ヨガセラピ- by ナターシャ

ヨガによって身体感覚を取り戻し元気になることを具体的に紹介していきます。

実は仏教徒なんですよね

2009年02月02日 | 雑記帖
昨日は義理の兄の49日の法要の日でした。
何時もならお経をあげてもらい簡単な説法を聞きおしまいというのが今までの印象だったのですが昨日は違っていました。

まず何か分からないけれどお経が退屈には感じず良い響きとして聞こえてきました。
また途中から義姉が小さな声で輪唱するようにお経を唱えているのに驚き、納骨するというのはつれあいにとってはとても寂しく表面的な儀式としては捉えていないんだと感じました。
お経の後お坊さんはお釈迦様が出家するに至ったエピソード、南無阿弥陀仏の意味、法事の意味などを手短ではありましたが分かり易いようにお話してくれました。
小学2年の甥の子供も居たので子供にもある程度理解し易いよう説明してくれました。

法要のあとお坊さんも一緒に食事したのですがそのときに何か質問があったら何でも聞いて下さいとのことでした。
みんないろいろ質問しました。
分骨の事、家系図を作りたいけれどお寺に聞いたら過去帳から教えてくれるの?大谷派と浄土真宗は違うの?西本願寺と東本願寺の違いは?等など怒涛のように質問攻めにしていまいました。
いかに仏教徒なのに名ばかりかと言う事がはっきりしてしまいました。
私は南無阿弥陀仏の意味はやはりちゃんと理解して唱えた方がいいんでしょうか?と聞いてみました。それはほとんど答えは分かっていたのですが意味を理解していた方が良いとの事でした。

何も知らないというのは、いままで分からない事は何でも聞いて下さいと仰るお坊さんにあまり出会ったことが無いという事も起因しているのかもしれません。
家意識が減り世代同士の言い伝えも減りました。
また念仏を唱えればOKという安易な信仰の仕方も原因なのでしょう。
昨日お釈迦様のエピソードを聞いた甥の子は難しい話と思ったかも知れませんが心に何か残ったのではないかと思いました。

義姉のようにお経を覚えるというところまでは真似できませんが私ももう少し仏教の事、お釈迦様の事を学ぼうと思いました。
義姉がある事をきっかけにお経を毎日あげるようになった事を昨日知りました。
振りかえってみてその頃から義姉は変わったと思います。
人に優しく、しかし毅然とした感じと言ったらいいでしょうか?
確実に成長した過程が感じられるのです。

私はインド哲学の講義を受け石飛道子先生からお釈迦様の素晴らしさというのは時々聞いていました。
しかし自分が仏教徒であるというところとその事がすんなりとは結びつかず別個になっていました。
それが昨日は少し近づいた気がしました。
一人の熱心なお坊さんに出会った事、義姉の変化を通してそう感じられたのだと思います。

3月に行われるスマナサ-ラ長老の瞑想会に向けブッダの集中力という本を読んでみました。
ヨガは仏教に比べると集中のレベルは浅いという内容の事も書いてありました。
しかし、私レベルであれば体から入っていくという事も必要と感じています。
ヨガとお釈迦様の教え、比較しながらもう少し学びたいと思います。






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2 コメント

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釈迦 (コンサどん)
2009-02-03 04:58:10
よいお話ですね。
僕は小さいころ親父がお寺で祭壇の花を挿している間、座布団部屋(今のお寺にはあまり無い)で遊ぶのが大好きでお経と線香のにおいがすると落ち着くんですよね。
祭壇に飾ってあるモナカをつまみぐいしたら「数が合わせてあるんだから反対も食え」と親父によく怒られたっけ。

そんな事もあってか宗教の話とか興味があるんですよね。
日本の仏教の場合、仏教を基本として儒教や道教が入り混じった形なのでインドや中国仏教とは違いますが、それはそれで仏教のふところの深さを感じますねぇ。
先祖のお墓なんて間違いなく儒教でしょうし。

昔、実はまじめな植木等が坊さんをやっている父親にスーダラ節を歌っていいものかどうか相談した時に「わかっちゃいるけどやめられない」というのは親鸞聖人の教えに通じている。これが真理というんだと言われて歌う決意をしたというインタビューを見たときにすげえな仏教と思いました。
そういえば小島よしおの「そんなの関係ねぇ!」というのも釈迦の教えに近い気がします。
どちらも普遍的であるがゆえにうけるんですかねぇ。

こういったことを知ると面白いんですけど、胡散臭い坊さんが胡散臭い説教をたれるせいで、どんどんとっつきづらいものになっていく気がします。
値段で人数や坊さんの年齢が変わったり、戒名や法名が変わったり・・・
修行も出家もしてないのに戒名って・・・

あーもうここらへんの話をしだすと止まらなくなってご迷惑になるのでこのへんでやめておきます。
長文失礼しました。
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生活の中に (ナターシャ)
2009-02-03 08:43:28
仏教の教えは改めて学んでいなくても知らず知らずのうちに生活の中に入りこんでますよね。
日本人は白黒つけず間を取るみたいなところがありますがそれも仏教の中庸という思想があるからなのかなぁ~と思ったりします。

仏教に関する本を読むと考え方がかなりシビアで凡人には耳の痛い事がいっぱい書いてあります。
お坊さん自身そういった事守れてはいないでしょうね。
昔実家に月1ペースでお坊さんがお経あげに来てくれてたんですがお酒のんで帰る事が多かったです。
私が子供の頃の話ですがお釈迦様の話なんて聞いた覚えがないんですよ。
地元に溶け込んではいたんですが

ところでお父さん面白いですね。
もなかを食べたことを怒るんじゃなくて数が揃わないからもう一個食べろって、子供にとってはラッキーですね。
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