夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

法科大学院実務家教員意見交換会

2005年03月12日 | profession
昨日、国際商事法研究所で中国法研究会に出席した後、弁護士会館で、法科大学院実務家教員意見交換会があり、参加してきた。

パネラーの中に、このブログでも「樋口陽一先生同窓会」の項で触れた、ゼミの同窓生で大手渉外事務所のパートナー、C大法科大学院でも教えているF君が入っていて、彼の授業風景の映像が資料として流された。担当課目の民訴は研究者教員の授業にも出ているそうで、すごいとおもった。(C大では、欠席した学生のために、全ての講義をDVD録画しているそうだ。予算の潤沢な大学は違うなあ)

全国の法科大学院から主として弁護士の実務家教員が大多数集まり、非常に有用な情報交換ができた。

私も、守秘義務やプライバシーの観点からの質問をした。
というのも、私は学部の授業でも、銀行取引約定書等の銀行で実際に使っている契約書を使用しているが、法科大学院の講義では、銀行員時代に実際に扱ったM&Aやセキュリタイゼーションの事例を使いたいと思っている。
弁護士の先生方も、自分の扱った事例を授業で取り上げることが多いと思うが、その際に、クライアントとの間の守秘義務やプライバシー権について、抵触しないようにするにはどうしたらいいか、ということである。
同じような疑問をもっている他大学の先生もいらっしゃり、この件でも有用な情報交換ができてよかった。学生全員に損害保険加入を義務付けるのが守秘義務対策の一環と知った。

また、慶応法科大学院の先生が視覚障害者の学生の支援のことで発言されたので、あとで「私は点字サークルの顧問で点訳ボランティアをやっています。何かありましたら声をかけてください」と話をした。

その後、新司法試験の件で声明を出すための会合(同じ弁護士会館の別の会議室)に参加し、香港大学でお会いし、親しくさせていただいている大宮法科大学院副院長の宮澤節生先生と久しぶりにお会いした。昨日アメリカへの出張から帰ったばかりだというのに本当にお元気だ。私は一週間たってもまだ時差ぼけだ。また、早稲田大学法科大学院長の浦川先生にも久しぶりにお会いした。

帰りに裁判所の前を通ったら、たくさんの報道陣が待っていた。
ニッポン放送の新株予約権についての決定だったのだと今朝になってわかった。

これは私の実感でもあり、法科大学院に限らず、他学部にいった実務家教員からも聞く話だが、大学、大学院、大学教師という経歴のほとんどの研究者教員は、大学という特殊な村社会しか知らず、一般社会の常識が通じないことが多く、呆れることがある。
悪いけど、そのpunctualityやdiligence、モラル(時には知識についてさえ)では、会社員は到底務まらないだろうと思われる人も少なからずいる。(本学に限らず)
大学や専門が全く違っても、実務家教員同士こういう愚痴をこぼすことがよくある。
法科大学院は、法曹実務家を養成するのに、このような実務を知らず、一般社会の常識が通用しないことも多い研究者教員が運営の実権を握り、実務家教員を一段低く見ているようなところもあり、より深刻である。

しかし、法科大学院では、実務家教員の位置づけは非常に重要なはずである。
専門職として法曹とよく比較される医師の場合、医学部の教授のほとんどは、大学病院で臨床もやっており、その臨床経験を踏まえながら教鞭をとるのである。
法律も、実際社会でどのように使われるか知っていないと教えられないはずであり、ましてや、新司法試験の問題は、かなり生に近い材料で解く問題であり、法科大学院では、弁護士や企業法務など、「臨床」経験のある教員の教育が重要なはずである。
さらに、日本の法科大学院のモデルのひとつとなった、米国のロースクールでは、教員の9割以上が弁護士として実務経験をもっており、教鞭をとりながらpracticeしている先生もたくさんいる。Harvard Law Schoolのダショーウィッツ教授という有名な先生は、自分が扱った事件を元に小説を書いてそれがハリウッドで映画化されているし、私が会社法を習ったVagts先生も、国際商事仲裁人としてよく海外出張していた(日産の事件で東京に行くとおっしゃっていたこともある)。

私も企業法務から大学に移って、臨床面の情報のアップデートに苦慮している。

実務家教員が、情報交換や団結を強化していくことが、法科大学院という制度の発展のために不可欠なのではないかと思う。(それなのに学部長はこの会議の参加のための旅費の支払いも渋った。何を考えているんだか)

ところで、法科大学院(うちに限らず全て)に関しては、他にもおかしなことがある。
「法務博士」という学位だ。
アメリカの制度をわけもわからず導入した笑止な結果である。

確かに、アメリカのロースクールでは、学部卒の学生がロースクールに入り、3年間の課程を修了すると、JD(Juris Doctor)という学位がもらえる。
しかし、このDoctorは、PHDのDoctorとは意味が違う。
というのも、学部段階で法律を勉強できないアメリカでは、これが初めて取る法律の学位であるため、昔は、LL.B.(Bachelor of Law)=法学士という学位だったのである。これは、日本の法学士と同じ。
だから、Harvard Law Schoolの便覧等を見ても、一定の年齢以上の先生の肩書きは、JDでなく、LLBになっている。私の恩師、David Westfall先生(70代)もそうである。

ではなぜ、途中からJDになったのか、それは、同じ専門職として何かと比較される医師との関係である。アメリカではお互いに「仮想敵」といいあっている。
アメリカでは、医学も学部段階では勉強できず、やはり学部卒業後、Medical Schoolに行って、医学を勉強し、医師になるというコースになる。
この課程を修了するとMD(Medical Doctor)ということになる。
このDoctorは、いうまでもなく、博士という意味でなく、医者という意味である。

そこで、ライバル意識旺盛な弁護士団体が、「なんで、Medical SchoolでDoctorの学位なのに、Law Schoolが法「学士」なんだ」と文句をいったので、Medical DoctorをもじったJuris Doctorという名称に変わったというだけ。
いわばJDは「政治的」美称に過ぎず、実態は法学士なのだ。

だから、私もそうだし、外国人がよく行くLLM(法学修士)コースは、JDの上の課程をいうことになっている。アメリカ人LLMもいるが、当然JDの学位をもっている人ばかりである。
LLMの上には、SJDという、法学博士課程もある。
だから、JDのDを日本語の「博士」と訳すのは、致命的な誤りなのである。

だいたい、日本でも将来的には法科大学院の中にLLMと呼ぶかどうかは別として修士課程を設ける可能性があるのに、法務「博士」を取った人が修士号をとるために勉強するってことになるが、おかしくないだろうか?

これも、数多い、意味もわからないでやるアメリカの猿真似の一つで本当に恥ずかしいと思う。
でも、文科省の方針だし他はみんなそうしているので本学だけやめるわけにもいかない。
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