ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(奥村一郎):4

2008年07月08日 00時04分07秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド


     「愛」の理解、「愛」を知るというより
     「愛」の重みを感ずる、
     それが愛を信じるということですから。

      「奥村一郎選集(5)『現代人と宗教』p83」


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 「愛」って何だろう?
 「愛する」って何だろう?
 「愛される」って何だろう?
 わたしたち人間は、よく気軽に「愛してるよ」なんて相手に言う。でも、「愛してるよ」ってどのようなことなのだろう。
 ごくフツーのクリスチャンであるわたしは、「愛してるよ」とは気軽に相手に言えない。もちろん、誰にでも愛を与え、誰をも大切にされた主イエス・キリストに倣うとしたなら、もっと確信を持って他者に「愛してるよ」といえなくてはならないのだが。
 そもそも「愛」は主イエス・キリストから頂かなければ、わたしたちは感じることが出来ないものなのだ。
 愛について語ることは、簡単で難しい。難しくもあり簡単でもある。
 愛は主イエス・キリストそのものなのだ。これは簡単だ。でも、主イエス・キリストの御心に叶うような愛を自分もいただくのは難しい。
 愛が分かればすべてがわかるに違いない。

 わたしがブログを書くのは、主イエス・キリストの「愛」を伝えたいからだが、同時に主イエス・キリストの「愛」を自分自身が受け入れるためでもある。
 「愛」の重みは、全宇宙の重みと同じなのかもしれない。



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