お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

交通事故 第一当事者 当事者甲

2020-10-10 | 日記

 ほやほやの交通事故現場を目撃してしまいました。

 けたたましいサイレンに火事だな、近くかもと覗いてみると事故です。

 そういえば”ドーン”と大きな音がして窓がびびりましたが、連続性がないので特に気にしてなかったんです。

 2トン?トラック、横転してしまっています。

 

 事後的に見るとなんだかさっぱりわかりません。

 相手がいないような気がします。単独事故でしょうか?

 物件事故の処理は簡素です。しかし、人身が絡むと「実況見分調書」を作成します。”現場検証報告書”といった意味合いですね。

 もちろん綿密な現場検証をするということです。どの程度の被害だったんでしょうか。

 車両の方は路面洗浄をしていました。

 燃料漏れを起こしているんです。炎上しなくてよかったな~

 

 ところで相手のある事故の場合、警察は過失割合どころかどちらが加害者かさえ話しません。

 ただ、公式書類上「第一当事者」や「甲」欄に記載されると加害者とされたことを示します。

 

 車一台のためにこれだけの人員が動員されます。

 当事者や関係者には一大事だったでしょうが、戦争や大災害時であれば優先順位は下位でむしろ”放置”程度かもしれません。この点は平和でよかったとホッとします。

 

 たとえ100:0で「乙」欄記載であったとしても事故には関わりたくないですね。

 昨日までの同僚がいきなり包丁持ってめった刺し(神戸クロネコ事件)という時代ではありますが・・なんといっても安全第一! 

 


浅野内匠頭 浅沼稲次郎 日比谷公会堂

2020-10-07 | 日記

 今回は諧謔的、不謹慎な記事を書かせてもらう。

 

 昭和35年(1960年)演説中の社会党書記長が刺殺されるという事件が発生した。

 写真は演説の模様を撮影したカメラマンが最後の一枚で撮影した画像という。

 俊敏に腹部に一撃を加え、さらに引き抜いた小刀で心臓をめがけまさに第二撃を加えようとするシーンであろう。

 しっかりと腰を落とし、刃物だけに頼ることなく体重を預けて深々と刺突する。

 小刀を使用する場合の模範的な形ではと思う。

 あざやかで”すばらしい”とでも声が出そうなシーンである。

 ただし、これは剣道の一本ではない。不当不法なものである。仮に命を奪わなかったとしても・・

 よって、すばらしいなどという自身の表現に不謹慎とした。

 書記長は緊急搬送中に死亡が確認された。

 

 下が事件の舞台であり、現場も舞台だった。

 建物の前の道路を左に進めばわずかな距離で国会議事堂に至る。

 

 

 ところで同じ”浅”を書く浅野内匠頭の碑を見かけた。(記事にしたきっかけ)

 紀元2600年(1940年 昭和15年)に自刃後240年を記念して建立したとある。

 戦争の足音がそこまで聞こえてきている頃である。

 まさにここということではないらしい。しかし、その現場はここから指呼の間とのこと。

 

 浅沼書記長の犯人は小刀を振り回さず刺突により命を奪った。

 武人であれば当然そうする手法である。しかし、内匠頭は眉間に一太刀、さらに逃げる相手の背にもう一太刀振りかざした。

 もともと武具を帯びることを許さない場である。小刀しかも儀礼刀に近いものではなかったか。

 致命傷とはならなかった。

 内匠頭に本当に殺害意図はあったんだろうか?

 行動を制する装束である長袴のセキュリティー勝利か・・

 

 殺害に及んでもそれはそれで可、そうならないまでも上野介の権威を貶め影響力を奪えばそれで足りるとする黒幕がいたとする説もある。その場合、内匠頭は単なる”道具”である。

 内匠頭は、不浄門とされる平川門から移送され碑の近くにあるお屋敷に預けとなる。

 お屋敷では座敷牢をしつらえ、沙汰待ちの体制を取ろうとしていたが、即刻切腹が申し付けられた。

 ”いかような処分もあろうところ、切腹の栄を賜り有難い”旨を述べ、自刃したという。

 朝に切りつけた者が夕には骸となる。非常に速い流れである。

 切腹・・それは名誉ある死とされ、自分で命を絶つ。

 他者による刑死である斬罪(打ち首)と根本的に異なる。

 介錯は”たすけ”に過ぎず(・・実際にはこれで死ぬ)作法としても首を飛ばしてしまうことは不作法となる。

 頸椎の間の軟骨部に刃を入れ、首の皮一枚を残して胴につなげたままとし、ひしゃくの柄を入れて胴とつながった状態で引き取らせるという。

 頸椎の骨に刃を当ててしまうと苦痛に相手がもがき苦しむため二太刀とはならず、副介錯人が出て小刀で首を掻き切るという。副介錯人が出るということは介錯人の不作法不名誉極まりとなる。

 だから介錯人にも相当な緊張感を与えるものらしい。

 

 浅野内匠頭自刃、ここから忠臣蔵の長い展開が始まる。

 何故刃傷に及んだのか? わからないから様々な憶測、仮想が語られる。

 歴史上もかなり大きいミステリーのままである。

 


山手線北半分チャリンコの旅 国立競技場 とげぬき地蔵縁日

2020-10-04 | 日記

 時期的には清んだ高い青空のはずです。

 ・・グレーですね。

 毎日のように東京駅から山手線二駅ほど片道歩きますが、全然足りてない感じです。

 よし、ちょっとちゃりんこ転がしてみよう・・

 

 おや~ 結構な人出、とげぬき地蔵様の縁日だそうです。

 地蔵通り商店街は、おばあちゃんの原宿と別称されますが、今日は遺憾なく発揮というところでしょうか・・

 

 巣鴨の地は、岡の頂といった感じの地形、どの方向にも楽々と行けます。

 ということは・・というのは今は考えません。

 

 ほ~ら、ほとんど漕がずもうここまで来ました。(東京ドーム)

 ここまで来ると今度は登りも出てきます。

 東京は飛行機の目で見ればまったいらののっぺらぼう・・

 それが鷹の目、カラスの目、スズメの目と下げて来るととても起伏の激しい地です。

 あちこちに○○坂上、坂下なんて地名が出てきます。

 人の目にはべた踏み坂、切り立った壁に見えるところもしばしば・・

 

 赤坂離宮なんかを横目に・・

 

 ヤヴァイですね。

 行きも帰りも下り坂という地形は大変むづかしい・・帰路はどう行っても必ず登り坂になってしまいます。

 降らないとは思いますが、雲行きもあるんで適当な目的地を決めて帰路につきましょう。

 

 と、ここに来てみました。

 オリンピックのメインスタジアムとして整備された設備です。

 ほんとにその用途に使われるのでしょうか・・?

 見たし・・さ~と漕ぎ出しますが、すぐにへこたれます。

 比率的に見上げる坂の方が多くなりました。

 キショ~ こんなんだったらギア付き買うんだったにゃ~(;´д`)トホホ

 

 何とか神楽坂。

 おい・・なんか行っても行っても”飯田橋”方面の標識しか見えんな・・

 わざと道を外してうろついた・・それは確かにあるんだけど、ここまで・・じゃないよな~

 

 1人力350cc、燃料泡のエンジンがひ~ひ~してきました。

 いい感じのお寺で一休み。

 鎮護山善國寺 毘沙門天信仰のお寺だそうです。とらはその化身。

 安山岩と柔らかい性質の岩なので耳が切なくなっています。

 

 

 

 

 いい人出です。いい感じ~ 夜食事したい・・

 写真を撮ると人の顔の映り込みが気になるんですが、今は大丈夫!

 このときだけはマスクがありがたい。

 

 ふ~としていると、今度はずいぶんご立派なお寺。無量山傳通院とあります。

 徳川ゆかりの著名人の埋葬地になっているようです。幕がそうですね。軒丸瓦もそうです。

 

 紅葉はまだです。

 

 

 ・・へとへと

 エンジンの活動限界一歩手前で帰着しました。

 縁日の賑わいまだ続いています。

 

 息切れ、息切れ コロナかも・・(*´Д`)

 混雑を避け少し入って店で急速燃料補給します。うぃ~

 息切れを抑えるこの燃料、これはレムデシ”ビール”! うぇ~い!(^^)!

 広東麺は真冬のメニューと決めつけていましたが、もういけます。

 

 よ~し、これから休みの日は天気よかったら少しづつコース変えて北半分旅行しよ~っと!

 ・・といってもお尻の皮がむけそうでいたいかも・・

 


江戸城再建 復元模型1/30スケール 江戸城の花たち

2020-10-03 | 日記

江戸城再建

 

 江戸城が再建されたようです。即登城です。

 1/30復元模型とのことです。

 すると現物の容積的には 30×30×30=27,000倍 これがこの個数並ぶとなるとやはり途轍もなく大きいです。

 

 それが奥の基壇の上に載っていた・・ さすが徳川様。

 3度焼失して3度目は再建しなかった・・財政逼迫&もうことさら威をひけらかす要が無くなった?

 

 残念ながら展示はこれだけなのでもうお仕舞です。

 場内を散策します。

 江戸城の花たち

 季節ですね。

 

 

 ”ゴンズイ” ってすごい名前の木です。

 

 コスモスと読まない”秋桜”です。ただ本名は”ふゆざくら”なんですよね・・残念。

 

 花の終わったタイサンボク。

 

 花ではないですが、たわわに生った花梨。

 

 はくちょうものんびり。

 

 

 今日は皇居ではなく、江戸城遺構として散策しています。

 ここでの攻防を考えれば官軍も相当な出血を強いられたことでしょう。

 軍事用設備である狭間でしょうね。実際に使われなくてよかった。

 ただ、なんとしても徳川勢力を叩きたい薩長によって上野の戦いをはじめとして北海道に至るまでの掃討戦が展開されていくんですよね・・( ノД`)…

 

 

 撮影をしてるようです。和洋問わず合う街並みです。