「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」
(ヨハネによる福音書第13書6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
レオナルド・ダヴィンチの絵画であまりにも有名な「最後の晩餐」の時、主イエスが唐突に弟子の足を洗い始めた時の弟子ペテロの言葉である。
古今東西の著名な御方がその弟子の足を洗ったと言うことがあるのだろうか?
この当時皮のサンダルのような靴だった人々にとって洗足は客人をもてなす際いちばんの身分の低い者である僕(奴隷)がする仕事であった。主はそれをご自分の弟子になさったのである。どなたかからの命令でそうなさったのではない。全くの主の自由意志からなさったことである。はたして古代から現代まで雇い主が彼が雇った労働者の足を洗うなどということをやったことがあるだろうか。
フツーのクリスチャンの浅学非才をもってしてもそのような御方はただ一人主イエス・キリストだけであると知る。
いくら当時の習慣として「洗足」があっても、主イエス・キリストのご立場ではフツー考えられないことであった。たとえ奴隷であってもユダヤ人ならば「洗足」の行為はしないのだ、異邦人の奴隷がやったのである。
翻って現代を見れば、大抵の場合それに類することをする人たちは、何かの打算からするのである。恩を着せたり、かえって相手を支配したり、騙したりするためにする。慇懃無礼な善行というものはあるものである。しかし主イエス・キリストはこの直後に捕らえられ、十字架に架けられ、万人の罪のために死なれたのである。
わたしたちは「善行」と思えることもよくよく気をつけて主イエス・キリストだったらどう思い、どのようになさるだろうかと日ごろから祈り求めておくことが肝要であると思う。そして互いに足を洗いあうような謙虚さを聖霊から賜ることを祈ることにしよう。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★