20INCHERS

RIDING LIFE

art

2009-10-31 11:56:37 | Weblog
約1ヶ月前から実用化に向け本格的に取り組み始めた720。


右も左もわからない手探り状態。しかしそんな参考になるものがないところに挑む浪漫もあり、

「誰かがやってからでは遅く、今やることに意味がある」

「誰かに先越された暁には、一生後悔するだろう」

そんな気持ちが全てのやる気に繋がっている。




両足ペダルでの切り返しは2回までは流れでこなせるが、3回以上からは格段に難易度が上がる。

始めはやみくもに鬼漕ぎでの入りを試みた。
この速度での入りはスリルがあり楽しく、スピードにものを言わせ4回の切り返しを介して戻れることはあったが、やはりこれは勢いだけの虚しい手づかみでしかなかった。

やはり助走を別にして自分が回転をコントロールしないことには、抜本的な解決策には繋がらないことがわかり、今度は普段となんら変わらない助走で入り回転することで加速させることを意識した。
回転を持続させるには、両手両足固定のため上半身全体を常に回転したい方向の先へ先へと持って行く。

すると、勢いだけで回していた時とは明らかに違う確かな回転軸が見え隠れしてきたのだ。



動きの精彩に日々浮き沈みはあるものの、毎朝720を回りきってから出勤するリズムが出来上がり、今週も沖縄を目前に控えている中大会を意識したライディングなどそっち退けで早朝、昼休みとひたすら反復練習。

どんなに疲れが溜まっていても、霞んだ瞳を擦りながら朝5時には起きて気が付いたら練習していた。
仕事で現場に荷揚げに行った後も昼休みにはしっかり練習していた。

仮にどんなにメーク率が上がったところで、表現できるスペースは大会の規模と反比例し、傍から見ればどこまでマゾなのかといった話だろうが、ただただ自分のスキルを上げたい、進化したい。


それだけ。






いつかどこかで炸裂した時、僕と握手。
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rainy saturday

2009-10-25 20:53:30 | Weblog
新生パナレーサー。


ロゴマークが変わっただけかと思いきや、若干グリップ力が強くなった印象。
スリッピーな路面にも加減することなく全力で攻められる。
同じ1.75の表記は変わらないものの、気持ち太くなったフィーリングを覚えた。

そもそも、高校生時代から現在に至るまで15年以上リニューアルしなかったところに、職人気質的な好印象を持っていたのだ。
そして、なんと言ってもパナレーサーを愛する最大の理由として、


スキンサイド


という絶対的妥協を赦さない、BMXらしい格好良さを兼ね備えている点がある。
強度的に弱く、高圧に耐えられないのは百も承知だが、それでもやはり理想のBMXの姿に魅せられ長年愛用を続けている。
因みに、パナレーサーに自分が入れるエアーは平均100~110psi。よくライダーからエアーの低さを指摘されるが、パナレーサーにはその程度が最も安全圏であり、流行に流されることなく自分のライディングを引き立たせるにはベストな空気圧だ。

他にも多様な製品が出回っており、足跡形のブロックパターンがユニークなオデッセイのベアフィート、IRC、タイオーガのコンプST、ACS RL EDGEと様々なスキンサイドを使い熟してきた。
IRCやRLは言わずと知れたベストセラーだが、中央が極端に尖ったコンプSTは地面との接地面積が少なく転がり抵抗が小さいため、Gターン等の切り返す動きに適しており、そんな「異端児」の性格を把握し良さを引き出す愉しさもあった。

しかし妙な時代の流れで、パナレーサー、RL共にスキンサイドのみ入手できなくなった時期があり、いつもコンプSTを求めて東京都福生市にあるマニア泣かせのショップ「マキタ」へ行っては、やる気ゼロの店長を横目に陰ながら囁かな売り上げに貢献していた。

一方マキタは、やがてあまりの素晴らしい経営状態を見かねたモトクロスインターナショナルから契約を打ち切られたようだった。




かつてあれだけ様々な種類のスキンサイドがあったものだが、欲しくてもどうしても手に入らないという嘆かわしいシーンの到来に、BMXを辞めようかと考えたライダーも自分の周りには何人かいた。
気持ちは痛いほどわかる。昔、エドガーがOGバーが手に入らなければBMXを辞めると言ったのも、正にそれと全く同じ心境だろう。
現在において、お気に入りのパーツにそこまで熱い思い入れを持っているライダーはどれほどいるだろうか。





ライディング如何より、BMXらしい格好良さを心から愛するライダーと、横須賀にある行きつけの大衆酒場で熱く語り合った雨の土曜日でした。
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bay city

2009-10-21 10:13:46 | Weblog
「いつも熱いブログ読んでます!」

「読み終わってから乗りに行くようにしてます!」

「でも、時々漢字が読めないことがあります!振り仮名付きでお願いします!」



先日訪れた神戸でも、たくさんの熱いコメントを頂きありがとうございます。
振り仮名につきましては、一部参考までに改訂したいと思います。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★



4年ぶりの神戸。
大会前夜にツミキ君率いる神戸ライダーの粋な計らいによる、ライダー向けのイベントに足を運んだ。ここ最近、大会の前夜祭的な空間にはしばらく行っていなかったため、久しぶりの日常を忘れるひと時に自然と気持ちも高揚した。

夜も更け、次第にライダーのボルテージも上昇傾向に。
自分はたまたまその場において生憎BMXの鍵を持っていなかったため、クラブ内に持ち込めるか相談したところ、2つ返事でツミキ君からのゴーサインが。
暖かい。
いくらライダー系イベントとは言え、我が分身を無残な姿で野ざらしにしてはおけない。

一方、クラブ内では自分の気付かないところで妙な企みが。
始めは冗談交じりに、

「今ここで(乗って)見せたら盛り上がりそうだよね」

などと話していただけだったのだが、次第に、


「乗ったらどうかな?」


「乗りたい?」


「乗りなよ」


様々なライダーからの素晴らしき3段活用。
痺れを切らしたかツミキ君の口から遂に単刀直入に本題が。


「照明点けたら乗ってもらえるかな?」


リクエストには快く応えるのがライダーの心意気。
そんなこんなで急遽ゲリラショーケース開始。しかも面子は自分、谷川君、甲藤君という前代未聞のコラボレーションと、なんとも18禁な展開。
ものの2mあるかないかのスペース。まず先陣を斬って特攻をかけたのは甲藤君。僅かな距離が故失敗すらできない情況の下、まさかのノーブレーキディケードをメーク。

これには鳥肌がたった。
会話をしている時はごく普通の爽やかなライダーを演じていたそのキャラクターはいざライディングが始まれば豹変、予想だにしない突然の「凶行」。


「あんなに穏やかな子がこんなことをしてしまうなんて‥」


「挨拶のできるいい子でした‥」


「クラスの人気者でした‥」


などといった声すら心にこだました。
また、MCの石田君も触発されたかライダーのペース配分もよそに個人的リクエストを連発。そして最後にその砲口は自分へと向けられた。


「トリプルでこの場を締めてください!」


石田君、酒の勢いか相変わらずの無茶ぶり。
自分、既に数杯飲んでますが。。
気まずく終わるのが一番つらいので、なんとかダブルで勘弁して頂いた。
それでも苦戦し、数回後に決まった瞬間はクラブ内の絶叫の渦に呑まれながら胴上げされて宙を見た。



普段の練習では正直きついことの方が多いディケードだが、やはりがんばって続けてきてよかった。
だが、この場で運を使い果たし肝心な勝負の場で威力を発揮できないところが変わらぬ自分の小ささ、哀しさ。




明日も陽は昇り、ライディングは続く。
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next project

2009-10-12 23:52:36 | Weblog
鳴かず飛ばずの2.5連休。
調子がいいのか悪いのかわからないまま、連休最終日の午後にやっと収穫ひとつ。



ネクストプロジェクト始動。

高校生の頃にペリーマーバーのローレイドを見て、これは一生できないだろうと思い、また取り組みたいと思わなかった。
ライダー生命に関わるリスクをローレイドからはいつも感じていた。

しかし、ある日の夜ふと悟った。
「きつい一発」という自分が最もこだわっているコンセプトにローレイドは見事に当て嵌まるではないか。微妙なスキルや練習法より、求められるのは勢いと度胸。

5/10の午前中に航空公園で意を決して初挑戦し、とてつもなく高く聳え立つ壁に爪跡を残すことすらできなかった。案の定、翌日に凄まじい全身の筋肉痛という代償を頂いた。
全ては怖さ、自分の弱さとの闘い。怖がってフロントが上がりきる前に跳ぶと地面に降りてしまう。回りきることだけを意識するとBMXごと浮いてしまう。

だが次第に、ごく稀ではあるが、ローレイドの頂点というべき高さを出せる時があり、メークできるのはこの位置なのだろうという感覚を掴めるようになってきた。
そこはノーブレーキにも関わらず、あたかも止まれるような感覚のある氷山の一角、狭い狭い許容範囲であった。

毎度毎度の練習で必ず取り組んでいた訳ではなく、本当にモチベーションが上がった時に初めて練習するといったスタンスだったが、先週に台風一過の青空の朝、急に左足がフレームをキャッチできる回数が上がった。ほんの少し前には特にそれといった挙動もなく、それは台風と共にライディングに大きな風を起こした。
やる気が確固たるものに変わり、昼休みにひたすら反復練習。なんとか今回の週末で決着を付けたいところ、約5ヶ月かかり今回横須賀で初メーク。
メークの瞬間は当たり前のようにフレームをキャッチし颯爽と走り去って行った。やはり例により呆気ない(笑)

午後の穏やかな斜陽はメークを讃えるかの如く、酷く疲れた自分の体を優しく癒してくれた。




気づいたのは単純にトリプルよりかは簡単ということだが、当然双方共リスクは高く、ダブルやトリプルでフリーズしBMXの上に落下するのが車で言う正面衝突なら、ローレイドで空中のミスにより地面に投げ出されるのはさながら旅客機の墜落と言った有様。




背筋及び肩筋の素晴らしい痛みと、心地良い達成感、脱力感に包まれ静かに眠ろう。
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rollayd

2009-10-12 14:58:24 | Weblog
たった今、ローレイド初メーク。

感想は後程。
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infinity bikes

2009-10-08 07:43:54 | Weblog
そのサンフランシスコのレベルの高さに、毎回乗る度に自分のライディングがつまらないものに思えてきて辛かったそうだ。
渡米先から何度か電話があったが、かなりカルチャーショックを受けている様子だった。

だが、そういった場で培った経験こそが大会で力強いライディングを見せるための大きな土台を形成したのだろう。横浜でのCORE-Xの時に右峰君が乗っていたBMXは、ネオンピンクのフレームにゴールドのパーツと一際目立つものだったが、その見た目に引けをとらないスキルにも凄まじさを感じた。

ちょうどペダル系のスタイルが確立されてきた辺りか、どんなに自分が決めても勝てない時期があった。


また何かとぶつかり合うことも多かったトライアングルにも、やはりどうであれサポートして頂いたことには感謝していたのだろう、自分から見て一番貢献しているように思えた。
ただ気の毒なことに、ライダーなら誰でも経験はあると思うが、新しい物に挑む際の避けては通れない「怪我」という名のリスクに苦しめられることも多々あった。やはり求めているものが奇抜なだけに、それはあらゆる角度から複雑にかつ突如として襲いかかる。

新作がもう少しでできそうという所で怪我により練習中断、全快し再び挑んだ所またもや怪我と単なる偶然とは些か言い難く、あたかも忌まわしい何者かに狙われているかの如く「奇襲」がライディングの水を差していた時期もあった。

誰も見たことのない理想郷に、できるかどうかもわからないオリジナルという鋭い荊に、裸一貫挑んでいたのだ。


「一番最初に挑む」


それはライダーの最も名誉な姿。
ライディングにある浪漫の極み。





ふと先日右峰君と話をしたところ、

「自分は一生BMXに関わっていたいから、今は敢えて距離を置いている」

のだそうだ。
変わらぬ深い考え方。以来、地元にそのくらい刺激を受けるライダーは生まれて来ない。
右峰君の最前線からのフェードアウトに伴い、取り巻いていたライダーもあまり姿を見かけなくなり、結果、


「乗り続けたい」



志を貫き通した自分はひとりになった。
お互いの家が目の前にも関わらず、今会うのは大会の会場でのみライダーとジャッジという関係。





またいつの日か純粋に航空公園でそれぞれのオリジナルトリックの発表をしたい。
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flow

2009-10-07 10:37:41 | Weblog
「オリジナルトリック推進委員会会長」


オリジナルを常に追求していた伊東高志君がそう呼ぶほど認められた「宇宙」なライディングワールド。





例によりある読者の方からの執筆要請があった。

「同郷仁義」のタイトルで約2年前に綴ったことがあったが、せっかく頂いたリクエストだ。前回と角度を変えて振り返ってみよう。


今や全日本クラスの大会の固定ジャッジとして定着している、


東右峰君。


現在はライディングの一線から身を引いているが、ふと気がつくと現在のスタイルの礎を築き上げたセンスの持ち主でもある。
例えばフロントブレーキのみのスタイルなどは、おそらく右峰君が第一人者として世に浸透させて行った。

KKトライアングルからリリースされたモデル、「フラワー」のプラットフォームを撤去した右峰君のシグネチャーモデル、「イーストフラワー」が堂々発表された頃だ。
その後もトライアングルでのフレーム及びパーツ開発にも余念がなく、日々ライディングに打ち込む傍らプロモーションにも熱心に取り組んでいた。



自分も一時期KHEのファクトリーライダーであった時代、トライアングルに在籍していたことがあったが、それよりも随分前からトライアングルの看板ライダーだった右峰君からの話によれば、ただならずライダーとメーカー間でのぶつかり合い、軋轢が生じることも少なくなかったようだ。

持病を患っていたトライアングルの社長が他界し、社長令嬢が次期社長の座に就任と相成った暁にも、サポートライダーにおける待遇は雲泥の差と何かと専ら話題に上がることが多かった。


確かに言われみれば、それを裏付ける出来事はいくつかあったかも知れない。


24歳。
お台場で開催されたCORE-Xに我々の出場が決まった際には、確かに前社長からはエントリーに絡む諸経費及び2日間のホテルの手配まで至れり尽くせりのサポートをして頂いた。

25歳。
翌年、横浜開催のCORE-Xでは後任の社長令嬢からの指令でホテルは一晩のみライダー全員で一部屋と、較べてしまうと寂しい気持ちも隠せなかった。

当時大阪にあったトライアングルのオフィスでは、社長令嬢と経理担当のうすいさんの協議の下ライダー管理がされていたようだが、いまいち我々の活動が正確に伝わっていないようだった。



「お台場より横浜の方が遠いっつーの」

「横浜はお台場の隣にあるとでも思ってんじゃねーの?」



幼心か次第に不満を口にすることが増えて行く。
また、当時オフィスでは犬を飼っていて、



「俺達に還元されなくなってから〇〇ちゃんの餌の量が増えたのはどういう訳だ?」



なかなか鋭い観察力。
悔しい気持ちが爆発したか、お台場での予選敗退を挽回するべく、右峰君も自分もぎりぎりではあったがなんとか決勝進出。
この時の右峰君の勝負に対する意気込みは凄まじく、灼熱の太陽が容赦なく照り付ける真夏の会場で、ひたすら体力コントロールに専念していた。ライダーが我先にと乗り込む中、周りのペースに翻弄されることなくライディングチェックはほどほどに日陰でストレッチ等を繰り返していた。

その冷静さこそ、勝負の明暗を分ける鍵だったと言えよう。それプラス歴代の場数、経験値。


自分が随分前にロサンゼルスに武者修業に行ったのに対し、右峰君はそれよりも遥か北へターゲットを絞りサンフランシスコへ単身乗り込んだ。毎日kerry gatt、dan rigby、dyran worsley、といった所謂インフィニティクルーと、週末にはross smithとライディングを共にしていたようだ。
実際、chad johnston監修の問題作「CONNECT」にもross smithがライディングしている背景に、黄色いTシャツを着た右峰君の姿が写っている。




後編へ
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wanted

2009-10-02 08:36:37 | Weblog
もはや誰にも止めることはできなくなった小沢君は、遂に一線を超えた。
泥酔状態で海に飛び込み、岩に頭部を強打し出血多量により自爆と、ある堕ちたライダー劇を自らの身をもって全身全霊我々へと伝えていた。

それ以来小沢君に会うことはなかった。





しかし、やはり各方面から様々な情報は飛び交って自分の耳へと入り込み、それはライダーの歴史や情緒漂う勇ましい武勇伝はなく、限りなく「裏」の世界を生きる「黒い」エピソードばかりであった。


ホテルに就職後、ベッドの下に潜伏し盗撮で逮捕。

娑婆に出た後、産業廃棄物の不法投棄で再び服役中。


直接知った訳ではなくあくまでも人づての情報だが、彼のキャラクターとエピソードを照らし合わせると、それらはどうしても自然と合致してしまう。以来唯一見たのは、ディギットジンの最後のページに連載されていた「ディギットジン新聞」という多くのライダーから寄せられた情報に基づき構成されていたコーナーがあり、その中にやはり小沢君の良からぬ出来事を記した一文があり、小さな小沢君の顔写真が掲載されていたの見たのが最後。

写真を拝見してみれば、当時自分達と一緒に遊んだ小沢君の面影は跡形もなく、顔の面積の大半を髭に侵食された仙人のような変わり果てた姿に。





ライダーの才能は目覚ましいが、素行不良のためかなり人生を遠回りしてしまっている例は今まで何度となく見てきている。

実に勿体ない。


小沢君の「今」をご存知の方、是非御一報を。
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psychobilly

2009-10-02 08:36:19 | Weblog
徐々にシリーズ化されつつある(?)ライダー捜索願い。

不特定多数の方が見ているこの場で今回の内容はあまりにもディープかつ危険極まりないが、敢えて執筆に踏み切ろう。




何故かここ最近ふと思い出し、気になっていた。

そんな折、先日佐賀県を訪れた際に立ち寄った新生ディギットにて、たまたま偶然スキップさんから聞かれた。
やはり同じシーンを過ごして来た者同士、不思議と疑問の対象も似通ってくるのだろうか。



「まこちんは今どうしてるのかな?」



まこちん=当時東京都日野市在住のオールラウンドなライダー、小沢君。
その頃マニアの間で一世を風靡したディギットジンでも彼の掲載頻度は著しく、実際大会等でも彼の独特な世界を表現する乗り方は印象的だった。
また、横須賀での大会では酒に酔った勢いで大会進行中にMCを乗っ取るなど、多才な活躍をアピールしていた。

横須賀での伝説を語る上で、小沢君なくしては始まらないと言っても過言ではない程、自分の心の中に彼の存在は深く刻み込まれている。




1997年7月 横須賀



アキルジャムを通じ、横須賀の岡山潤君と仲良くなった自分達はお互いのローカルを行き来し、自分も地元にはない「海」のある風情溢れた街、横須賀が好きになった。
横須賀に行ってはライディング、海、バーベキュー、そのまま岡山潤君の家で合宿と、さながら現実逃避のバカンス気分。以来10年以上経った今でさえ、横須賀=リゾートの固定観念が離れない。



そんなある日、

「またみんなでおかやんとこに遊びに行こうぜ」

地元の幼なじみのライダー間で意気投合し、早速週末には横須賀へ。
しかし個性豊かな面々は、何故かそれぞれが別行動で現地集合。そして地元のひとりが、やはりどういう訳か日野経由で小沢君を拾ってきたらしく、いまいち組み合わせが理解できないままうみかぜ公園でライディングを共にした。

ライディングの合間にも若気の至りか、公園のトイレで髪の毛を脱色&ヘアマニキュアでカラーリングとやりたい放題のライダー達。
当然小沢君も例外ではなく、鮮やかな黄緑の頭に豹変しトイレから登場。

これが、この後彼を「奇行」へと暴走させたプロローグであった。




ライディング後は海と定番メニューを辿り、岡山潤君の案内で「穴場の綺麗なビーチがある」と連れて行って頂いた先は、

「首斬り場」

と呼ばれるその昔処刑場だったらしいプライベートビーチだった。道理で人気がない訳だ。
海は綺麗だが、くらげも多く点在しているのが気になっていた傍らで、ある時を境に小沢君から会話が聞こえなくなり、どうしたのだろうと振り返れば、何を血迷ったか大量のくらげを口に含んでいるではないか。
周りのライダー達も一時は騒然となったが、それはきっと個性的な彼なりのサービス精神と勝手に都合のいい解釈で片付けた。

が、口に含んで遊んでいるだけかと思いきや、よく見ればきちんと噛み砕いて消化しており、その後40度の高熱を患うといった立派な代償を欲しいままにしていた。


仕上げに夜は観音崎の浜辺でバーベキューと、横須賀満喫の宴は留まるところを知らない。
小沢君も相当楽しんでいる様子で、黄緑の髪に全裸の出で立ちでナンパに行き、声をかけた女性に人生を熱く諭し、会話のネタが尽きた後には国道16号線のセンターラインで全裸で脱糞と、飛ぶ鳥を落とす勢い。


後編へ
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dash

2009-10-01 19:28:51 | Weblog
以前に富士急に行き、妻の幼なじみの悪友とドドンパに乗った。

あの出だしのダッシュには心底惚れ込み、その後即座に考えた。




「あんなに鋭い勢いのライディングができたら、どんなに気持ちがいいだろう」



いつもイメージしている一直線に弾丸の如く突き抜けて行くライディングの理想像に、そのフィーリングは見事に当て嵌まった。

そんな、ドドンパな風を感じられる動きを最近見つけ出した。
こんなスピードで入ったらどうなるかわからない。だが、そのスピードでしか味わえない世界がある。このスピードだからこそ活きる作品がある。
恐怖と快感のぎりぎりの凌めぎ合いこそ、正にライディングの醍醐味。


今日の大会の会場等では表現できない、いわば、


「あなたの知らない世界」


を探り当てた時、「リスク」は「浪漫」に姿を変える。

何かのためでも、誰のためでもなく、ただひたすら自分の腕を上げるため。
それが自分の人生を最も豊かにする糧となる。
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