origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

アントニオ・ネグリ『ネグリ 生政治(ビオポリティーク)的自伝―帰還』(作品社)

2008-09-25 22:23:11 | Weblog
ドゥルーズから影響を受け、スピノザを読み直すことによって、「特異性」による共同体的なものの構築を目指す「マルチチュード」の思想家、アントニオ・ネグリの自伝。自伝といっても時系列に自身のことを語ったものではなく、トピックをアルファベット順に並べ語っていくという特異なスタイルの本である。ネグリは「哲学」者ではあるが、「プラトン~ハイデガー」的な意味での哲学者ではなく、むしろ政治学のマキャベリと汎神論のスピノザという西洋形而上学のアンチテーゼを踏まえつつ、政治経済的な視点を伴った現代思想の構築を行っている。
私が気になったのは、著者がユダヤ・キリスト教的な超越性に対して批判的であるということである。ハイデガーやハイデガーに近いカトリックの実存主義者たちにも批判的に論じている。そのような存在を追求していく哲学者のことを著者は批判的に捉える。マルチチュードとは異種混淆的なものであり、それは権力から逸脱しつつも、型に捕われない共同体的なものを構築する。本質性の追求へ向かうハイデガーやガブリエル・マルセルに対し、著者はむしろ本質から逸脱するような特異性に目を向けているようだ。この辺りの論には顕著にドゥルーズのスキノ思想からの影響が伺えるが、著者は必ずしもドゥルーズの哲学にも賛同の意を表明していないようであり、ドゥルーズが立脚しているベルグソンに対しては批判的に論じている。感覚を重んじる著者は、外的な時間と内的な時間を峻別するベルグソンにはあまり興味を覚えないようだ。
著者はダンテのことを、唯名論的に特異性を重んじたマルチチュードな詩人だ、と言っている。これはさすがに牽強付会なようにも思えたが、著者が重視するドゥンス・スコトゥスがダンテに与えた影響というのは気になった。もし『神曲』の詩人がスコトゥスの継承者であり唯名論者であるとすれば、今までとは違ったダンテ像が見えてきそうだ。そして唯名論に抗うダンテと神秘主義を批判するネグリの姿が重なる。