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おせっちゃんの今日2

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幸田文・・・ちくま日本文学

2022-09-07 13:29:50 | 読書・映画

脳味噌の老化現象で読解力が衰えて、読む本を替えたことは以前お話しました。登場人物が少なく、人脈が複雑でなく、内容が比較的まとまっている、短編のものにしました。
先日来、「ちくま日本文学・幸田文」を読んでいます。ご存じのことと思いますが、彼女は幸田露伴の娘です。高校の現代国語に、露伴から家事一般をこなす心得を教え込まれる様子や、露伴が亡くなって葬儀を終えて、「別れすら」終わった、と書いた文を習ったことを思い出したのでした。

大好きなM先生の、この「すら」の表現についての名講義で私は大学でも国文を専攻したのでした。必ずしもこれがよい選択だった、自分に合っていたとは思わないのですが。

昨日前述の本の「雛」と題した文(エッセイ(?)小説(?))を読み、感じ入った箇所がありましたので、書いてみます。私の拙い文でお伝えできるものではありませんが。要所だけ書きます。

娘の初節句にお雛様をと思った。揃えるならいいものを・・・の気持ちが、だんだん高揚してきた。お雛様も最高のもの、ひな壇と天井の高さの間の空間も幕をおろしたかった。部屋全体を春の雰囲気に、廊下も桃の生け花と菜の花の生け花とで飾った。招待客は夫の母、私の両親二人の三人だけ。
市場で食事の新鮮な魚も吟味した。完璧に準備して待った。
三人の年寄りは大いに喜んだ(と思った)

翌日、父から寄ってくれと言伝があった。あ、叱られると思った。
穏やかにではあるけれどこんなことを言われた。
「至れり尽くせりにやったな。でもあれは尽くし過ぎではないか。尽くして後、なにが残ったか、お前は子どものためというけれど、子供に何が残ったか。しゃにむに子供に分不相応に使い果たしていいものか、お前が子供の福分を薄くしたようなものと思わんか」。浪費と言わずに福分を使い果たす、と注意した。

それだけ言って、言外に姑の所にもよって行けとにおわせた。

姑は
「実はね、あの日帰ってからいろんな気持ちがしてね、言うにも言われず、言いたくもあるしという変な気持ちでした。あちらのお父様はし過ぎたとおっしゃいましたか。私はまた、残しておいてもらいたかったと思ったのですよ」
「ああ全てをやってしまったら、祖母のこころの入り込む隙がありません。何か足りないものがあれば、来年、買い足して孫に贈る楽しみもあるのに、と味気なく思ったのよ」。

言われてみて納得した。欠けたところがないのは寂しさに通じるのか。

父は労わりの中で、ずけずけと叱った。姑は「いたりつくす嫁」にいうに言えない寂しさを感じていたという。

 

難しいものですね。

 


万年筆の葬送・・・吉村昭

2022-08-24 13:34:00 | 読書・映画

今日も吉村氏のエッセイから。(おせっちゃんが勝手にまとめました)

中学に入学した時のこと。父やが万年筆をお祝いに買ってくれた。胸のポケットにさしこむ動作が誇らしく、嬉しく、はっきり覚えている。
世の中はワープロ、パソコンになって来たけれど、万年筆を手放す気は全くない。

自分で万年筆を求めたのは長崎・マツヤ。確かパーカーだった。
これはどうかなというのを4・5本選んだ。店主は「字を書いてみてください」という。そして私の動作をじっと観察する。気に入った一本が決まると、ペン先の微妙な傾斜や太さを、仕上げてくれた。いかにも職人の眼差しと仕事ぶりだった。

小説・エッセイを書くのは、パイロットと決めていた。かなり使い込んだある日、先端が揺らいで、離れてしまった。店主に送ったら、「修理可能」と返事が来た。
でも私は修理は止した。「その万年筆が可哀想。十数年私に酷使されて首が捥げてしまったのです。静かに葬ってやりたい」と返事をした。丁寧に包装されて、帰って来た。

店主のいかにも誇りの高い名職人の仕事ぶり、物書きの相棒である万年筆に対する暖かな心遣い、読んでいてふっと胸が熱くなりました。

おせっちゃんにも万年筆の思い出があります。東京の大学に落ちて、山口大学に入学しました。まだ戦後の貧窮から抜け出していませんでしたが、父が腕時計を買ってくれました。「こうした貴重品を買うのは信用のある店でないと」と、出不精な父が知り合いのお店まで同行しての買い物でした。

それに加えて,4兄が「俺が万年筆を買うちゃろう」と言ってくれたのです。まだ学生だったか、大学の助手になりたてだったかの兄でした。万年筆の胴は今でいうプラスチックだったでしょうか、半透明の、中の部品が透けて見えるものでした。吉村氏と同じように、心躍る嬉しさでした。

こんな思いでの万年筆でしたが、まだ品質は劣っていたのでしょう。1・2年経つうちに、胴にひびが入り、時間とともにインクが漏れるようになったのでした。
それをどうしたか、覚えがないのです。きっと、整理好きの私です、未練なく捨ててしまったのかと思います。吉村氏のような温かい心での見送りはしなかったのでしょう。

万年筆を買い替えるほどの財力はありません。その頃の地方大学生は、着たきりスズメで、時には下駄ばきで、教科書ノート類はベルトで十文字掛けにし,ペンと小さなインク瓶とをぶら下げて、通学していたのです。教授の読み上げる論文などを、それで筆記していましたね。


被害広げた大八車

2022-08-23 13:49:41 | 読書・映画

吉村氏のエッセイの中には、こんな実用的なことも取り上げられています。
関東大震災についてです。

★ 父   「ちょうど昼食の支度をしている時間だったんで、七輪や竈から発火したのだ」
★ 吉村氏 「それは勿論あっただろうけれど、私は歴史を題材に小説を書いている。資料を調べてみました。それによると原因の大きなものに、薬品の発火ががあります。学校・試験所・研究所・医院・薬局などにある薬品が棚から落ちて、その衝撃で発火しているのです」

おせっちゃんは、化学が苦手でした。赤線地帯をさまよって、落第点近くをお情けで卒業したのです。どのような薬品が発火するかなど分かりませんが。

★ 父   「避難するものが大八車を引いて、また家財道具を背負って逃げ惑う。この欲が逃げ道を塞ぐ。荷物に引火する。このことは江戸時代から、厳しく禁じられているけれど、人間欲が出る。現在は大八車が車に変わっている。ガソリンを積んでいることを忘れないようにしなければ」
★ 吉村氏 「阪神大震災の時、この車が道を塞ぎ、消防車が身動きできない不都合が起こった」。

日頃からの訓練が大事だと思います。  


一掴み、20本

2022-08-20 13:03:10 | 読書・映画

筋書きの複雑な小説が理解しにくい老いぼれ頭になっていることはすでに告白しました。思いついて今まであまり読まなかったエッセイ集を読んで見ることにして、夏休み前から吉村昭の「縁起のいい客」を図書館から借りてきて読み始めてみました。登場人物も限られているし、話の筋も複雑で覚えられないということはなく、それでいて、生きていく道案内になってくれるようなものに心惹きつけられたりします。

「一つのことのみに」というエッセイ。

父親が、仕事がらみで煙草工場を見学して興奮して帰宅したことがあった。その頃巻煙草は印刷した紙の袋に20本、女性社員が手仕事で詰めるのだった。

女性がぱっと掴めば20本。何度掴んでも20本、間違いなく。
ずっとこの仕事一筋、何年も何十年もつかんでは袋に入れる、これだけをやってきた女性である。「一つのことのみに」立ち向かうということは、こう言う事なんだと感心して話した。

決してたいそうな仕事というわけでもないだろうけれど、プロですよねえ。見事なものですねえ。

これを読みながら私の耳の中でひっそりと囁く声が。
「おせっっちゃん、あなた専業主婦のプロでしょう。何年主婦やってるのよ。こうした誇れるものあるの?」。そうですよね、主婦やって65年近くなるのかしら。う~ん、誇れるものかあ。

ふと思いつきました。誇れるほどのことではないけれど、60年以上、飯炊き婆さんをしてきました。電気釜に米を入れる。我が家では夫に、せめてご飯だけでも炊けるように、研がなくていい無洗米を使っています。だから手順としては米を入れる、蛇口をひねる、窯に水を灌ぐ、量を確める、の手順で、準備はできるのです。この時、水の量がほとんど狂ったことがない。ぴったり釜の側面の水量線にあっている。

煙草の女性ほどには行っていないけれど、半プロである。お粗末さま。

 


身の引き方・・・落語家の例

2022-07-26 13:35:13 | 読書・映画

山藤章二氏のエッセイ、続きが読みたいという御希望が2・3寄せられましたので、今日はそれをアップいたします。

私(おせっちゃん)は専業主婦ですから、仕事はおさんどん・飯炊きババアです。それほど感謝されることもなく、尊敬されることもなく、いわば、家事をやってくれる人がいないと不便だというその気持ちだけで追使われているようなものです。定年などという身の引き方は思いもよらず、死ぬ日まで仕事場から離れられないと思います。(少々愚痴っぽいですね、お許しください)

山藤氏も、自由業と言っていい仕事、だから、歳をとったからと言って、身を引く時期を厳しく考えなくてもいい身分だと自分のことを考えていらっしゃるようです。勿論こうした身分の人も多いのだけれど、歳を重ねると、自分の身の引き方を考えるようになるものらしい。
いろんな業界で、長老のように、ご老体で頑張っておられる方がいらっしゃる。敬遠と、尊敬の目で見られる。そして「誰が猫の首に鈴を付けに行くか」と囁かれるようになることもあるそうな。

山藤氏のシェルターの落語界も。

★ 桂 文楽師匠・・・作中人物の名前を失念なさった。静かに居ずまいを正し、「勉強してまいります」と言って講座を降りられた。そして2度と高座に上がられることはなかった。

★ 古今亭 志ん生師匠・・・同じような場面でも、あわてず騒がず。もともとあ~う~あ~、なにを言っているのか分かりにくい口跡の人でそれが売りでもあった。
「ほれ、なんだ?・・・その男が・・・」などとうまくごまかして続けた
お迎えが来る直前まで、高座に上がり続けた。

どちらが正しい身の処し方とは言えまい。持っている芸の型から、生きてきた人柄から、許されて最期まで語り続けて名を成す人、律義に身を処す方、いずれもすばらしい。