新三河物語を読みました。
宮城谷作品、ハードカバーで上中下巻です。
あとがきに書かれていますが、三河物語を元に、大久保彦左衛門(作中では平助です)を書こうとしてできた作品のようです。
桶狭間から大阪の陣までを大久保一族の視点から描いていく感じ。
当然中心は平助なのですが、家康の周りでの出来事に関しては
中盤までは中盤までは平助の二人の兄である忠世(ただよ)と忠佐(ただすけ)、
その先は忠世の息子である忠隣(ただちか)が中心となって描かれます。
この3人の人となりが非常に良く。
個人的には忠佐が一番好きです(^^
平助の描かれ方とい、なんというか、宮城谷作品らしい、という感じがします。
上巻は三河一向一揆がメイン
中巻は対武田氏。
下巻は本能寺の変後の展開と大久保氏の凋落。
といった感じですかね。
一番印象に残っているのは家康の信康に対する想いを想像するところでしょうか。
上田城攻めのところが一番強いです。
ちょっと長いですが抜き出してみます。
-----引用開始-----
遠征軍の将は、
大久保忠世
柴田康忠
鳥居元忠
平岩親吉
岡部長盛
大久保忠佐
などであり、かれらに信州先方衆である諏訪頼忠、保科正直、知久頼氏、依田康国、屋代秀正、小笠原信嶺らが属いた。七千余騎というのが、この軍の兵力である。
(中略)
この時点で、昌幸をいくさの名人であるとたたえる者はほとんどいない。忠佐と平助が恐れているのは敵の強さではなく、味方の弱さである。将のひとりである鳥居元忠は、往時の松平家の群臣のなかでは宿老であった鳥居忠吉の子であり、忠吉が晩年に岡崎の信康を傅佐したことを想えば、元忠も信康を敬愛していたであろう。いうまでもなく、平岩親吉は全身全霊で信康を傅育した。このふたりは、
-----酒井忠次と大久保忠世が讒言して、三郎君を殺した。
と、信じ、讒言者を憎みつづけている。が、このたびのいくさでは、憎むべき忠世の指図をうけなければならない。もしも上田城攻めが成功すれば、当然、首功は忠世のものとなる。
-----阿呆らしい。
という感情がふたりにある。三郎君をおとしいれた者のために、なにゆえ働かねばならぬのか。ふたりは語りあわなくても、そう意っているであろう。恩は忘れやすく、怨みは忘れにくいのが、人のつねである。
上田城攻めで、本気で忠世を助けてくれるのは、柴田康忠と依田康国などの信濃衆で、主力を形成する鳥居と平岩の兵を勘定にいれることができないところに、この軍の弱点がある。忠佐は将の顔ぶれを観たとき、それを感じた。同感である平助は、さらに、
-----この軍を編成なさったのは、殿だ。
と、思考を深めた。群臣の器量をこまごまと見定めている家康が、忠世にたいする鳥居と平岩の感情の所在を知らぬはずはない。その上で、この遠征をながめると、
-----七郎の兄上は、失敗しやすい。
と、平助は予見せざるをえない。家康が上田城攻めの失敗を望んでいるはずはないとおもいたいが、ほんとうに真田昌幸をこらしめたいのであれば、こういう神経のかよわぬ軍の編成をおこなわなかったのではないか。
あえていえば平助が家康の底知れぬ恐ろしさを感じたのは、これが最初である。
-----引用終了-----
酒井忠次早く隠居をしたために難を逃れた、という描き方もされています。
苦労を共にした功臣は、後から遠ざけられる、というところでしょうか。越の范蠡を思い出しました。
さて、もう一つ印象的なのは本多弥八郎正信。
まあ、大久保氏改易の張本人で、大久保一族の視点、ということでどうやっても悪者になるのですが、
上であげた3人の大久保がさわやかに描かれているのに対して非常に対称的でした(^^;
特に終盤では「佞臣」とは彼のことだ。という描かれ方で面白かったです(^^;
ただ、いままで見てきたいわゆる「佞臣」は、主君に取り入って気に入らない奴を貶めるだけでなく、、
主君の寵をいいことに私腹を肥やす、というのが典型ですが、
正信に限っては、
「家康のいうことが全てである。そこには善も悪もない」という信念のもとに、
家康の意向を忠実に先回りしてそれに沿った行動を起こしていく。というもので
私腹を肥やすだとか、収賄に応じて主君の意向を変えるだとか、そういうものは全くありません。
そういう部分では「佞臣の中の佞臣」というのが個人的感想ですね(^^
楽しく読めました。
人物の呼び方が、諱(忠世とか忠佐)ではなく、忠世なら七郎右衛門、忠佐なら治右衛門。
そこから、七郎とか治右とかいう呼び方をしているため、誰が誰であるかを把握していくのがちょっと大変ですが、
(新蔵とか新十郎とか新八郎とか五郎右衛門とか。。。。。)
そこに慣れてくればすらすらと進めていけると思います(^^
次は楊令伝十二が出てるはずなので、それですね。
宮城谷作品、ハードカバーで上中下巻です。
あとがきに書かれていますが、三河物語を元に、大久保彦左衛門(作中では平助です)を書こうとしてできた作品のようです。
桶狭間から大阪の陣までを大久保一族の視点から描いていく感じ。
当然中心は平助なのですが、家康の周りでの出来事に関しては
中盤までは中盤までは平助の二人の兄である忠世(ただよ)と忠佐(ただすけ)、
その先は忠世の息子である忠隣(ただちか)が中心となって描かれます。
この3人の人となりが非常に良く。
個人的には忠佐が一番好きです(^^
平助の描かれ方とい、なんというか、宮城谷作品らしい、という感じがします。
上巻は三河一向一揆がメイン
中巻は対武田氏。
下巻は本能寺の変後の展開と大久保氏の凋落。
といった感じですかね。
一番印象に残っているのは家康の信康に対する想いを想像するところでしょうか。
上田城攻めのところが一番強いです。
ちょっと長いですが抜き出してみます。
-----引用開始-----
遠征軍の将は、
大久保忠世
柴田康忠
鳥居元忠
平岩親吉
岡部長盛
大久保忠佐
などであり、かれらに信州先方衆である諏訪頼忠、保科正直、知久頼氏、依田康国、屋代秀正、小笠原信嶺らが属いた。七千余騎というのが、この軍の兵力である。
(中略)
この時点で、昌幸をいくさの名人であるとたたえる者はほとんどいない。忠佐と平助が恐れているのは敵の強さではなく、味方の弱さである。将のひとりである鳥居元忠は、往時の松平家の群臣のなかでは宿老であった鳥居忠吉の子であり、忠吉が晩年に岡崎の信康を傅佐したことを想えば、元忠も信康を敬愛していたであろう。いうまでもなく、平岩親吉は全身全霊で信康を傅育した。このふたりは、
-----酒井忠次と大久保忠世が讒言して、三郎君を殺した。
と、信じ、讒言者を憎みつづけている。が、このたびのいくさでは、憎むべき忠世の指図をうけなければならない。もしも上田城攻めが成功すれば、当然、首功は忠世のものとなる。
-----阿呆らしい。
という感情がふたりにある。三郎君をおとしいれた者のために、なにゆえ働かねばならぬのか。ふたりは語りあわなくても、そう意っているであろう。恩は忘れやすく、怨みは忘れにくいのが、人のつねである。
上田城攻めで、本気で忠世を助けてくれるのは、柴田康忠と依田康国などの信濃衆で、主力を形成する鳥居と平岩の兵を勘定にいれることができないところに、この軍の弱点がある。忠佐は将の顔ぶれを観たとき、それを感じた。同感である平助は、さらに、
-----この軍を編成なさったのは、殿だ。
と、思考を深めた。群臣の器量をこまごまと見定めている家康が、忠世にたいする鳥居と平岩の感情の所在を知らぬはずはない。その上で、この遠征をながめると、
-----七郎の兄上は、失敗しやすい。
と、平助は予見せざるをえない。家康が上田城攻めの失敗を望んでいるはずはないとおもいたいが、ほんとうに真田昌幸をこらしめたいのであれば、こういう神経のかよわぬ軍の編成をおこなわなかったのではないか。
あえていえば平助が家康の底知れぬ恐ろしさを感じたのは、これが最初である。
-----引用終了-----
酒井忠次早く隠居をしたために難を逃れた、という描き方もされています。
苦労を共にした功臣は、後から遠ざけられる、というところでしょうか。越の范蠡を思い出しました。
さて、もう一つ印象的なのは本多弥八郎正信。
まあ、大久保氏改易の張本人で、大久保一族の視点、ということでどうやっても悪者になるのですが、
上であげた3人の大久保がさわやかに描かれているのに対して非常に対称的でした(^^;
特に終盤では「佞臣」とは彼のことだ。という描かれ方で面白かったです(^^;
ただ、いままで見てきたいわゆる「佞臣」は、主君に取り入って気に入らない奴を貶めるだけでなく、、
主君の寵をいいことに私腹を肥やす、というのが典型ですが、
正信に限っては、
「家康のいうことが全てである。そこには善も悪もない」という信念のもとに、
家康の意向を忠実に先回りしてそれに沿った行動を起こしていく。というもので
私腹を肥やすだとか、収賄に応じて主君の意向を変えるだとか、そういうものは全くありません。
そういう部分では「佞臣の中の佞臣」というのが個人的感想ですね(^^
楽しく読めました。
人物の呼び方が、諱(忠世とか忠佐)ではなく、忠世なら七郎右衛門、忠佐なら治右衛門。
そこから、七郎とか治右とかいう呼び方をしているため、誰が誰であるかを把握していくのがちょっと大変ですが、
(新蔵とか新十郎とか新八郎とか五郎右衛門とか。。。。。)
そこに慣れてくればすらすらと進めていけると思います(^^
次は楊令伝十二が出てるはずなので、それですね。