大牟田市新栄町スプラウトダンススタジオの小学生チーム『ベァフルBOMBOM』がダンスコンテストの九州予選で準優勝しました。11月1日に大阪市で開催される全国大会参加の資格を獲得、今猛練習中です。(2015年5月22日有明新報・河野美緒「小学生チームが九州予選準V、全国大会 指導は高校生の西さん 」より)応援お願いします!ガッバってー!
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が世界遺産委員会の審議にかかる最終段階になっています。この時期、韓国、中国から出されている「異議」とこれに対する日本政府の主張が注目を集めています。これまで、23遺産施設の内どこが「異議」対象施設なのかも分からない状態でした。(5月23日、各新聞報道がありました。)政府間協議で日本側は「時期が違う」と反論されています。しかし明治後の歴史も遺産の歩みです。特に産業遺産ですから、そこで働き支えた人たちにとってどうだったのかも問われます。西日本新聞5月23日号では「『影』は強制徴用だけではない」として明治初期にもあった炭鉱労働者の過酷な労働と「暴動」が取り上げられ、三川坑爆発など炭鉱災害の問題も提起されています。地元で登録に向けて努力をされてきた各方面からの意見も現地取材から明らかになっています。ユネスコでの審議結果も大事ですが、賛成反対どちらを選ぶかといった2者択一的票の奪い合いでは理解を深める道が断たれます。どの結論になっても<恨み>が残り、増幅されることになります。反論より理解を深めるように協議をしてほしいです。世界遺産には「ビキニ環礁」「アウシュビッツ」「原爆ドーム」などもあります。こうした遺産についても沢山の論議がなされ世界遺産に登録されています。「近代化の影」も検証し、繰り返してはならない歴史として言葉に刻み、世界遺産とすることが大事だと思います。
下:2015年5月23日朝日新聞・成田肇/佐々波幸子「世界遺産 日韓平行線『明治の産業革命遺産』 初協議」部分より)
5月22日、福岡東区歴史の会から大牟田・三池炭鉱関連遺産の見学に行きました。参加者19人。天候に恵まれた良いバス旅行でした。各見学場所には解説ボランティアがいらっしゃって、見学者の質問にもよく答えていただきました。参加者からは初めて知った、勉強になったね。知らんかった、、。すごいね。イヤーつらい仕事だったんだね。カルチャーショックの感想が湧き゚出ていました。
最初の見学場所は新幹線大牟田駅。<福岡東区歴史の会ようこそ>の表示を持って、解説ボランティアの方がお出迎え!なんと、以前、福岡東区に住んでいたという方でした。当日の解説を自ら買って出て来られたとの事。勿論フリー、有難いです。同じ社宅の6棟、えっつ私、8棟に住んでましたという奇遇!もあり2度びっくりでした。団琢磨像前では<大牟田の大恩人>と熱のこもった解説を受け、新観光プラザでは大蛇山山車にも乗せてもらいました。又「大蛇山まつり」おいでくださーい! 「下次~再来!」と中国語でお見送り。そういえばタスキには「歓迎~~」と中国語表記。外国からの来客にも備えてあるんやね~感心。
湾岸道路に入ると、「道路は別名『OOO道路』と言われてるんでしょ」とツッコミが入りました。そうですね。建設までにはいろいろありましたね。橋脚が沈下するという事態もありました。三池港が候補遺産になりましたから、この道路の意義もアップしています。天気が良い時は「雲仙」が見えますが、、本日は天気が良いのに見えませんでした。何故?化学工場の高い煙突から白い煙が盛んに出ていました。と間もなく石炭産業科学館到着。
石炭産業科学館ではタイムトンネルをくぐりながら掘進・掘削作業の機械化を学びました。機械の力、値段の高さに驚きました。キャップランプの灯だけしかない真っ暗な坑道。新鮮な空気を入れる、湧水をくみ出す、メタンガスや濁った空気を排気する、そして、炭鉱作業の資材を入れ、鉱員を入れ、掘り出した石炭を運び出す運搬等が一か所でも止まれば全部が止まってしまう事など、近代化を支えた石炭作業の厳しさを実感して、気分が暗くなったり、頑張ってもらったなーと感謝の念でいっぱいになりしました。山本作兵衛翁の絵のような這いつくばっって掘り進む仕事は炭層が薄かったためで、大牟田・三池では炭層が3mほど、厚い処では5mあり、機械化が進んだそうです。閉山になる時は高価な機械も坑道に残したまま、掘り残った炭層もそのまま、今では湧水のため水没してしまっているとのことでした。勿体ない!です。
大牟田石炭産業科学館見学の際、丁度「東京テレビ」の取材があっていました。東京のほうでは当日、日本と韓国の外務省による「世界遺産を巡る折衝交渉」があってたそうで、現場ではどういった反応なのか?を取材しているとの事でした。急にマイクを向けられ戸惑い何を答えたか?はっきりしないのですが。館内に展示されていました「壁に刻まれていた漢字の名前や故郷の住所」に対して強制連行の証拠だと思うか?ということだったと思います。その壁の隣には三川坑爆発のパネル掲示もされています。<近代化を支えてきた石炭産業>は美化されていません。その光と影は明らかにされいます。環境保護やエコ産業への転換や労働環境・条件改善、労災防止に生かすよう方向性も示されています。22日の朝日新聞の投書欄には熊本の方が万田坑で受けた解説について「真摯」な姿勢と評価されていました。現地ではきちっと負の歴史も伝えられている証だと思います。慰霊碑もあり慰霊祭もされていることも話されていました。饅頭墓地もあるそうですよと話す方もありました。三池炭鉱・石炭産業の歴史を刻む大牟田は、東京からずーっと離れていますが、日本の近代化を支えた産業の地として、100年以上の歴史を伝え続ける場所になっています。
次の三池港はちょうど満潮、閘門が上のほうだけしか見えません。説明も簡単な表示だけ。解説ボランティアの方は?そこにいつも誰かいらっしゃると思ってました。石炭産業科学館の方にお願いしておかなければならないようです。
三井港倶楽部でのランチタイム。洋風カツ丼セット1080円をいただきました。スープ、洋風カツ丼、後コーヒーが来ます。洋風カツ丼は皆さん初めて見た、食べた、変わってるねー、美味しいとのことでほっと安心。次には嫁さんと来ようと言う方もいて、やったー!でした。甘酢っぱいあんかけが<とんかつ>のサクサクを引き立て、油っぽさを和らげます。美味しかったです。(半分以上食べて写真‼と気づきました)
お見送りまでありがとうございました。
万田坑では駐車場の手配でちょっとトラブるで、時間を20分ぐらいロスしました。4月下見の時にはなかった事で5月から始まったことだそうです。駐車場が、会場から離れた元競馬場跡に設けれていました。入場者が増えるともっと混雑してくるでしょう。万田坑内各施設ごとにボランティアの解説を受けるのが<自由見学>、一時間ごと順番に解説を受ける<定時ガイド見学>があります。山の神にお参りして、ヘルメットをかぶって巻き上げ室に上がって行きました。太いワイヤ―や鋼の大きなギヤに驚きます。往時はつるべ式。カンカンとカンという音で上り下りを知らせます。つるべの先には22人乗り鉄籠が取り付けられ、鉱員が乗って坑道に下りてゆきます。坑道にはトイレもなく、弁当を食べるのも坑道の中。若い者は1日も持たないで辞めてゆく人もいたそうです。囚人労働や強制労働もありました。坑道に入ったきり出れなかった馬も可哀想でした。竪坑櫓の縦柱の内側には何故木材が使われるのか?ロープが切れ鉄籠が落ちそうになった時、ブレーキのギヤが木材に食いこみ、落ちないようにすると聞きました。こわいねー!ほーと大きなため息です。
午後から日差しが強くなって空も澄み渡ってきました。遠くに宮原坑の竪坑櫓も見え、ラッキーです。万田坑の煉瓦造り建物は官営時代のモノは丸いドーム型窓枠、三井時代は四角の窓枠に煉瓦には菱型のマークが造られています。要チック!白い竪坑櫓と煉瓦造りの建物の前で、皆そろってパチリ。いい記念となりました。
次は大牟田市立かるた・歴史資料館です。カルタがカルテから来ている事、<いろはかるた>も<上方かるた>と<江戸カルタ>とは読み札・絵札とも違うこと等お話を聞きながら見学しました。妖怪カルタ特集展示中で、色んなカルタを見ました。子供にとって動物、植物、食べ物等も人と同じお喋り・遊びの相手だと分かりました。
帰路では草木饅頭本店でお土産にお買い物。道の駅・おおむた「花プラス館」では大牟田、三池、南関の物産をさーっと見て、夕食用意もしながら~~と言っても時間が足りません。高速・都市交で香椎駅に帰り着いたのは17時50分。18時がマイクロバス・レンタルの期限。ギリギリセーフでした。運転された井口さんに大感謝でした。ありがとうございました。
今回のバス探訪は、近代化産業遺産が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産候補に指定された時からの企画でした。今年4月には、「歴史と自然を守る会」のマイクロバス予約、役員での現地下見、会費4000円に決定。各施設見学申し込み、資料準備、勉強会開催、参加者募集と当日までの行程も会員同士の協力で行いました。怪我もなく無事に終了して良かったです。(勿論、帰り着くまでちゃんと保険が掛けられています。)疲れて一時休みます。
福岡県高校総体柔道南部ブロック予選大会が5月9,10日久留米市の南筑高校であり、大牟田高校男子が好成績!男子団体戦で優勝しました。男子個人戦でも60キロ、66キロ、81キロ、90キロ、100キロ、100キロ超の各級で1位を獲得。73キロは3位でした。(下:2015年5月18日西日本新聞「大牟田(男子)南筑(女子)団体制す」より)
次の県大会、全九州大会での更なる活躍に期待が集まっています。頑張れー!
〝大牟田市は平成25年(2013年)3月、三池炭鉱に関する人々の記憶を次世代に伝えてゆくことを目的に「炭鉱とくらしの記憶~エピソード集1」を作製しました。”(<はじめに>より)そして、今年の3月、「エピソード集2」が発行されました。大牟田の知人が送ってくださいました。その方の文も掲載されています。添えられたお手紙には「文中にも書いていますが、石炭が果たしている役割について理解を深めてほしい」とありました。送っていただきありがとうございます。ゆっくり読ませていただきます。
第1部は写真編、第2部は投稿編で社宅暮らし炭鉱の仕事などの外、<2-3、三川港炭じん爆発事故>には事故の状況や救助活動、当時の思いが綴られています。<2-5炭鉱の歌>には「エピソード集1」で取り上げられていた「新生三池の歌」(S22年ごろ)や「増産音頭」(S19年ごろ)、「増炭三池の歌」、「炭鉱シャンソン」の歌詞や作られたいきさつなども紹介されています。原田代輔氏の作詞には「匂う朝雲 昇る旭に かざす自由の旗高く 平和三池の夜が明けりゃ 鐘が鳴る鳴る 鐘が鳴る鳴る 出発だ」(「新生三池の歌」の一番より)とあり、 戦後の喜びが歌に込められ希望に満ち満ちています。
第3部は<三池炭鉱の歴史を未来へー子供たちが見た近代化遺産>です。平成25年から実施されている小6年生のバス見学会の感想が収録されています。
第4部は<世界遺産登録に向けて>です。取り組みの4事例が紹介されています。1つは「子どもボランティアガイド養成」など<教育、次世代への継承>、2つは「関連遺産施設の清掃」など<地域との協働>、3つは「大牟田建設協のボランティア」など<団体との協働>、4つは、<近代化産業を活用したまちづくり協議会の設置>です。
清掃活動では1回目、ゴミ袋420袋、2tトラック4台分、2回目はゴミ袋1700枚 粗大ごみ量約210t(パッカー車70台分)とP87に記録があります。皆さんの働きで、ごみや草に埋もれていた<遺産>が掘り起こされ、「宝」になったことが分かります。