それはわたしの民が二つの悪しき事を行なったからである。
すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。
(エレミヤ書 第2章13節 )
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わたしたち人間が行なってしまいやすい最もおろかな事である。
「生ける水の源」とはわたしたちを生かしておられるいのちの源、いのちの与え主なる主ご自身を指す。ではこの御方から「生ける水」をいただいて生きるとはどのようなことなのか?
まずこの御方がいったいぜんたい「どのような御方」なのかを出来うる限り知っておく必要がある。だから(と言って良い)わたしたちフツーのクリスチャンは「聖書」を毎日出来うる限り読むのである。
そんな古臭いわけのわからない難しそうな本を毎日読むなんて「ヤダ」と言う人たちをわたしは知っている。
しかし他宗教ならいざ知らずキリスト教と言ったらまず「聖書」を毎日たった一行でも良いから読むことから始めなければならない。そして主ご自身がどのような御方なのかを出来うる限り知る必要がある。もちろん「読めばすぐ主のことがわかる」というオートマチックなものではない。それはキリスト教に限らず宗教というものはみんなそうである。
「宗教」というものはその宗教が礼拝している神ご自身のことが毎日「祈り求めてゆくこと」で少しずつ少しずつ理解されるものを言う。キリスト教なら主イエス・キリストという「人となった神」が「聖書」の中に啓示されている。だから毎日出来うる限り「聖書」の本文を世評にたえた信頼のおける聖書辞典などを片手に読むことからはじめることをお勧めするものである。
そうすれば「自分で水ため」を掘って神ならぬ神を礼拝する邪教に陥ることはせずに済むように主ご自身があなたの心と魂と体をととのえてくださる。
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