前回、別口入力[な]においての「[な]ら」の持て余し感やさまざまな接続について考察していきましたが今回はその議論の発端ともいうべき別口入力[だ]についていろんな角度から分析してみたいと思います。
「だ」は通常末端部に配置され叙述の収束感をともなったキメ感をもったパーツだと思うのですが、単に終止形でわかりやすい「だ」の場合だけでなく未然形「だろ」(う)や連用形「だっ」(た)の変化形においてもほぼ言いかけであるのでここから急展開して叙述がひっくり返るようなこともないので既定感は出ているパーツだと思います。
(形容動詞連体形「な」だと「静かなヘビメタ」や「罰当たりなお坊さん」みたいに「な」の後に続く語によっては意外な展開が待ち構えていたりします。)
さらには形容動詞仮定形「[な]ら」のときのような宙づりになったような別口入力の持て余し感があるというのも一応のキメ感を持った「だろ」や「だっ」に比べると違和感が幾分強いような気がします。
なので文字列並びから感じる違和感についてはそう掘り下げどころもないのですが「だ」や「です」まわりの接続のしかたにはいろいろ面白い例も中にはみられるので物見遊山的にいろいろ拾っていこうかと思います。
まず名詞述語文のように見えて実は純名詞としてではなくなにがしかの様態属性を含むニュアンスとして名詞が使われているもの、かといってイ形容詞でもナ形容詞でもないものの例です。
「0行進だ」「ごあいさつだな」
これは0行進はともかくとして「ごあいさつ」のほうは文字通りの挨拶を指しているのではなく相手の非礼な態度へ皮肉交じりに切り返す感情的モーメントのついた言葉で名詞としての使われ方はしていません。
イ形容詞やナ形容詞でもない品詞不明のこの語は以前少し触れた第三形容詞とも関係がありそうですがとにもかくにも助動詞としての「だ」にはこういったモーメントのある語を受け止める器が備わっている機能があるのだといえます。
そしてちょっと話が飛びますが「だ」「です」には終助詞が結びついて連語的に連なる終助詞になるものも多数あります。これは前記事の「な」がもっぱら連語的終助詞の終端部になるのと比較して、「だ」の場合は終端部とならずに経過部分として配置されるのとは対照的です。
例としては以下のものです。
「だよ(ね)」「だわ(ね)」「だわ(な)」「だわ(さ)」「だこと」「ですこと」
これらは「だ」+終助詞「わ」などがつながったものですが個別の辞というよりも「だわ」で一体化した連語ととらえることができます。どの語尾部分においても「だ」「です」は終端途中の経過部分になっています。
終助詞はさまざまありますが特に方言や漫画のキャラクターなどの固有の終助詞が特徴的です。
「よ」「わね」には「です」に変えてもつながりますが、「ですわな」や「ですわさ」はちょっとみられません。「だ」の方が比較的バリエーションが広いように思えます。
前述した「ごあいさつだな」に似たような使い方の終助詞がらみの「だ」では
「ヒャッハーだぜ!」「プンプンだぞ♡」「プロの仕業ですな」
みたいなものもあります。こちらもイ形容詞やナ形容詞ではない広義の形容詞が使われている例です。さらに
「怪物ランドのプリンスだい」「何ニヤニヤしているんだい」
では(主に子供が)語気を強めて言う調子をもつ用例や親しさのある仲での疑問の用例などをもつ終助詞「い」とくっついた「だい」もありますが、こちらも一体化して個別の終助詞とみなすことができます。
さらに普段目にするもののよく観察すると珍しい接続のものとしては
「いっそだな」「ほぼだな」「せめてだな」「ややもするとだな」「今さらだな」「まだまだだね」
のような広義の形容詞でもない副詞相当の語に「だな」「だね」がつく例も成立しています。またいくつかのものは間投助詞的に使われているのもあります。
[だ][な]は別口入力が連続して起こる例ですが末尾の[な]は形容動詞活用語尾の「な」ではなく終助詞の「な」ですのでここではあまり重要視はしないのですが別口入力の連続する他の例といたしましては
「見たいのだか見たくないのだか」「何やってんだか」「絶対買うんだって」
などの例があります。左から順に「選言を示す並立助詞の『か』」、「詠嘆・感動の終助詞『か』」、「『っ』+引用の格助詞『て』」の用法です。
いろいろ用法が出てきたと思いますが、比較的御しやすい終助詞はおいておくとして構文中での機能の鮮明ないくつかの語については構文解析上のさまざまな手立て――例えば直前の接続品詞は何か、後続で考えられる接続品詞は何か、また品詞・クラスによらず語彙的な観点も考慮するのか…を分析するプロセス基盤の整備をしなくてはいけません。
連接コストの勘定計算のこまごました処理以前に、この「か」で短文の切れ目になっているのかそうでないのか叙述の相当部分なのか今はその前フリなのかといった文の機能構造のどの部分なのかを全体像から把握していくうえでも別口入力パーツという特徴値をうまく位置づけていくデータさばきが求められていくのではないでしょうか。
「だ」は叙述の基点ともいえるパーツですのでそういった勘所も重要になってきます。
さらに「だ」を並列・列挙的に用いる例として
「OK!だダイジョブネだ言ってても」
のようなものもあります。「だ」は「だの」で置き換え可能ですが否定的な文脈で、どこか軽視しつつの列挙になっているニュアンスが感じられます。
あとは
「寝なきゃだよね」「待ったなしだ」
のように独立した句を受けての「だ」というのも列挙ではないものの似たような範疇のものだと思います。
「だ」は「はだ」「をだ」のようにつながることは少ないのですが「普段はだ」や「タバコをだ」のように指示対象を明瞭化するために会話調において使われることもあります。
複合して実質ひとかたまりの接続助詞となっている「だから」や「だが」も「電車でだから」や「自宅へだが」のようにこちらも接続の自由度が保たれています。
ちょっと話がそれますが、キー配列の話になるのですけれども、よく使われる「だと」の打鍵ストロークに関して言えば手前左の別口入力ゾーンに「だ」も「と」も共に位置しているので押しづらい配置となっているのは頭の痛いところです。
いずれ分析して再検討していかなければならない課題かと思いますがここでは深くはつっこみませんのであしからず。
あとはもともとの語形から短縮された形態で「やだ」や「まだ」のようなものがありますがこちらはそれぞれ「嫌だ」「未だ」が縮まって慣用化されたものです。
このようなものまでや[だ]あるいはま[だ]とするのはさすがに野暮というものですのでこちらはべたの文字列で入力していけばよいかと思います。
脱線ついでに志村けんの往年のギャグ「だっふんだ」は「だ」で終止しているある種の叙述なのかそもそも品詞は何なのか疑問のつきないフレーズではありますが、これについてはネット各所で意味・由来に関してすでに語られておりました。
それによると、「だっふんだ」は、落語家の桂枝雀の高座で「偉い人がくしゃみをする様」が「だっふんだ」と聞こえたのが面白かったので拝借したことが述べられていた…とwikipediaにはあります。
なので「だ」の叙述文ではなく、品詞としてはうなり声や掛け声と同じ類なので、強いて分類するとすれば「感動詞」ではないかと思います。
「だっふんだ」の文法的意味合いを知りたい方がはたしてこの日本にどれくらいいるのかわかりませんが、「変なおじさん」にも驚いてもらえるような記事だとうれしいのですが…。
さてオチもついたところであと1点だけあげさせてもらいますと、「だ」にはなく「です」にだけあらわれる表現として
「つらいです」「青いです」「悔しいです」
のように、形容詞+です のカタチがどうもおかしいということでしばしば議論にのぼる場面がみられますが、結論から言えば、これはアリだそうです。
昭和27年(1952年)の国語審議会において「これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方--たとえば、「大きいです」「小さいです」などは、平明・簡素な形として認めてよい。」と許容する方針が打ち出されています。
「美しゅうございます」では仰々しすぎるのですが、です・ます調の丁寧体においてはうまくなじむ形容詞表現がなかったのでいわば苦肉の策的に生み出されたものとしてこのような表現になったそうです。(動詞・名詞・形容動詞の丁寧体は問題なかった)
これだけですとなんですので、他に変わった「+です」の使われ方はないかとバリエーションを収集してみましたが、以下のような例はどうでしょうか。果たして許容されうるものであるかはわかりませんが。
「行くですぅ」「スマンです」「はよしろです」「どこへやらです」「おセンチです」「ふんだんです」「至れり尽くせりです」「明日は我が身です」「見ず知らずです」
今のSNS界隈だったら大体ありえそうな例ですが形容詞以外に範囲を広げて「広義の形容詞」や「慣用句」にも「です」がつくのがちょっと逸脱的ではありますがこれはこれで成り立っているような気がします。
はたして日本語の未来はどうなっていくのか一抹の不安もありますが「だ」や「です」には強烈な叙述構成力が備わっておりますし上記のような違和感のある使われ方も「だ」「です」の潜在力を引き出そうという狙いゆえの進化だと思いますのでそういった言葉の使われ方には時代時代の遊び心からきた魔改造だと言える面もあるかと思います。
文章を書く人の文の数だけその人だけの文章が存在するという見方もありますが、どこかで生まれた個性的な言い回しを別のどこかで多くの人たちが共有していくことで言葉も定着していくものなので月並みな言い方になりますがやはり
「言葉は生き物である」
というこのなのでしょうね。
ということで今回はあまり脈絡もなく話を進めてしまい、肝心の別口入力についてもそれほど深い考察はなかったのですが、「だ」や「です」の普段気づかないような新しい一面をざっと紹介することができてブログ主ぴとてつといたしましてもそれなりに満足しています。
ことばの話をするのには言葉が尽きない――と、いうところでしょうか。また機会があったら別の言葉で懲りずに脱線トークをしてみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
「だ」は通常末端部に配置され叙述の収束感をともなったキメ感をもったパーツだと思うのですが、単に終止形でわかりやすい「だ」の場合だけでなく未然形「だろ」(う)や連用形「だっ」(た)の変化形においてもほぼ言いかけであるのでここから急展開して叙述がひっくり返るようなこともないので既定感は出ているパーツだと思います。
(形容動詞連体形「な」だと「静かなヘビメタ」や「罰当たりなお坊さん」みたいに「な」の後に続く語によっては意外な展開が待ち構えていたりします。)
さらには形容動詞仮定形「[な]ら」のときのような宙づりになったような別口入力の持て余し感があるというのも一応のキメ感を持った「だろ」や「だっ」に比べると違和感が幾分強いような気がします。
なので文字列並びから感じる違和感についてはそう掘り下げどころもないのですが「だ」や「です」まわりの接続のしかたにはいろいろ面白い例も中にはみられるので物見遊山的にいろいろ拾っていこうかと思います。
まず名詞述語文のように見えて実は純名詞としてではなくなにがしかの様態属性を含むニュアンスとして名詞が使われているもの、かといってイ形容詞でもナ形容詞でもないものの例です。
「0行進だ」「ごあいさつだな」
これは0行進はともかくとして「ごあいさつ」のほうは文字通りの挨拶を指しているのではなく相手の非礼な態度へ皮肉交じりに切り返す感情的モーメントのついた言葉で名詞としての使われ方はしていません。
イ形容詞やナ形容詞でもない品詞不明のこの語は以前少し触れた第三形容詞とも関係がありそうですがとにもかくにも助動詞としての「だ」にはこういったモーメントのある語を受け止める器が備わっている機能があるのだといえます。
そしてちょっと話が飛びますが「だ」「です」には終助詞が結びついて連語的に連なる終助詞になるものも多数あります。これは前記事の「な」がもっぱら連語的終助詞の終端部になるのと比較して、「だ」の場合は終端部とならずに経過部分として配置されるのとは対照的です。
例としては以下のものです。
「だよ(ね)」「だわ(ね)」「だわ(な)」「だわ(さ)」「だこと」「ですこと」
これらは「だ」+終助詞「わ」などがつながったものですが個別の辞というよりも「だわ」で一体化した連語ととらえることができます。どの語尾部分においても「だ」「です」は終端途中の経過部分になっています。
終助詞はさまざまありますが特に方言や漫画のキャラクターなどの固有の終助詞が特徴的です。
「よ」「わね」には「です」に変えてもつながりますが、「ですわな」や「ですわさ」はちょっとみられません。「だ」の方が比較的バリエーションが広いように思えます。
前述した「ごあいさつだな」に似たような使い方の終助詞がらみの「だ」では
「ヒャッハーだぜ!」「プンプンだぞ♡」「プロの仕業ですな」
みたいなものもあります。こちらもイ形容詞やナ形容詞ではない広義の形容詞が使われている例です。さらに
「怪物ランドのプリンスだい」「何ニヤニヤしているんだい」
では(主に子供が)語気を強めて言う調子をもつ用例や親しさのある仲での疑問の用例などをもつ終助詞「い」とくっついた「だい」もありますが、こちらも一体化して個別の終助詞とみなすことができます。
さらに普段目にするもののよく観察すると珍しい接続のものとしては
「いっそだな」「ほぼだな」「せめてだな」「ややもするとだな」「今さらだな」「まだまだだね」
のような広義の形容詞でもない副詞相当の語に「だな」「だね」がつく例も成立しています。またいくつかのものは間投助詞的に使われているのもあります。
[だ][な]は別口入力が連続して起こる例ですが末尾の[な]は形容動詞活用語尾の「な」ではなく終助詞の「な」ですのでここではあまり重要視はしないのですが別口入力の連続する他の例といたしましては
「見たいのだか見たくないのだか」「何やってんだか」「絶対買うんだって」
などの例があります。左から順に「選言を示す並立助詞の『か』」、「詠嘆・感動の終助詞『か』」、「『っ』+引用の格助詞『て』」の用法です。
いろいろ用法が出てきたと思いますが、比較的御しやすい終助詞はおいておくとして構文中での機能の鮮明ないくつかの語については構文解析上のさまざまな手立て――例えば直前の接続品詞は何か、後続で考えられる接続品詞は何か、また品詞・クラスによらず語彙的な観点も考慮するのか…を分析するプロセス基盤の整備をしなくてはいけません。
連接コストの勘定計算のこまごました処理以前に、この「か」で短文の切れ目になっているのかそうでないのか叙述の相当部分なのか今はその前フリなのかといった文の機能構造のどの部分なのかを全体像から把握していくうえでも別口入力パーツという特徴値をうまく位置づけていくデータさばきが求められていくのではないでしょうか。
「だ」は叙述の基点ともいえるパーツですのでそういった勘所も重要になってきます。
さらに「だ」を並列・列挙的に用いる例として
「OK!だダイジョブネだ言ってても」
のようなものもあります。「だ」は「だの」で置き換え可能ですが否定的な文脈で、どこか軽視しつつの列挙になっているニュアンスが感じられます。
あとは
「寝なきゃだよね」「待ったなしだ」
のように独立した句を受けての「だ」というのも列挙ではないものの似たような範疇のものだと思います。
「だ」は「はだ」「をだ」のようにつながることは少ないのですが「普段はだ」や「タバコをだ」のように指示対象を明瞭化するために会話調において使われることもあります。
複合して実質ひとかたまりの接続助詞となっている「だから」や「だが」も「電車でだから」や「自宅へだが」のようにこちらも接続の自由度が保たれています。
ちょっと話がそれますが、キー配列の話になるのですけれども、よく使われる「だと」の打鍵ストロークに関して言えば手前左の別口入力ゾーンに「だ」も「と」も共に位置しているので押しづらい配置となっているのは頭の痛いところです。
いずれ分析して再検討していかなければならない課題かと思いますがここでは深くはつっこみませんのであしからず。
あとはもともとの語形から短縮された形態で「やだ」や「まだ」のようなものがありますがこちらはそれぞれ「嫌だ」「未だ」が縮まって慣用化されたものです。
このようなものまでや[だ]あるいはま[だ]とするのはさすがに野暮というものですのでこちらはべたの文字列で入力していけばよいかと思います。
脱線ついでに志村けんの往年のギャグ「だっふんだ」は「だ」で終止しているある種の叙述なのかそもそも品詞は何なのか疑問のつきないフレーズではありますが、これについてはネット各所で意味・由来に関してすでに語られておりました。
それによると、「だっふんだ」は、落語家の桂枝雀の高座で「偉い人がくしゃみをする様」が「だっふんだ」と聞こえたのが面白かったので拝借したことが述べられていた…とwikipediaにはあります。
なので「だ」の叙述文ではなく、品詞としてはうなり声や掛け声と同じ類なので、強いて分類するとすれば「感動詞」ではないかと思います。
「だっふんだ」の文法的意味合いを知りたい方がはたしてこの日本にどれくらいいるのかわかりませんが、「変なおじさん」にも驚いてもらえるような記事だとうれしいのですが…。
さてオチもついたところであと1点だけあげさせてもらいますと、「だ」にはなく「です」にだけあらわれる表現として
「つらいです」「青いです」「悔しいです」
のように、形容詞+です のカタチがどうもおかしいということでしばしば議論にのぼる場面がみられますが、結論から言えば、これはアリだそうです。
昭和27年(1952年)の国語審議会において「これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方--たとえば、「大きいです」「小さいです」などは、平明・簡素な形として認めてよい。」と許容する方針が打ち出されています。
「美しゅうございます」では仰々しすぎるのですが、です・ます調の丁寧体においてはうまくなじむ形容詞表現がなかったのでいわば苦肉の策的に生み出されたものとしてこのような表現になったそうです。(動詞・名詞・形容動詞の丁寧体は問題なかった)
これだけですとなんですので、他に変わった「+です」の使われ方はないかとバリエーションを収集してみましたが、以下のような例はどうでしょうか。果たして許容されうるものであるかはわかりませんが。
「行くですぅ」「スマンです」「はよしろです」「どこへやらです」「おセンチです」「ふんだんです」「至れり尽くせりです」「明日は我が身です」「見ず知らずです」
今のSNS界隈だったら大体ありえそうな例ですが形容詞以外に範囲を広げて「広義の形容詞」や「慣用句」にも「です」がつくのがちょっと逸脱的ではありますがこれはこれで成り立っているような気がします。
はたして日本語の未来はどうなっていくのか一抹の不安もありますが「だ」や「です」には強烈な叙述構成力が備わっておりますし上記のような違和感のある使われ方も「だ」「です」の潜在力を引き出そうという狙いゆえの進化だと思いますのでそういった言葉の使われ方には時代時代の遊び心からきた魔改造だと言える面もあるかと思います。
文章を書く人の文の数だけその人だけの文章が存在するという見方もありますが、どこかで生まれた個性的な言い回しを別のどこかで多くの人たちが共有していくことで言葉も定着していくものなので月並みな言い方になりますがやはり
「言葉は生き物である」
というこのなのでしょうね。
ということで今回はあまり脈絡もなく話を進めてしまい、肝心の別口入力についてもそれほど深い考察はなかったのですが、「だ」や「です」の普段気づかないような新しい一面をざっと紹介することができてブログ主ぴとてつといたしましてもそれなりに満足しています。
ことばの話をするのには言葉が尽きない――と、いうところでしょうか。また機会があったら別の言葉で懲りずに脱線トークをしてみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。