origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険』(中公新書)

2008-02-06 20:50:11 | Weblog
著者は仏文学者らしい。メインはケルト神話で、それの延長線上に中世騎士物語を置いている。
この本で紹介されている神話の中で私的に特に重要なのは、「聖ブランタンの航海」と「聖パトリックの煉獄」である。前者は、ジョイスがエッセイの中で賞賛し、後者はシェイマス・ヒーニーの長編詩「ステーション・アイランド」を生み出した。
聖ブランタンの航海は、ブランの航海、マルデューンの航海から発展してきた中世の神話である。ブランの航海は、乙女の幻影から啓示を受けた、王の息子が、アイルランドの西へと向かう航海の末に、「女人の国」へと辿り着く。この「女人の国」は女性だけによって構成される異界であり、ブランはそこで楽しい時を過ごす。一年経った後、ブランは故郷へと帰還するが、しかしそこにはブランを知っている者は誰もいなかった。異郷で1年過ごすうちに、何十年もの時間が過ぎてしまっていたのである。この浦島太郎的な、あるいはワシントン・アーヴィングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」的な物語は、次第にキリスト教からの影響を受け、「メルデューンの航海」へと結実する。
この「メルデューンの航海」が、キリスト教的な「神の国」への航海へと変貌したのが「聖ブランタンの航海」である。この物語の中では最早「女人の国」などというものは存在せず、聖人ブランタンが神の救いを得るまでの過程が描かれるのである。民話のキリスト教化という点では『ベオウルフ』を思い出した。
「聖パトリックの煉獄」は、騎士オウエンが自らの罪を悔やみ、懺悔するためにがステーション・アイランドのロッホ・ダルクへと訪れ、この島から「煉獄」という異界に入っていくという話。「煉獄」は中世カトリックにおいて「天国」と「地獄」の中間にある場所とされここにいる者は後に、天国にも地獄にも行く可能性があるとされた。「煉獄」という概念はダンテの『神曲』でもお馴染みであるが、「聖パトリックの煉獄」という物語はダンテに影響を与えたと言われている。ヒーニーはこの「聖パトリックの煉獄」をテーマとすることで、ダンテまでもをケルト文化の伝統の中に吸収してしまうことに成功した。エリオットやジョイスにおけるダンテとは異なり、ヒーニーにおけるダンテとは、ヨーロッパ文学の源泉となる普遍的な詩人ではない。ヒーニーのダンテとは、トスカナ地方の方言を用いて、ケルト文化の影響を受けて詩を書いた、極めて地方的な詩人なのである。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。