夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門

2005年02月08日 | 演劇
直前の項は、かなりキレて書いてしまった、すみません。
ここには書けないような嫌なこともあったので、つい理性を失いました。
でも、アクセス数が急に一日900件を超えてびっくりした。
そんなにスキャンダラスでした?でも法令や職務規定には違反していません。

夫の顔を見て、腕枕で眠っただけで少し元気になった。

日曜日は一日採点の続きをして、夜、渋谷のシアターコクーンに標記の芝居を見に行ってきた。
今回夫はつきあってくれなかったのだが、「一人じゃさびしい」と言ったら、他に用もないのに渋谷まで送ってきてくれた。すまん、夫…。

堤真一が主演なのでチケットをとっていたのだが、予想以上に良かった。

清水邦夫といえば、駒場にいた頃、『予め失われている恋人よ』という芝居の看板が出ていて、見てはいないが、それがきっかけでリルケの詩集を買って、暗誦したりしたっけ…。
今でも最初の何行かは覚えているので恥ずかしいがちょっと書いてみる。

予め失われている恋人よ
一度も現れたことのない人よ
お前は知らないのだ
どんな調べがお前に好ましいかを

冒頭のシーンで、浅間山荘事件を思わせる鉄球が舞台に出てくる。

浅間山荘事件(変換すると、浅間さんの掃除する権利と出てくる、お馬鹿な変換何とかしてくれ)は、1972年2月の事件で、当時小学校3年生だった私が生涯で初めて認識したニュース映像だ。
鉄球が山荘に打ち込まれるシーンを今でも覚えている。
すなわち、1970年11月の三島事件はまったくリアルタイムの記憶にはないということ。
今これほど自分の人生に影響を与えた人の死のニュースなのに、残念でたまらない。
この事件の直前に発売されたカップヌードルは、狩り出された機動隊員が雪の中ですすっている情景がTVで繰り返し流れたために、爆発的に売れるようになったらしい。
ということは、三島はカップヌードルも食べずに死んだのだなあ。マックもアメリカでは食べただろうが、日本では食べずじまいだったのだなあ。
何でも三島前、三島後で考える癖があるもんで…。

この冒頭のシーンからわかるように、この芝居は連合赤軍の話なのだとすぐ思い当たった。

主人公将門は、頭の負傷が元で狂気に陥り、あろうことか、自分を、将門の幼馴染だが、今は憎んでその命を狙う者であると思い込んでしまい、その彼をめぐって、将門の影武者をはじめとする家来たちが大混乱と疑心暗鬼に陥り、裏切り等により自滅していくというストーリーだ。

将門が民衆の貧困を救うため、京の藤原氏に歯向かったように、連合赤軍の闘士たちも、社会を良くするという大義のために国家権力と戦っていたはずだ。
それがいつのまにか、自分自身の中に敵を見出すようになり、疑心暗鬼と裏切りの果てに殺し合う。

浅間山荘事件をジェンダーの視点から説いた大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」はとても面白い。
永田洋子は女性同志のジェンダー性が許せなかった、闘争の中でも、女性闘士は男性闘士の欲望を満たしたり等、ジェンダー的な役割を強制された等、興味深い。
本当の平等社会だったら男女差別もないはずだけど、現代でも、外ではフェミニスト、家では奥さんを搾取する活動家っているのよね…。

1975年の作品だから、そういう時代の雰囲気が出るのは当然だが、当時の「ベトナム」戦争(ベトナム人はアメリカ戦争と呼んでいるので、私たちはベトナム戦争と呼ぶだけで、アメリカ側に立っているのだと気づかされたのは、2001年にベトナム縦断旅行をした時)のようなことが、今イラクで行われており、決して一時代の問題と片付けられない普遍的なテーマと思う。

堤真一の、ノーブルさと野性味のミックスされた魅力がよく生かされていたし、せりふまわしだけで、正気か狂気かわかるという演技力もあらためてさすがと思った。

中嶋朋子とは、TPTの「ロベルト・ズッコ」でも共演していたが、すごく激しい立ち回りが多いせいか、彼女の足にバンドエイドが貼ってあるのが見えて、「ああ、大変だな」と思った。

桔梗の前役の木村佳乃は舞台では初めて見たが、意外に演技がうまく、プライドと情熱を併せ持つ女性をよく体現していた。小谷野敦は彼女の大ファンらしいので、見に来たのだろうか。

でも、1981年に大学生になった私には、学生運動の頃の雰囲気は体感できないが、学生が理想に燃えて戦った時代があったのだなあ。
私が大学に入った頃、「駒場生の必読書」というのがあって、理系でもこれを読んでいないと相手にされなかった。柴田翔『されど我らが日々』と庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(どちらも芥川賞受賞、前者は東大文学部長になった独文学者、後者の受賞は三島の絶賛を受けてのもの)だ。
これを読んで、当時の緊張感に憧れを持ったりしたな。
1987年に『ノルウェイの森』を読んだとき、学生運動時代を扱いながらこれほどノンポリなのはどうかしている、と反発を覚えた。私は村上春樹の作品は『眠り』(昨年世田谷パブリック・シアターでサイモン・マクバーニーが演劇にした『Elephant Vanish』もすばらしかった)という短編を最も評価するが、それ以外はさして感心しない。『約束された場所で』『アンダーグラウンド』はあまりにあざとい。

それに引き換え、国立大学の法人化などという自分たちの勉学生活に直結するような事態にも反応しない今の学生は全くふがいない。まあ、私も何もしなかった一員として恥ずかしいわけだが(でも、法人化の10ヶ月前に初めて教員になったのだから、どうしようもなかった)。樋口陽一先生が、「国立大学に、古田敦也がいなかったのが一番の不幸だ」とおっしゃっていたなあ。

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