・・【 orionの首飾り】★★★

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終戦記念日の靖国神社2014 画像12枚

2014-08-15 15:43:49 | 47🛡♠【九段下周辺】♠
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大村益次郎の銅像
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結構、本殿へ参拝する人々で行列になってます。
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関西のテレビ局が、旧日本兵の軍服を着た人々にインタビューをしてる様子です。⇩⇩⇩
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地下鉄 九段下駅出入り口に配備された機動隊員です。
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警察機動隊が、右翼団体の宣伝カーをバリケードしてる様子です。
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1226 総理、靖国神社参拝

2013-12-26 18:18:28 | 47🛡♠【九段下周辺】♠
護衛の警察官・SPに一言言いたいが、ノーコメント!?





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⇧⇧⇧このクルマに安倍総理が乗ってます。
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参拝するマスコミの方は、少ないようだ!
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靖国神社

2013-11-07 06:34:17 | 47🛡♠【九段下周辺】♠
──────────────── 焼き払い計画とローマ教皇庁
Wikipedia靖国神社より
終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている。

戦後に日本を占領したGHQは、1945年、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン (Patrick Byrne) 神父に意見を求めることになった。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという。そして次の言葉で締め括った。

「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」
この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。バーン神父もビッテル神父と同趣旨の進言をした。さらに1951年、ローマ教皇庁はあらためて1936年の「祖国に対する信者のつとめ」訓令を再確認している。

その後、1975年には真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束する。パウロ6世は1978年に死亡するが、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1068柱の位牌が奉納された。


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神池庭園 - 明治初期に造られ、1999年(平成11年)10月に整備・復元作業が行われた。
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庭園の中の

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軍犬慰霊像 

兵士たちにとって最愛の仲間であったジャーマン・シェパードの銅像 平成4年(1992)3月に奉納されました。
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パール博士顕彰碑
極東国際軍事裁判(通称 東京裁判)でインド代表判事を務め、裁判官の中でただ一人、被告団全員を無罪とする意見書を提出したラダ・ビノード・パール博士の功績を伝えるため、平成17年(2005)に建てられました。
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大村益次郎の銅像
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