大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

茶塘の9月~アフリカ・ムブジマイ支援活動メモリアル

2015年09月16日 11時55分37秒 | 日記
茶塘のショーウインドー展示が変わりました。
9月はアフリカム・コンゴ・ブジマイのディサシさんが娘さんと一緒に大牟田に来られたことを記念して、
「ムブジマイの医療と教育を支援する会」の活動を振り返る写真や資料、当時の寄付袋そしてムブジマイの文化の一端を示す工芸品などを展示します。
17年前、ムブジマイに送りました中古医療器具の写真(インボイス用)や募金の会計簿の外、今は無くなりましたが<ネイブルランド>でのアピール活動や留学生との交流会、香椎花園、清水寺、九重高原旅行など懐かしい写真もあり、若かりし頃の笑顔にも出会えます。
皆さんへの感謝状もいただきました。ぜひご覧になってください。
ディサシさんは帰国後、現地に病院を建設、大牟田から渡った中古医療器具も活躍、ちゃんと役立っています。いろんな検査器具のおかげ地域にも進んだ医療提供できるようになったそうです。またムブジマイ大学の学長として、医療スタッフの教育養成にも力を注がれています。
今回の来日は、熊大(留学され、ドクター取得の大学)との友好大学提携を目指してのことです。成功すればアフリカ・コンゴ・ムブジマイとの交流は一層進展します。

アフリカ・コンゴ・ムブジマイは遠い遠いところです。なぜディサシさんは日本を留学先に決められたのか?

それは、①当時、コンゴ川には橋が1つかかっていて、それが日本が懸けてくれたものだったそうです。
②戦争で荒廃した国が世界第2の経済大国になっている。なぜできたのかを知りたい。
③ディサシの専門は高血圧ですが、当時日本も高血圧克服が課題になっていて勉強にも最適の地だった。
④留学生受け入れの体制が充実していたことなど話されていました。

~~やはり安心して勉強できる平和なところでなくては留学先として選ばれませんね。
アフリカは広く、自然も資源も豊富、これからの大地と言われますが、内乱や民族紛争もあり、政治的安定、平和が一番望まれます。

大牟田の市民活動が懸け橋になって、アフリカ・コンゴ・ムブジマイの医療と教育を支援してきた絆を忘れないようしたいものです。
以前頑張ったスタッフも20年が経過して、会としてこれ以上はやれないねーと話されています。
誰か後を担ってくださる方いらっしゃいませんか?後継者を募集しています。



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