時系列からいうとネタが前後するが、速報をひとつ。
2015 10thについては追ってレポートするのでお楽しみに。

しばらく前からは、20INCHERSでもできるだけ昔話を倩(つらつら)と語らないようにしていたのだが、ひとつの時代が幕を閉じようとしている。
BMXシーンを語る上で欠かすことのできない存在、サイクルセンターエノモトさんがお店を閉めるようだ。
BMXシーンに入門し、最先端の情報データベースは駒沢にあった。
駒沢界隈の諸先輩方の思い入れには到底及ばないが、自分のセカンドバイクであったBULLYを組んでもらったところから思い出は続いている。
エノさんで、フラット用、ストリート用、ジャンル別のセッティングがあることを知った。
雑誌サイクルスポーツのショップ広告欄を基に電話番号をメモしては、自分の他愛もない質問にも電話越しに応対して頂いた。
BULLYを組む際にも、フレーム交換に伴うパーツ選定に心配する真一郎少年に、「大丈夫だから任せとけって!悪いようにはしねーから!」とまるで父親のような信頼感を見せてくれた。
全国大会JFAではいつも夕方頃顔を出し、ライダーみんなを我が子のように面倒見て頂いた。
大会が終わってすっかり辺りも暗くなった後にエノさんに顔を出せば、普通に大阪のジャニー君がいたり。
ジャニー君を最もリスペクトしている理由も、正にこの時代なくして語れない。
大会に出ることで増えた友達を伝に、普段の日曜日に駒沢へ乗りに行っただけでも、当然エノさんにもお邪魔すれば、雲の上の存在である会沢さんや元治君に会えたり。
家から片道2時間半かけて自走で駒沢へ行き、peregrineのQバーを買って何故かその場で交換せず、バー片手にまた2時間半かけて帰ったりしたこともあった。
エノさんはいつも自分のことを名前で呼んでくれた。
エノさんに秋田のstrawberry jamでばったり会ったとき、あろうことかみんなで飯でも行けとお小遣いまで頂いた。
ご存じ兄弟で切り盛りしているエノさんをモチーフとした極悪BROSのTシャツが好きで、完全に破れるまで着た。
男気BIKES率いる駒沢勢が自分を仲間に入れてくれた時、エノさんは第二の家庭とも言えるくらいほっとする場所だった。
エノさんがあったから、都内で唯一駒沢は長居したくなる場所だった。
何かにつけての「バカ野郎!バカ野郎!」発言もどこか清々しく。
時には「○○の頭をひっぱたいてやった!」等々、武勇伝も誇らしげに。


・・敢えて箇条書きで勢い任せに書いてしまったが、閉店するとの一報には一瞬戸惑いを隠せなかった。
今年いっぱいかと思いきや、11月いっぱいとの情報にライディングを中断し一目散に駒沢へ。
もうすっかり訪れることも滅多になくなってしまった駒沢への道程。落ち葉積もる道は、様々な駒沢への思い出道。
エノさんに久しぶりに顔を出しても、あたかもつい昨日も会ったかのように迎えてくれた、
おう!!真一郎!
おふくろさんは元気か!?
の言葉。
店先には次々に別れを惜しむ方々が入れ換わり、立ち換わる。
その中でも変わらずパンク修理のお客さん達は絶え間なく訪れ、地域に根付いた存在であることが窺える。
閉めてしまうことにがっかりするのは、ライダー関係者だけではないに違いない。
かつての思い出話の中にも冗談混じり?挨拶代わり?の「バカ野郎!!」のエノさん節は健在。
きっとエノさんも本当は辛いのだろう。威勢の良いエノさん節の合間に時折感じた表情の、悲しさ、切なさ。
また時代は終わる。
風に揺れる枯れ葉の音。
思わずこちらも涙が溢れそうだ。
閉店の時刻になりエノさんがシャッターを閉めようにも、多くの方々がその場を離れようとしない。お別れの現実を受け止めたくない気持ちがそれぞれの足取りを重くさせる。
エノさん
50年以上に及ぶ営業お疲れさまでした。
永い間大変お世話になり、ありがとうございました。

2015 10thについては追ってレポートするのでお楽しみに。

しばらく前からは、20INCHERSでもできるだけ昔話を倩(つらつら)と語らないようにしていたのだが、ひとつの時代が幕を閉じようとしている。
BMXシーンを語る上で欠かすことのできない存在、サイクルセンターエノモトさんがお店を閉めるようだ。
BMXシーンに入門し、最先端の情報データベースは駒沢にあった。
駒沢界隈の諸先輩方の思い入れには到底及ばないが、自分のセカンドバイクであったBULLYを組んでもらったところから思い出は続いている。
エノさんで、フラット用、ストリート用、ジャンル別のセッティングがあることを知った。
雑誌サイクルスポーツのショップ広告欄を基に電話番号をメモしては、自分の他愛もない質問にも電話越しに応対して頂いた。
BULLYを組む際にも、フレーム交換に伴うパーツ選定に心配する真一郎少年に、「大丈夫だから任せとけって!悪いようにはしねーから!」とまるで父親のような信頼感を見せてくれた。
全国大会JFAではいつも夕方頃顔を出し、ライダーみんなを我が子のように面倒見て頂いた。
大会が終わってすっかり辺りも暗くなった後にエノさんに顔を出せば、普通に大阪のジャニー君がいたり。
ジャニー君を最もリスペクトしている理由も、正にこの時代なくして語れない。
大会に出ることで増えた友達を伝に、普段の日曜日に駒沢へ乗りに行っただけでも、当然エノさんにもお邪魔すれば、雲の上の存在である会沢さんや元治君に会えたり。
家から片道2時間半かけて自走で駒沢へ行き、peregrineのQバーを買って何故かその場で交換せず、バー片手にまた2時間半かけて帰ったりしたこともあった。
エノさんはいつも自分のことを名前で呼んでくれた。
エノさんに秋田のstrawberry jamでばったり会ったとき、あろうことかみんなで飯でも行けとお小遣いまで頂いた。
ご存じ兄弟で切り盛りしているエノさんをモチーフとした極悪BROSのTシャツが好きで、完全に破れるまで着た。
男気BIKES率いる駒沢勢が自分を仲間に入れてくれた時、エノさんは第二の家庭とも言えるくらいほっとする場所だった。
エノさんがあったから、都内で唯一駒沢は長居したくなる場所だった。
何かにつけての「バカ野郎!バカ野郎!」発言もどこか清々しく。
時には「○○の頭をひっぱたいてやった!」等々、武勇伝も誇らしげに。


・・敢えて箇条書きで勢い任せに書いてしまったが、閉店するとの一報には一瞬戸惑いを隠せなかった。
今年いっぱいかと思いきや、11月いっぱいとの情報にライディングを中断し一目散に駒沢へ。
もうすっかり訪れることも滅多になくなってしまった駒沢への道程。落ち葉積もる道は、様々な駒沢への思い出道。
エノさんに久しぶりに顔を出しても、あたかもつい昨日も会ったかのように迎えてくれた、
おう!!真一郎!
おふくろさんは元気か!?
の言葉。
店先には次々に別れを惜しむ方々が入れ換わり、立ち換わる。
その中でも変わらずパンク修理のお客さん達は絶え間なく訪れ、地域に根付いた存在であることが窺える。
閉めてしまうことにがっかりするのは、ライダー関係者だけではないに違いない。
かつての思い出話の中にも冗談混じり?挨拶代わり?の「バカ野郎!!」のエノさん節は健在。
きっとエノさんも本当は辛いのだろう。威勢の良いエノさん節の合間に時折感じた表情の、悲しさ、切なさ。
また時代は終わる。
風に揺れる枯れ葉の音。
思わずこちらも涙が溢れそうだ。
閉店の時刻になりエノさんがシャッターを閉めようにも、多くの方々がその場を離れようとしない。お別れの現実を受け止めたくない気持ちがそれぞれの足取りを重くさせる。
エノさん
50年以上に及ぶ営業お疲れさまでした。
永い間大変お世話になり、ありがとうございました。

また、一つの時代が・・終わりましたね。
私は、今から・・23年前にエノモトサイクルで通販をしました。
S&Lのビデオテープです・・VHS
あの時代は、情報などほぼなく・・東京のシーンに興味津々でした。
中でも当時、大人気のCCレモンでお馴染みの本多さんには憧れました◎
エノモトサイクルで、本多モデルがあったとか?
KOGなどで関東遠征に行っても・・駒沢公園に行く事もなく結局・・今から・・8年前に用事で東京に行く事がありエノモトサイクルに遊びに行きました。
十代の頃に興味津々だったエノモトサイクル!
とても気さくなおじさんで楽しい会話をしました。
で、駒沢公園にも行きました。
嬉しかったですね~。
懐かしいな。
コンプリで¥120,000くらいで。
エノさんのお店もその頃の面影はなく、売る商品もほとんどなくすかすかな感じが寂しかったですね。
エノさんも元気でしたがどことなく切なさが感じとれてしまうんです。。
世代はどうすることもできませんが、別れを惜しむ人達に若い子はいなく、必然的に30オーバーの年代ばかり。
懐かしい人に何人も会いました。
12万は、雲の上のようなマシンに感じます。
今、存在してたら・・拝んでみたいもんです。
あと、少し気になる事があります。
当時、本多さんはGTだったかな?ギア板をオデッセイのクモの巣柄のギア板を逆に取り付けてる写真を当時、見ました。
私も・・影響されやすく意味も知らないまま・・同じ事をしてました。(笑)
その真相は・・
エノモトサイクル。
また、東京に行く事があれば行きたいな~と思ってましたが残念です。
ホント長い間お疲れ様だったと思います★
伊東兄弟もやってました。裏面にして思い思いの柄を描いたり。
43Tの大きさがあったからこそ映えるようで!
自分はもともとのODYSSEYやGTのウィング柄が好きでした。
だんだん流されて小径化してしまいましたが。。
ホントにあの時代は楽しかったですよね~部品を手に入れる苦労・・ Tシャツを1枚手に入れるのにも・・2時間も原チャリ乗って買いに行ったり・・(笑) 今は、ホント便利な時代になりましたよね。
90年代後半~スプロケットも徐々に小さくなり軽量化が流行し各県でどれだけ軽くするか争ったりと・・バカな事をしてましたが楽しかったな~★
一番使用期間が長かったのはODYSSEYでしたね。製造時期によって微妙にバージョンが変わってて。
表裏シルバー地のが43T、シルバー地に裏面黒バージョンの44Tとかもありました。
アトム君が付けてたGTのウィング柄のロゴが白のタイプが欲しかったんですが、手に入りませんでした。
それで結局周りに流され、39,36,32,30,28,27ときて、現在の26Tに至ります。
それでも離れず慕って、いつもエノさんに集まっている駒沢のみんなが好きでした。
ふと顔出した時に仕事の途中に立ち寄った真野君も見ましたよ。
産廃屋?(違ったらごめんなさい)かなんかのトラックで、後部に「私は絶対事故を起こしません」の署名があったのでわかったんです。
まあ、若気の至りとでもいいましょうか、友達のライダーにも遠い所へ出張に行きしばらく帰ってこれないのがいました。
身をもって学ぶのでしょうが、好きなものに穴を開けて遠回りしてしまうのは勿体ないですよね。
自分も他人事ではなく気をつけます。