お寺ふぁん・続々

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吉田郡山城 ジオラマ

2019-10-09 | 日記

 吉田郡山城

 歴史好きには著名な城、そうでない人には無名、知られもしないかな?

 中国の雄、毛利氏の城である。JR芸備線吉田口駅付近、江の川沿い山稜にある。

 

 

  毛利氏は山陰の雄尼子氏と周防を拠点に北九州まで勢力を張るいわば山陽の雄大内氏に挟まれた窮屈な小領主だったようである。

 出自としては鎌倉幕府の有力者大江広元の血筋らしい。

 

 尼子、大内両者の間でバランスをとって存続しており、大内氏配下から尼子氏に移り再び大内氏に戻ってから雰囲気が怪しくなる。

 本当の動機は不明のようだが、尼子氏は毛利氏征伐の兵を起こし、本拠であるこの城の攻略を目論む。

 結果的に大内氏の支援も受けた毛利氏が尼子氏を撃退し、勇名を馳せる。敗れた尼子氏は大打撃、長い目で見るとここで終焉の始まりとなる。

 一方勝者毛利氏はここから中国制覇が大きく動き出す。そんな城である。

 

 戦国期の城というのは見えづらい。難攻不落峻険の地に作る。

 今は樹木に覆われ、登ってみないとわからないものだったり、登ってみても自然の崩壊や造作により何の遺構もないということもある。単なるやぶ。

 ただ、平地からも“あやしい気配”はある。街道を見下ろすような、そこそこ峻嶮な山容で削平地が見える、寺や神社またはその痕跡があるということだと戦国期の城の可能性大だろう。

 吉田郡山城址も視覚的には怪しさいっぱいだけど、遠望して断定できるようなものはないという感じじゃないのかな?(行ったことありましぇ~ん!)

  

  実際に行かれている方の攻城記録は以下のとおりです。(「余湖くんのホームページ」をお借りしています。)

    http://yogokun.my.coocan.jp/hirosima/akitakadaysd.htm

 

 既に失われているものであり、どこまで正確かはわからない。だけどこんな復元ジオラマがありがたい。

 (広島城二の丸在、毛利氏はその後広島に拠点を移す)