人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。
ただし、彼に殺意がなく、神が御手によって事を起こされた
場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。
(出エジプト記 第21章 12節・13節 )
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わたし少女ジーザスは「死刑反対論者」である。
このことをはっきり発表したらどのようなことになるのか
承知ずみである。
そもそも少女ジーザスは、洗礼を受ける時からこの国で洗礼を受け
クリスチャンとなった者がどのような扱いを受けるか承知ずみであった。
しかしわたしはどのような扱いを受けようとも主の弟子である。
主のみことばを宣教するつとめにはげむしかない。
はっきり言って「みことばの宣教」しか少女ジーザスの頭にはない。
だから「死刑反対」も気楽に発表してやまない。
「主のご意志」だからである。
わたしは夫と共に娘と共に主にある小さな3人の家族として「死刑反対」を
主張してやまない。
いのちはどのようないのちでも「生かされるため」にこそ主ご自身が創造なさった
ものだからである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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