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最高裁が下した社会が責任を負うべき認知症患者家族への判決

2016年03月01日 18時48分36秒 | 社会
愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出して列車にはねられ死亡した事故を巡り、JR東海が家族に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁は、男性の家族に賠償を命じた2審判決を破棄し、JR東海側の請求を棄却した。

未曾有の少子高齢化社会を迎えた我が国において、この判決の意義は大きい。最高裁は今後、認知症高齢者の問題は家族ではなく、社会全体が責任をもって解決しなければならないという指針を示したのである。

もし、認知症の高齢者がおこした事故に家族が責任を負わなければならないのであれば、家族には多大な負担がかかり、介護離職や老老介護による共倒れが後を絶たないであろう。安倍政権は一億総活躍社会を目指すというスローガンを掲げているが、政府が認知症患者や高齢者介護の問題に真剣に取り組まなければ一億総活躍社会などは絵に描いた餅であることを認識しなければならない。

同様のことは子育て支援にも言える。先日、「保育所落ちた、日本死ねと」というブログがネット上で話題となり、特に都市部において保育所の待機児童をかかえる多くの母親の共感を得た。待機児童の問題に関しても、個人のレベルではなく、社会全体で責任を負わなければ解決しない課題である。ここでも、少子高齢化社会に向けて充実させるべき社会保障をないがしろにし、経済優先の強い国家づくりを目指す安倍政治の意識改革が求められる。

自民党が掲げる憲法改正草案では「家族は助け合わなければならない」と記している。人間として当たり前の道徳的行為であるが、社会保障に関する国家の責任を放棄したいという政権の意図が読み取れる。もし、この憲法下で認知症の高齢者が問題をおこせば、家族が罰せられることになる。この点で今回の判決は、自民党が提示した改憲草案にくぎを刺したと言えるのではないだろうか。時代の趨勢は国家の膨張ではなく、そこに暮らす国民の幸福に直結した政治に傾いているのである。



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