゆかおかずか」という話があったのですが、僕もこれだけでまた一編書ける(笑)。
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おいしいもの (よぴち)
2008-03-04 00:08:11
おいしいものには目がないよぴちです。
トルコライス、ん~。1度食べてみたい。
関係ないですが、九州でも南の方の言葉って、イントネーションが福井弁にとても似ていると思ったことがあります。TVで九州の人がインタビューに答えている音声だけを聴いていて、「福井の人がTVに出てる」と思ってみてみたら、九州の人でした。
そして、福井弁のイントネーションは、韓国語に似ていると思うのです。福井で、国内のラジオ局の番組よりもいい音で受信できてしまう「韓国」の放送を、時に、福井放送だと思ってちょっと聞くと、「あ、これ、ハングルだ」と思うことがよくあるのです。
ものすごく飛躍した発想ですが、やはり地理と歴史が交雑している気がしているのですが…。
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>よぴちさん (凛太郎)
2008-03-04 21:46:56
僕も食べ物の話はどうしても書いちゃう食い意地が張ってる男です(笑)。トルコライスももちろん美味いのですが、僕は今ソースカツどんが猛烈に食べたい!ヨーロッパ軒には何年もご無沙汰しています~。

福井の言葉は独特のものがありますね。嶺南は関西に近いような気もしますが、嶺北はまた違う。北陸三県みんな特徴がそれぞれあるのが面白い。語尾がちょっと上がりますね。
そのイントネーションという問題は実に奥深いと思うのです。言語の使用形態は「蝸牛考」なんかである程度頷ける部分もあるのですが、発音や高低はなかなか説明がつかない。こういうテーマで一度書いてみたいのですがフィールドワークが不足してなかなか書けません。ただ、よぴちさんの言われる南九州、また朝鮮半島との繋がりという話は本当に興味をそそられますね。
歴史記事では、よく古代の国家間交流について書くことも僕はあるのですが、言語に絞って考えるとまた面白いだろうな。まずブログには結実しないでしょうけれども(汗)。
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