ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主の祈り。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年05月09日 00時03分33秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   天にいます われらの父よ、
   御名があがめられますように。
   御国(みくに)が来ますように。
   みこころが天におこなわれるとおり、
   地にも行われますように。
   わたしたちの日ごとの食物を
   今日もお与えください。
   わたしたちに罪のある者をゆるしましたように、
   わたしたちの罪をもおゆるしくだい。
   わたしたちを試みに合わせないで、
   悪しきものからお救いください。


        「マタイによる福音書 第6章 9節~13節」


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 主イエス・キリストに弟子たちが何をどのように祈ればよいか、「主よ、わたしたちにも祈ることを教えてください」とお願いした時にイエスさまが教えてくださったお祈りである。
 この祈りは「主の祈り」として、「救い主イエス・キリストが教えたように、わたしたちもお祈りしましょう」とすべての宗派のキリスト教会のすべてのクリスチャンが祈るお祈りだ。
 「われらの父」とは、この全宇宙を創造なさった創造主(天の父なる神さま)のことである。天の父なる神さまは、すべての生き物を創造した。もちろんわたしたち人間も、天の父なる神さまが創造した。だから、まず主イエス・キリストはこの天の父なる神さまの御名がすべての人間たちに知られ礼拝されますようにと祈る。ここでいう御名(みな)とは、日本の名は体を表すということわざの通り天の父なる神さまご自身を指す。この天の父なる神さまは、わたしたち人間にとって命の根源だ。だから祈る時はまずこの方にこころを向けるのだ。そしてわたしたち人間が神さまの子供とされますようにと願う。大切なのは自分の意思で天の父なる神さまにこころの中心に来ていただき、御国(神さまの国)が来ますことを祈ることだ。
 次に「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」も、自己中心になりがちなわたしたち人間のこころの中心に天の父なる神さまに来ていただき、地上での日々の生活が無事にできますことを祈る。すると「自分だけが腹いっぱい食えればそれでよし」という気持ちが少なくなる。
 「わたしたちの日毎の食物を今日もお与え下さい」とこころの底から祈ることが出来る。クリスチャンのわたしは、この「主の祈り」を毎朝毎晩唱えているが、日毎に「お祈りって、天から与えられるもんだなあ」との確信が湧いてくる。そして、「自分に与えられた毎日三度の食事」をこころの底から天の父なる神さまに感謝することが出来る。
 次に「わたしたちに罪のある者を許しましたように、わたしたちの罪をもお許し下さい」。ここが一番ズキントくる箇所だ。「罪」とは神さまだけが許せるものだ。それなのに主イエス・キリストは「わたしたちに罪のある者を許しましたように、わたしたちの罪をもお赦しください」と祈らせるのだ。正直言ってここの箇所がいつも祈るたびにズキンとくる。わたしが病者となってしまった根源的な原因は、自分の両親にあるからだ。だからわたしはクリスチャンになっても、この両親をこころから許せますようにという御祈りをする。ここが「主の祈り」の罪の許しを願う祈りと重なる。だからズキンとくる。
 「光である主イエス・キリスト」は、わたしに「主の祈り」で自分の罪の赦しを求めなさいと迫ってくる。
 「光である主イエス・キリスト」こそわたしの闇を照らす。






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