1月のある週末に、毎年1度この時期に集まる友達を自宅に呼んでパーティーをした。
夫がパエリアとマリネを作り、お客さんもいろいろ持ち寄ってくれた。
Kさん手作りのローストビーフや、Rちゃんがその場で揚げてくれた春巻きは絶品だった。
Kさんが、「憲法9条」という名前のお酒をもってきたり、Tさんが持ってきた「獺祭」という山口の地酒が、「書類を一杯広げて勉強しているありさまが、獺が餌を並べるのに似ている」という言葉からきている、等で始まって早々から大いに盛り上がった。
同じ高校の同級生と先輩で、知り合うきっかけは、高校の林間学校の付き添いOBとして一緒だったということだった(むろん、小さな高校なのでその前から知ってはいた)。
私の出身高校では、一年生が蓼科の山荘に林間学校に行くのだが、それに、各班一人OBがつくのだ。私が高1のときは、桐蔭新聞を新聞コンクールで優勝に導いた合原さんという人だった。
私は体力なくて自分の時でも蓼科山登山で苦労したから、自分が付き添いになるなんて思いもしなかったが、大學2年の夏休みに、思い切って引き受けることになった。というのも、予定していた人が、アキレス腱を切ってしまい、急遽ピンチヒッターを要請されたのだ。
メンバーは、同級生の
Rちゃん(現在附属中学の先生)
Dちゃん(現在静岡大助教授)
1年上の
Yさん(製薬会社勤務)
Nさん(経営コンサルタント)
2年上の
Kさん(附属高校の先生)
Tさん(出版社勤務)
だ。
大学生活のこととか、いろいろ話した.
Kさんは、『女と男』という著書もあり、ジェンダー教育に力を入れている社会の先生、Tさんは、『バイアスフリーの英語表現ガイド』という本を編集した人。
Rちゃんは英語教育で賞をとった英語の先生。
日本の「アメリカ英語帝国主義」はなんとかならないのかとか、事実婚を選択している人もいるので、ジェンダーの偏見の話とか、本当に多岐にわたる話をしたのだが、「マイノリティへの差別は許せん」という話で盛り上がった後、私が、タバコのマナーが悪い奴や、S本の住人の交通マナー等のひどいことについての悪口をいったときのことだ。「私の人生の目標は、結局、金持ちになることでもなく(現に大学教師になって年収は3分の2になったし)、いい暮らしをすることでもなく、インテリでマナー等のきちんとしたコミュニテイの一員になることだったのだと思う。だから、初めてそういう世界に触れた高校時代を再現するために高校の近所にマンションを買った。そういう観点でいうと、S本という町は、人口のわりにマナーの悪い人を見る確率がかなり高い(葛飾区より悪い)し、大学教師という人種はある意味銀行員よりずっと愚劣だし、私は目標に近づいたのでなく、遠ざかったような気がする」という話をしたら。
「でも、あなたの学問は、そういう、インテリでなく、マナーも悪い,普通の人たちをこそ救うために使わなければならないのじゃないの?」という問題提起をされ、はたと考え込んでしまった。
私は、「あらゆる偏見から自由でいたい」とか「弱者の味方でありたい」という欲求がかなり強い人間だと思う。だから、銀行員のときも女性差別と戦ってきたし、大學でも「ジェンダーと法」と教えたり、学生に点字を教えたりしている。
何らかの理由で、道徳や善への欲求が低かったり、責任感が強くなくて、タバコのポイ捨てをしたり、怠け心により採点をさぼって学生に迷惑をかける人間だって、弱者じゃないのか、という問いにどう答えるか?
いろいろ考えて、こう整理した。
私が味方をしたい弱者とは、自分の責任でなく弱い立場に置かれている人であり、自分の意識が低いまたは努力をしない結果弱くなっている人は弱者と認めない。そういうのはルサンチマンに過ぎない。
だけど、「意識が低い」ことを本人だけの責任に帰してもいいのか、この部分は、100%確信はない。教育者としては、こんなふうにいいきることは許されないような気もする。
否、教育者のくせに、「意識が低いのは自分の責任」と考えることこそ、私の教員としての最大の弱点なのかもしれない、と思い至った。これから私が真剣に克服すべき課題だと思う。
同時に、そういう問題を解決するためにも、「ジェンダーと法」のような、人権教育に力を入れていきたいと思う。
夫がパエリアとマリネを作り、お客さんもいろいろ持ち寄ってくれた。
Kさん手作りのローストビーフや、Rちゃんがその場で揚げてくれた春巻きは絶品だった。
Kさんが、「憲法9条」という名前のお酒をもってきたり、Tさんが持ってきた「獺祭」という山口の地酒が、「書類を一杯広げて勉強しているありさまが、獺が餌を並べるのに似ている」という言葉からきている、等で始まって早々から大いに盛り上がった。
同じ高校の同級生と先輩で、知り合うきっかけは、高校の林間学校の付き添いOBとして一緒だったということだった(むろん、小さな高校なのでその前から知ってはいた)。
私の出身高校では、一年生が蓼科の山荘に林間学校に行くのだが、それに、各班一人OBがつくのだ。私が高1のときは、桐蔭新聞を新聞コンクールで優勝に導いた合原さんという人だった。
私は体力なくて自分の時でも蓼科山登山で苦労したから、自分が付き添いになるなんて思いもしなかったが、大學2年の夏休みに、思い切って引き受けることになった。というのも、予定していた人が、アキレス腱を切ってしまい、急遽ピンチヒッターを要請されたのだ。
メンバーは、同級生の
Rちゃん(現在附属中学の先生)
Dちゃん(現在静岡大助教授)
1年上の
Yさん(製薬会社勤務)
Nさん(経営コンサルタント)
2年上の
Kさん(附属高校の先生)
Tさん(出版社勤務)
だ。
大学生活のこととか、いろいろ話した.
Kさんは、『女と男』という著書もあり、ジェンダー教育に力を入れている社会の先生、Tさんは、『バイアスフリーの英語表現ガイド』という本を編集した人。
Rちゃんは英語教育で賞をとった英語の先生。
日本の「アメリカ英語帝国主義」はなんとかならないのかとか、事実婚を選択している人もいるので、ジェンダーの偏見の話とか、本当に多岐にわたる話をしたのだが、「マイノリティへの差別は許せん」という話で盛り上がった後、私が、タバコのマナーが悪い奴や、S本の住人の交通マナー等のひどいことについての悪口をいったときのことだ。「私の人生の目標は、結局、金持ちになることでもなく(現に大学教師になって年収は3分の2になったし)、いい暮らしをすることでもなく、インテリでマナー等のきちんとしたコミュニテイの一員になることだったのだと思う。だから、初めてそういう世界に触れた高校時代を再現するために高校の近所にマンションを買った。そういう観点でいうと、S本という町は、人口のわりにマナーの悪い人を見る確率がかなり高い(葛飾区より悪い)し、大学教師という人種はある意味銀行員よりずっと愚劣だし、私は目標に近づいたのでなく、遠ざかったような気がする」という話をしたら。
「でも、あなたの学問は、そういう、インテリでなく、マナーも悪い,普通の人たちをこそ救うために使わなければならないのじゃないの?」という問題提起をされ、はたと考え込んでしまった。
私は、「あらゆる偏見から自由でいたい」とか「弱者の味方でありたい」という欲求がかなり強い人間だと思う。だから、銀行員のときも女性差別と戦ってきたし、大學でも「ジェンダーと法」と教えたり、学生に点字を教えたりしている。
何らかの理由で、道徳や善への欲求が低かったり、責任感が強くなくて、タバコのポイ捨てをしたり、怠け心により採点をさぼって学生に迷惑をかける人間だって、弱者じゃないのか、という問いにどう答えるか?
いろいろ考えて、こう整理した。
私が味方をしたい弱者とは、自分の責任でなく弱い立場に置かれている人であり、自分の意識が低いまたは努力をしない結果弱くなっている人は弱者と認めない。そういうのはルサンチマンに過ぎない。
だけど、「意識が低い」ことを本人だけの責任に帰してもいいのか、この部分は、100%確信はない。教育者としては、こんなふうにいいきることは許されないような気もする。
否、教育者のくせに、「意識が低いのは自分の責任」と考えることこそ、私の教員としての最大の弱点なのかもしれない、と思い至った。これから私が真剣に克服すべき課題だと思う。
同時に、そういう問題を解決するためにも、「ジェンダーと法」のような、人権教育に力を入れていきたいと思う。