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おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
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心得させることはきっちりと

2024-04-19 13:57:51 | いろいろ

昨日の続きです。とはいうものの、ぴったりと同じ系列で並びはしないな、と今書きながら思いました。ご自分で話を続けてくださいませ。

息子Kの5・6年生の担任の先生です。ある父母会の後の懇談の時間に次のような話をなさいました。

「皆さんのご家庭では、食事の時、どういう順番に料理の盛られた食器を配られますか。実は最近気がついたのでsが、給食を配る時、ぼくは最後なのです。生徒全員の後の最後です。これどう思われますか。」

「きっとご家庭では、残業で遅い帰宅のお父さん抜きの食事も多いかと思いますが、日曜日や、また子供と母親の食事の時の配る順番を思い起こしてみてください」。

がやがやと声が上がって、お父さん⇒子供A⇒子供B⇒お母さんの順が多かったような気がします。
「お母さんは、子供より偉い人(表現にやや不満ですが)ですよね。それが一番最後なのです。躾担当のお母さんは自分の方が偉いんだけれど、自分を先にするよりは子どもからかな?の意識で、子供も当然、順位は分かっているだろうけれど、今は・・・との意識のようです。

「でも、ぼくは、子どもたちは、この順列が本当は先のお母さんだけど・・・」の意識が失われているような気がするのです。僕が先に給食を食べたいわけではありませんが、指導者としては、先生を立てる・・・お母さんを立てる順番の意識をしっかり持たせるように教えなくてはと思ったのですが・・・」

子供ファーストで子供を立ててばかりいると、子どもは自分が順番の上の方で、優遇されて当たり前と思いかねないようですぞ。、

 


亀さんもお散歩

2024-04-17 14:05:06 | いろいろ

公園に新しいお友だちが出来ました。お散歩に来るペットたちです。

今日は亀さんが草原でのんびりしているのに出会いました。亀の国でも、イクメンパパがお散歩係のようです。

パパは、小さな椅子をご持参。カメさんがごそごそと楽しんでいる間、座って日光浴をしながら読書のようです。

「こんにちは。写真撮らせていただけますか」
「どうぞ」ちょっとぶっきらぼうな返事です。ばあさんの図々しさで一枚とり、強引にインタビュー。
「この亀さん、ずいぶん大きいですね。甲羅の長さが50センチは超えていますね」
「始めは小さかったのです、5・6センチもあったでしょうか。もう10年飼っています」
「あら~大きく育ちましたね。何を食べさせるのですか」
「これは陸亀ですから、草食です。こうして草原で草も食べますが、冷蔵庫にある、レタスやキャベツ食べますよ」

暫く話してまたお会いしましょうと別れてきました。
人間二人、間にペットがいると話がはずみますね。


イチローさん、お気の毒、

2024-04-16 13:37:37 | いろいろ

今朝の日経新聞広告欄に、モデルとしてイチローさんが載っていました。ページ一杯に彼の胸から上の写真です。大谷フィーバーで一頃のように彼の姿を頻繁には見られませんが、昨日は、若いライバルが、彼の記録に並んだとかで名前を聞いたところでした。

ところがこんな写真なのですよ!!
新聞を縦横半分、四つ折りにしたところが、その折り目の真ん中が、彼のお顔の真ん中ではありませんか。お気の毒!!

写真には肖像権があって、本当はこういう風に流用してはいけないのでしょうか。
でも肖像権があるのなら、大事なお顔を台無しにするこの位置に、お顔を持って来るなんて、なにか禁じられてはいないのでしょうか?

広告を載せようとしたスポンサーにせよ、こんなお顔を使うつもりはなかったはず。 ページのどこに載せるか、検討つけてという配慮はしないのでしょうか。

何れにせよお気の毒!!


絵本「どうぞのいす」

2024-04-13 13:11:27 | いろいろ

古い新聞の切り抜きを整理しました。昨年の1月4日、の折々のことばに心惹かれました。ほんわか温められるような気がしました。お福分けいたします。

『でも からっぽに してしまっては あとの ひとに おきのどく』絵本・(どうぞのいす)

兎が木の椅子を作り「どうぞのいす」と書いての野原に置く。通りかかったロバはドングリの籠を椅子に置き、木陰でお昼寝。熊が来てそれを頂き、お礼に蜂蜜を置いていく。次に狐がパンを、リスが栗を置いていく。目を覚ましたロバはドングリは栗の赤ちゃんだったのかと驚く。

見知らぬ人の好意だけれど、途切れることなくつながっていく。この絆あってこそ、たくさんの人々がうまく手をつないで、暖かな社会を作っていけるのか。
解説の文は(鷲田清一)こんな言葉でくくられている。

『国の財布が空になると預かった人はどう言うのかな』。ひやりと気持ちが冷めてしまう。


物を捨てる際の心構え

2024-04-04 16:53:44 | いろいろ

日経新聞の「春秋」にこんなことが書いてありました。(4月3日・朝刊)

『片付けが不得手・自室も、職場の机の上も、混乱の極み。物を処分できない性分が大きい要因だと思う。
「人生がときめく片付けの魔法」という、世界的ベストセラーがある。(近藤麻利絵著)。引き出して読んでみた。
近藤氏によれば、物を捨てる際の心構えは「一気に、短期に、完璧に」だそうである。
理想の暮しをイメージして一つ一つのものの役割を考える。そうすると散らかった状態には戻らない』

春秋氏は、ここから発して、派閥の政治資金の話に移っていくのであるが、今日は片付けのここ迄をお借りしよう。

そう。日々の暮らしに、必要か、不必要か、潔く一気に決めて、迷わず、未練心が出ないうちに短期に棄てしまう。やり始めたらここまで・・・と中途でやめず完璧に。だろうか。

誰だったか、徹子さんとの対談で「捨てましたよ。今迄の生活をすっぱり変えるために、一度全部捨てました」と語っていました。これは勿論やり過ぎでしょうし、あまりに物に対する愛情がない様に思いました。

物に役割を与えるというのは、要は、与える役割が無いものは、いらないものと考えて、初めから求めるべきではないのでしょう。あふれる不必要なもので、乱雑な、満足のいかない暮らしをするなんて・・・ということでしょうか。

あの世行きの列車の発車時刻がきちんと分かれば、片付けの困難は半減するでしょうけれど。
人間様には、それは予告されない。