おせっちゃんの今日2

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まま、ずるいよ。当然だよ。

2024-05-29 13:28:54 | わが家の話

年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。
それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。
子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。

その夕食時
「先生、困っていらっしゃるようだったよ。給食は完食が目標なんだって」
「お腹いっぱいになるんだもん。食べられないよ」
「特にトマト一口も食べないんだって?!」
「あれは無理!。ママだって食べないんじゃあないの!!」
「お腹いっぱいなのに食べろったって。食べろ食べろと言われるとますます食欲なくなるよ」
「ママだって!」
「ママはトマトだけだよ、食べないのは。他は残さないでしょ」

「まま、ずるいよ!!お料理するのはママでしょう。自分の食べたくないものは作らないんじゃないの!!好きな物だけならたべられるよ~だ」

参ったな!!

それ迄長い間、食事時間が楽しい時間でなく、食べろ食べろの小言時間だったことを反省させられました。
食べる量など個性だよね。夕食だ食べなければ、食べたくないのに押し込むことないよね。明日の朝にはお中、空くでしょう。そしたら食べられるよね。そうだよね、無理はしないでおきましょう。そのうち食べたくなるよね」

子供から教えられました。食べる量など決まりがあるわけではないだろう。楽しんでいればいいんだよね。

5年生、そろそろ食べ盛りという年齢になってきました。
「ただいま~。今日のおやつ何~?ああ腹減った!!」。
チビはチビなりに成長していきました。

子育ては自分育てでもあります。親も学ばなくてはですね。


親も時代に即して生きなければ。

2024-05-28 13:44:32 | 知人友人

親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。

今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papa told me] 巻24の中の言葉(らしい?)

『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。

次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。

私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時代でした。明治生まれの親は、子どもたちをどうにか一人前に育て上げることに必死の思いを抱いたのだろう。特に下二人・おせっちゃんとらい太を嫁に出してしまうことを望んでいたようでした。
「おなごは学問はいらんじゃろう」
「女の幸せは結婚して子供を育てること」。呪文のように言い聞かされました。日本の大きな方向転換もものともせずに自分の生きた時代をそのまま踏襲していこうとしていました。4兄が、時代の変化を話して聞かせ、経済的にも援助してくれるというので、やっと地方大学に行かしてもらったのでした。

結婚も追い出されるように、毎日お相手を探さねばとその望みばかりを押し付けられました。見合いという制度が、必ずしも悪いとは限らないけれど。

親も時代を学び、そして流されず、あたまを進歩させなければ。

 

 

 

 


子育ての思い出 1

2024-05-27 13:42:51 | 思い出

先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。

頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。
私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。

夫と私の会話

「うちの子は、こうした玩具は欲しがらなかったね。ねだられた覚えがないよ」
「ふ~ん、仕事が忙しくて、子育てはほとんど任せっきりだったけれど」
「フィギアを並べ立てるなど一度もなかったような気がする。うん、そうか、私が怖かったんだろうね。
きっと、欲しいと思ったこともあったのかもしれないけれど、ねだっても買ってもらえないと端からあきらめて言わなかったのかもしれない。うん、それが理由だね」
「怖~いかあちゃんだったからね」

息子Kが2年生の時だったかしら。北海道の方で起こった悲しい子供の自殺。スキーの板が古くなったから買い替えて欲しいと親に頼んだけれど、買ってもらえなかったからと、自殺したという悲しい事故が起こりました。担任のO先生は、HRでこのことを話題に話し合いの時間を持たれました。

その後まもなく、父母会がありました。会が終わって教室から出ようとした私に先生がおっしゃいました。
「K君はこう答えましたよ。こんなことで死ななくっちゃいけないのなら、ぼくは毎日死ぬことになると言っていましたよ」
肯定のお言葉か、困った親だと非難のお言葉か? 私は不謹慎にも、声をたてて笑ってしまいました。

家で。「K君、そう答えたんだって?」
「うん、そうだよ。本当のことだろう!怖~いかあちゃんだからね。いらない争いはしたくないよ」
「親戚のおばちゃんが、お誕生日祝いと、ガンダムかな?組み立てる奴をプレゼントしてくださった、しばらく遊んだけれど、すぐ飽きて、置き場に困ったようだった、年下の甥っ子に上げたよね」


連絡網に話題は移って

2024-05-24 14:00:32 | 時の流れ

昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。

「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」
「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」
「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」
「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」

「ああ、お若い方は、伝達手段がそこから始まるのね。う~ん、時代は急速に流れていますね。私が子どものころには、連絡は、次の家まで、田んぼの中の道を走ったのよ」
「え!?それってどういうこと?わからない!!」
「電話が宝物のように、お金持ちの家の電話室に鎮座させられていた時代があったの!!」
「え・え~ぇ?、今日は運動会決行という日は6時に花火(空砲)があがったのよ」

「わ~お!!。カッコイイ!!」

「やっぱり私は宇宙人に近いかな。おとぎ話を聞くようでしょう」

私の言う昔と、教室の若手がいう昔と、結局、理由は何であれ、乗り遅れたものは、周りに多少の迷惑をかけたのよね。でも、人々はおおらかだった。そのために馬鹿にされたとか、引け目を感じて、委縮したとか、そんなことは少しもなかった。

 


『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば

2024-05-23 16:19:28 | 言葉

ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。
彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。

確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。

難しいことです。

おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。
何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。

ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「なさけはひとのためならず」が話題になったのでした。私と妹のらい太と、生意気な口もきくように成長していました。三兄がかるたの意を素直に解釈して、大事なことでよ、と言い始めました。私とらい太、「近ごろはかなりの人が、違うように解釈するんよ」とちゃかしました。

多くの人が、「他人に情けをかけることはその人のためにならない。なさけはかけてはいけないと解釈するんよ」

そりゃあ、間違や。おせっちゃん間違って理解するなんてとんでもないことでよ。本気で叱りました。