人はなぜ戦争をするのか

循環器と抗加齢医学の専門医が健康長寿を目指す「人」と「社会」に送るメッセージ

文化の日に改めて思ったこと

2015年11月04日 15時29分30秒 | 社会
昨日は文化の日であった。1946年(昭和21年)のこの日に日本国憲法が公布されたのである。戦後間もなく憲法が公布された背景には、GHQによる我が国の統治を容易にするなど、いろいろな政治的思惑があったであろう。しかし連合国の意図はそれだけではなかったと思う。人類史上最悪の悲惨な戦争をもたらした全体主義への反省や、平和に対する願いを日本国憲法に込めたかったのではないか。人間社会が理想とする憲法を創りたかったのではないか。その意味で日本国憲法は世界で最も進化した憲法に違いない。その基本理念は未来永劫に人間社会に通用するであろう。一部の改憲を目指す人々がその根拠となすような「安全保障環境や国際情勢の変化」などでびくともするような代物であってはならないのである。

日本国憲法の画期的な点は、我が国に民主主義を定着させ、再び全体主義国家にならないような縛りを設けていることである。現行の日本国憲法とは対照的に、自民党の憲法改正草案では国民の権利に関して「個人の尊重」が「人としての尊厳」に変わっている。私たちは「個人」から「個」が抹消されたことの重大さを認識しなければならない。「個」の反対は言うまでもなく「全体」である。ここでも全体主義化を推し進める政府自民党の意図が読み取れる。中国の全体主義に対抗できるのは個人を尊重した民主主義である。抗がん剤でがんを根治することができないように、武装平和は長く続かないのである。中国に民主主義を根付かせるような外交努力こそが戦争を回避する最善策であろう。民主主義が全体主義を駆逐するとき、戦争の脅威はなくなるのではないか。そんなことを改めて思う「文化の日」であった。