「愛」の理解、「愛」を知るというより
「愛」の重みを感ずる、
それが愛を信じるということですから。
「奥村一郎選集(5)『現代人と宗教』p83」
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「愛」って何だろう?
「愛する」って何だろう?
「愛される」って何だろう?
わたしたち人間は、よく気軽に「愛してるよ」なんて相手に言う。でも、「愛してるよ」ってどのようなことなのだろう。
ごくフツーのクリスチャンであるわたしは、「愛してるよ」とは気軽に相手に言えない。もちろん、誰にでも愛を与え、誰をも大切にされた主イエス・キリストに倣うとしたなら、もっと確信を持って他者に「愛してるよ」といえなくてはならないのだが。
そもそも「愛」は主イエス・キリストから頂かなければ、わたしたちは感じることが出来ないものなのだ。
愛について語ることは、簡単で難しい。難しくもあり簡単でもある。
愛は主イエス・キリストそのものなのだ。これは簡単だ。でも、主イエス・キリストの御心に叶うような愛を自分もいただくのは難しい。
愛が分かればすべてがわかるに違いない。
わたしがブログを書くのは、主イエス・キリストの「愛」を伝えたいからだが、同時に主イエス・キリストの「愛」を自分自身が受け入れるためでもある。
「愛」の重みは、全宇宙の重みと同じなのかもしれない。
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