個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

将来の夢は何ですか?

2018-02-15 10:39:49 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私立高校の合格発表があり、見事に全員合格しました! 苦しい時期や辛い時期もあったでしょうが、みんな本当によく頑張ったね。おめでとう。公立高校の受験が残っている生徒は、この合格が自信を与えてくれるでしょう。もうあとひと踏ん張りだ!頑張れ!

話は変わりますが、「将来の夢」という質問をを今までに1度はされたことがあるのではないでしょうか。その時になんて答えたか覚えていますか? 

この質問は小学生の低学年以下の子どもにすると、ほとんど全員が答えます。私の時代だったら、プロ野球選手や歌手、パイロットなどが人気だったと思います。私は小2のときに「大工さん」と答えたのを覚えています。今の小学生なら、youtuberやサッカー選手などが人気なのでしょうか。

それが中学生や高校生と成長していくうちに、その夢がだんだんとなくなっていき、夢を持てない子どもが増えてきます。ですが、これは何も悪いことではなく自然なことです。大きくなるにしたがって、現実をより知るようになり、その職業に就くのがかなり困難だと気づき、自分の能力やこれからしなければいけない努力などを検討した結果、幼いころ持っていた夢をあきらめるのです。こうした夢壊しというのは、私たちが生きていく中で当たり前のように行っている作業です。人生の中で私たちは、いろいろな選択をしていきます。それぞれの価値観で自分の幸せを求めながら。無数の決断をしていきます。そういった決断の1つとして受験があったり就職があったり結婚があったりするんです。

20歳から80歳までをどのように生きるのかの設計が完璧に出来上がっている子どもはその決断で悩む必要はありませんよね。ですが大部分の子どもは、そんなことまで考えていません。だから迷うし不安になるんですね。将来のことが決まっていないから、勉強することにおいても全力でできないんです。この勉強がこれからどのように自分の人生に役立つものかがわからないものに、それほど必死になれないのも当然ですよね。

私自身、勉強を本気でするようになったのは、何度か書きましたように、ヤンキーだらけの中学校が嫌で、ヤンキーのいない高校に行きたいと思ったことがきっかけでした。そしてそのうち、特に将来何をしたいのかまったく決まっていませんでしたが、偏差値の高い高校に行き、そして大学に行けばなんとなく人生楽にいけるのかなという安易な考えで勉強を続けていました。結局大学4年間でしたいことは見つからず、そんな気持ちで適当に就職したもんですから、2週間でやめてしまい、その後ひきこもりになりました。数年間のひきこもり生活を経て学習塾を始めましたが、学生時代にはまさか塾の先生になるとは、これっぽっちも考えてなかったですし、周りの友人も驚いていました。

私がこうして仕事を始めることができたのは、いろいろなタイミングや、いろんな方々のサポートあったからこそなのですが、その1つに私がある程度勉強してきた人間で、そこそこの学歴があるというのも大きかったでしょう。学習塾の先生として信頼を得るための入り口に学歴があることは確かでしょう。そういった意味では、学生時代にそれなりに努力して勉強してきたことは、ひきこもりまで脱出させてもらえたわけですから、大きなリターンがあったということです。

ですが、だからといって、「学歴があると人生が有利になる。だから、勉強いっぱい頑張って、偏差値の高い高校、そして大学に進学することがすべてだ!」という価値観を、一方的に子どもに押し付けることはしたくありませんし、正しいこととは私は思いません。

「何もしたいことがないのだったら、とりあえずいい大学に合格できるように頑張れ」というのも違う気がします。本来は順番が逆で、将来こういう仕事をしたいから、そのために大学でこの勉強をしたいというのが正しい順番だと思います。

「じゃあ、夢を持っていない子は大学に行かなくてもいいのか?」

そうではなく、では逆に「子どもに夢を持たせてあげれるような話をしたことがありますか?」
子どもの気持ちを聞いてあげずに、ただ「勉強しろ勉強しろ。このままだったら将来どうするんだ」といった言い方をしていませんか?

目標や夢を持っていなくても、たくさん勉強して、成績が良く、偏差値の高い高校や大学に進学して、その途中でしたいことが見つかって就職するというパターンの子なんてもちろんたくさんいます。ですが一方で、夢がないまま勉強だけを続けることに心が悲鳴を上げている子どもや、自分の能力の限界に気づいて苦しんでいる子どももたくさんいます。

将来どういう仕事をしたいか、どういう人間になりたいのかではなく、「〇〇高校、〇〇大学に合格する」というのが、なんだか人生の最大で最終目標のようになっている子どもさえ今は多くいます。ですから、合格した瞬間に最大目標は達成できたので、すべての力を使い果たし、いわゆる燃え尽き症候群になってしまうのです。あるいは、不合格になった瞬間に、人生が終わったと絶望してしまうのです。

夢を見つけることは簡単ではありません。だからこそ、大人の助けが必要なんだと思います。子どもがしっかりと自分の足で歩いていくためには、ただ単に勉強させるというだけでは不十分です。そこには、学校や家庭、そして地域社会の力が必要となってきます。

私は学習塾の講師ですから、もちろん勉強を教えています。成績を上げることを第一の目標として、毎日指導しています。今回もそうですが、生徒たちが合格したときの、あんなに嬉しそうな顔が見れること、私にとっても大きな喜びです。生徒全員に、この喜びを味わってほしい、そんな気持ちで子どもたちと向き合っています。ただそこに、少しでも私なりに子どもたちに伝えることができるのではないか、子どもたちに何か将来の夢を見つける手伝いができるのではないかと、そこだけは忘れずにいたいと思っております。

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変なフォームでのシュート練習

2018-02-13 10:58:19 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

学生時代は柔道部に入っていました。目的は単純で、気の弱い自分でも格闘技をすれば強くなれるのではないかと思ったからです。ですがまったく強くなりませんでした。指導してくれた先生はとても柔道が強く、効果的な練習をさせてもらい、的確なアドバイスをいただいたりしていたので、私以外の部員の中にはとても強くなる子もいました。私が弱かった原因は、指導者にあるのではなく、私自身の気の弱さに加えて、あまりの身体能力の低さによるものだったのでしょう。

このように、スポーツでもなんでも頑張ればできるというものではなく、そもそもの能力が低かったり、間違った指導ををしていたりすると頑張ったほどの結果はでず、残念な気持ちになってしまいます。頑張ったら何でもできるはずはなく、頑張っても達成できないものだらけですよね。

ただ私の柔道の場合のように、自分の能力の低さが原因であれば、仕方のないことだと思えるのですが、これが間違った教え方や練習法が原因だとすると、教える側の責任は大きいです。せっかく興味や関心をもって始めたものであっても、成果が出なかったら楽しくなくなり辞めてしまったり、やる気をなくしてしまったりします。

これは勉強でもまったく同じです。小学4年生頃から勉強が嫌いという子どもが一気に増えていきます。嫌いなものを無理やりさせようとするから、やる気も出ず、当然結果もでないためさらに嫌いになるという悪循環です。どうして子どもたちは勉強嫌いになるのでしょう?

原因はいくつもありますが、今日はその中でも私がいつも問題視している勉強のさせ方について考えてみます。みなさんも小学生の時に計算ドリルや漢字ドリルをたくさんさせられたでしょう。おかげで計算ができるようになりましたし、漢字も覚えることができました。しかしそれと同時に、勉強ってめんどくさくて、しんどいものという感覚も植え付けられました。反復練習は確かに大切でしょうが、何度やってもできる問題を繰り返しさせられることや、同じ漢字をノートに書き写すことに何の意味があるのか、当時の私にはわかりませんでしたし、今でもよくわかりません。

というのも、今は小学校の4年生ほどになるとずいぶんと学力差がでてきています。計算なんて簡単にできる子どもにとっては、当たり前にできることをなぜこんなに何回もしなくてはいけないのか、計算の初期でつまずいている子どもにとっては、宿題を出されたところでやり方がわからない。解答を渡している学校も多いので、とりあえず答えを写して宿題完了!となっている子どももたくさんいます。漢字の練習もそうです。覚えようと意識している子どもはいいのですが、大半の子どもはそれがもはや作業となっています。とりあえずノートいっぱいに漢字を書いとけばいいや、という宿題の仕方をしています。

多少しんどくても、成果が出るならばやる気も出てきますが、こんな勉強を何時間したところで計算ができるようにはなりませんし、漢字だって覚えられません。結果的にテストの点数が悪いままで、さらにやる気をなくしてしまいます。

これは、まちがったフォームでシュート練習をさせているのと同じですね。まったくの時間の無駄どころか、させない方がいいかもしれません。変なフォームでかたまってしまうと、もう修正できなくなりますし、こんなに練習しているのにどうしてシュートが入らないのだろうと嫌になってきます。

自分たちがしてきたことが、すべて正しいということはありません。このような勉強のさせ方をいつまで続けるのでしょうか。先生たちは確かにその勉強方法が役に立って、大学まで進学し、それを正しいものとして子どもたちに伝えているのかもしれませんが、いろんな子どもがいるのです。この方法ではまったく効果のない勉強になってしまっている子どももいますし、効果がないだけならまだいいのですが、勉強を嫌いにさせてしまたり、勉強に対する自信を失わす原因になったりしているのです。もっと効果的な勉強方法を探しているのかどうかも疑問です。小学生でも中学生でも、課題を解答付きで渡して、わからないところは解答を丸写ししてこいというのは、どう考えてもよい方法だとは思えないです。

スラムダンクの桜木花道が、山王戦の最後にシュートを決めることができたのは、「左手はそえるだけ」という正しいフォームで何度も何度も練習したからです。反復練習が悪いのではありません。間違ったフォームを教えることがおかしいのです。

学校ではもちろん限界もあるでしょうから、せめて塾に来てくれている生徒に対しては、その子に合ったベストなフォームを教えていきたいと思います。





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いろんなことを知ってからの絶望はしんどい

2018-02-10 10:35:20 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

今日は私立受験の日です。子どもたちが力を出し切ることができるように願っています。

いきなりですが、社会に出る前と後とでは見えている景色がずいぶんと違いますよね。ネット社会になったとはいえ、小・中学生が実際に経験したり、自分の目で見ることができる世界というのは、ほとんどが学校という社会の一部分だけです。ネットでも情報は手に入りますが、それは生きた経験ではなく、しかも自分に都合の良いものしか見ていない可能性もありますので、やはり小・中学生という時期には、世の中の多くの部分を知ることは難しいです。それは、高校生になってもあまり変わらず、ただアルバイトなどをすることによって、少しは広くはなるでしょうが、それでも学生と社会人とでは大きな差があると思います。

子どもたちは、そういったとても狭い世界の中で生きています。その先に無限に広がる世界の存在に気づかず、その狭い世界の中で与えられた情報や価値観に基づき生きているのです。

その狭さ故、順調にいくことも決して少なくありません。たとえば勉強やスポーツにしても競争相手が少ないですので、それらが得意な子どもは優位な立場になることができ、居心地がいい生活を送ることができるかもしれません。あるいは、それ以外の分野でも、何か秀でたものがある子どもは、それを評価されることによって精神的な安心感を得られているのかもしれません。ヤンキーなどで喧嘩が強いというのも、ひとつのステータスになっているんでしょうね。

こうして順調に自分の能力が評価されている間はまだいいのですが、その得意なものが周りの子どもに抜かされていったり、評価されなくなった瞬間にしんどくなってしまいます。大人はどの分野であっても自分より優れている人なんていくらでもいるということを知っていますし、それが当たり前であって特に気にもしていませんよね。ですが、子ども社会ではそうではなく、勉強がすべてであって、その勉強でトップに立てない自分は、きっと社会に出ても通用しないだろうといって絶望してしまう子どもさえいます。実際に社会に出て働いている人なら、もちろん学歴は優位になることは多いですが、すべてが学歴で決まるわけではなく、働き始めたらそれこそ学校で習う勉強以外の能力が必要になってくることなんてわかりきっているのですが、子どもたちはそういう社会を知りませんので、簡単に絶望してしまいます。

勉強の面でもそうですが、あらゆる面で知っている世界が狭すぎて、簡単に子どもたちは絶望してしまいます。それでなにもかもが嫌になって、不登校になったり、ひきこもりになったりする子どもは多くいます。しかし、逆に言えば、まだ見ぬ世界に気づくことができれば、その悩みや苦しみが、ちっぽけなものと感じることができる可能性が高いということです。つまり、絶望しやすい分、そこから光を見つけて抜け出せることも早くなる可能性が高いということです。

そのためには、子どもに世界はまだまだこんな狭いものではないとわかってもらわなければなりません。1人の世界に閉じこもってしまうと、それを知ることができませんので、家族でもいいですし、家族以外の第三者が間に入って、それを伝え続けるというのは大切なことです。

いったん社会に出て、そこで絶望した20代~40代のひきこもりの人とは、ここが決定的に異なります。ある程度自分で経験し、自分の目で確かめた社会に絶望し、あるいは自分自身に絶望し、ひきこもりという選択をした彼らには光が届きにくいのです。泥沼に足をつっこんでいるかのように、浮上の手がかりすら見つけることができず、もがき苦しんでいます。

そう考えると、むしろ10代という早い段階で絶望し不登校になるということは決して悲観するものではないのではないでしょうか。もちろん本人は苦しいでしょうし、そのご家族も同じように苦しいでしょう。ですが、彼らはまだまだ成長途中の段階です。これからいろいろな世界を知り、成長していくことで、きっと変わることができますし、そしてまたこの山を乗り越えた後には、自分でも驚くほど大きく大きく成長していることでしょう。結果的に大きく成長した姿で社会に出ることができるのです。

どのくらいの期間になるのかは、そのケースによって異なりますが、まずはご家族や周りの人間が「絶対に大丈夫」と強い気持ちを持つことと、「何があっても、どんな道を選んでもお前の味方だし、応援してるよ」という信頼を子どもに与えてあげることが大切だと思います。子どもが自分の道を見つけて、1回りも2回りも成長した良いイメージを持って信じてあげてください。

一方、30代や40代のひきこもりは、おそらく一般の皆さんが驚くほどたくさん存在しています。彼らの多くは、その闇が深く、彼らに対しての支援は十分とは決して言えません。彼らにも、光り輝ける場所はたくさんあるはずです。不登校の子どもたちだけではなく、彼らについても、国全体で考えていかなければならないと思います。


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知ってるというだけでは満足してはだめなんですね

2018-02-08 11:15:05 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

昔と比べて、高校入試で面接を実施する高校が増えましたね。面接の練習は中学校でしてくれるところが多いですが、それでも不安な生徒には塾で面接練習もしています。私もすごく緊張するタイプですので、面接が苦手で就職試験のときなどの面接失敗したことなどは、ここで何度も触れてきましたね。生徒の中にも、私と同じようなタイプがいますので、何度か練習をして少しでも自信をつけさせてあげることができればと思っています。

こうして生徒の面接練習をしているときに、どうして私は面接が苦手だったのだろうか、いや過去形ではなく現在も苦手なのはなぜなのかをいろいろ考えてみました。もともとそれほど頭の回転が速くなく、話を振られてもすぐに返すことができず、会話のスピードはどちらかというとゆっくりな方です。考えながら話すというか、そんな感じですのでスラスラと言葉が出てこないのです。

ですが、一番の原因は頭の回転ではなく、別のところにあるということに気づきました。

それは、知っているだけということなんです。

私はこのブログを書き始めて約1年になります。20年近く教育に携わってきましたので、もちろん教育問題に関心はありますし、もっともっとスキルを磨いて役に立っていきたいと思っています。ですが以前は、記事を読んだり、頭の中であれこれ考えることはあっても、こうして文字で書いてみたり、人前で話すこともありませんでした。ですから、だいたいのことは理解しているけれども、完璧には理解できていなかったり、自分の考えや気持ちすら十分に把握できていなかったため、何か質問されたり、何か発表しなければいけないときにスラスラと言葉が出てこないのです。

ブログを書くようになり、今までより深く考えるようになっただけでなく、自分の気持ちや考えに気づくことが多くなりました。「この問題に対しては、俺は本当はこんなふうに考えてるんやな」と自分の頭の中を整理していきながら、表面に現れていなかった部分を発見できたり、まったく逆の考えが頭の中に存在していたことに気づいたり、そうしているうちに、はっきりと自分の意見や自分の考えがまとまってきます。

最近では人前で話をしたり、会議に出席したり、いろいろな相談を受けることが多くなってきたのですが、自分の頭の中が整理できていますので、何を言えばいいのかを悩むことなく、言いたいことや伝えたいことは、はっきりしていますので、話し方はあいかわらず下手ですが、自信を持って話すことができるようになりました。

そういえば、大好きな競馬の話やサッカーのバルセロナの話なら、何時間でもノンストップで話できそうです(笑)
競馬のことなら、大学で論文も書いたほど、血統の勉強をしましたし、自分なりの馬券術を身につけるまでになりました。大学でなんの勉強してるねんって感じですけどそれほど時間をかけて研究したんです。バルセロナについても、試合は年間40試合ほどを、ほぼ全試合20年も見続けています。バルセロナのフットボールの哲学を理解しているだけでなく、バルセロナの歴史についても調べました。競馬にしろバルセロナにしろ、私なりに深く深く考え調べた結果、それぞれの専門家の方と話をしても通用する自信があるほどになっています。

ですから、教育問題のことであっても、その言葉や存在は知っているが、それについてあまり深く考えたことがないものについては、話につまることが多くありますし、自分でも何が言いたいのかわからなくなるときがありますね。

子どもたちの勉強であっても同様に、学校の授業を受けて、とりあえずは知ってるという状態にはなります。ここで放置をすると知ってるだけなので、問題を解くことができません。それをさらに深く考えるために、ノートをまとめ直したり、類題を解いたりするのです。塾での勉強も、わからない問題を私が説明してそれで終わりではなく、必ずそこで類題を出してもう一度解いてもらっています。そしてさらに、その部分の宿題を出すようにしています。生徒によって、わからないポイントは違いますので、出す宿題も異なり用意は大変ですが、塾としては当たり前のことなんです。学校ではないのですから、全員に同じ宿題を出すという意味のないことはしたくありませんし、せっかく時間を使って宿題をやってくれるのだから、できるだけ効果的なことをしたいです。

生徒によっては、それまであまり意味もわからず機械的に解いていた問題が、深く考えるようになったおかげで、問題の本質を理解し、その結果パターンに当てはまらない問題であっても解くことができるようになることもあります。

もちろん、面接の練習をした生徒にも、いくつかの質問を書いた紙を渡し、それの返答を家でゆっくりと考えてくるという課題をだしました。そうすると2回目の面接練習では、見違えるほど自分の意見を言えるようになっていました。生徒にとってだけではなく、私にとってもいい勉強になり、まだまだ様々なことについて深く学んでいかなければと改めて思いました。

いよいよ明後日に入試があり、寒い中大変だろうけれども、専願の子はこれで受験は終わるんだよ。終わった後は、思いっきり遊んでいいんだぜー!やりきった後の遊びは、これまで経験してないほどきっと楽しいはずだよ。もうちょっとだ、頑張れ!

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伸びなくなってからが勝負なんですが

2018-02-06 11:07:22 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私立入試まであと少し。ここからは、もちろん勉強も大切ですが、体調を整えていくことがより重要になってきます。生徒たちの頑張っている姿を見ると、入試本番はなんとか万全の状態で力を出し切ってほしいと心から望む気持ちになります。

みんな、ここまでたどり着くまでにいろいろなことがありました。学力が高いとか低いとか関係なく、まだまだ14歳や15歳の子どもなのですから、それぞれが苦しかったり辛かったりしたことなんて、ホントたくさんあったでしょう。それらをなんとか必死で乗り越えてここまで来たんですよね。もうそれだけで十分で「よくやったよ」と声をかけてあげたいですね。

勉強に限らず、なんでもそうだと思うのですが、結果がついてくるとき・上達しているという実感があるときって努力することはそれほど苦痛ではありません。勉強では、テストの点数が上がっていくときや学年での順位が上がっていくときなどは、もっともっと勉強しようと思えます。努力したことが目に見えて結果として現れるというのは、とても気持ちの良いことですし、今まで見ていた景色とは違う景色が見えますので、自信にもなりますし、これが「やる気」なんですね。

勉強をあまりしてこなかった子どもが、何かのきっかけで勉強を始めると、ほとんどの場合成績が伸びます。それも伸び方が驚くほど急激に伸びる子もいます。そのときが勉強って一番楽しいのではないでしょうか。楽しいからさらに勉強をするようになり、そして結果もよくなっていく。だからまた楽しくなって…という好循環の模範例みたいな生徒も何人かいました。

ですが、その伸びも止まるときがきます。必ず壁にぶち当たるときがあります。ここで、「ああ、もう無理や。あきらめよう」と思うのか「頑張って乗り越えよう」と思えるかの違いは確かに大きいです。壁をぶち壊したり、乗り越えたりすることは、今まで以上の努力が必要になりますので、とても苦しいですがその分壁を突破したときには、大きく成長できています。そうして、いくつもの壁を乗り越えていきながら私たちは進んでいかなければなりません。

こういった話は、私も幼いころから、いろんな人に教えてこられて、確かにそのおかげて成長できた部分もあるでしょう。ですが、大人になった私たちが気をつけなければならないことは、自分が乗り越えてきたから子どもも乗り越えれるはずだなんてことは絶対に思ってはいけないということです。

たとえば、私の勉強の話でいうと高校時代まではいくつかの壁を乗り越えて、ある程度順調にきていたと思います。高校生になり勉強をサボりだして、成績もめちゃくちゃ悪くなりましたが、心の底では「本気出したらいつでも追いつけるわ」と何の根拠もない自信がありました(笑) 

当然現役で大学に合格できるはずもなく、浪人することになり、さすがに本気で頑張ろうと思い勉強始めました。ある程度予定通りに成績は伸びていきましたが、12月頃に大きな壁にあたりました。それを乗り越えられず大学受験に失敗し、2浪することを決意しました。1浪のときよりも、もっともっと頑張って勉強しましたが、10月頃には正直にいうと、もう限界を感じていました。目の前のこの壁は、もうこれ以上どうあがいても、越えることができないと確信しました。結局第一志望の大学には合格できませんでしたが、もう1年勉強しようとは思いませんでした。なぜなら、あと1年や2年、それどころか10年勉強しても、自分には乗り越えることができない壁だなとわかっていたからです。両親は、「あんたが行きたい大学だったらどこでもいいよ」と言ってくれたおかげで、そこで受験勉強をやめることができましたが、もし「絶対にこの大学に行きなさい。行けるはずや。もっと努力しろ」ということを言われていたら。私は気が狂うほどしんどかったでしょう。

人はそれぞれの能力があります。脳科学者でもありませんから、詳しいことはわかりませんが、全員が同じレベルまで到達できることなんてありえないと思っています。だからもし、子どもの能力ではどうしようもない壁にぶち当たった時、それを無理やり乗り越えさせようとすることは、子どもにとっては、とてつもなく苦しく辛いことになってしまいます。その壁は、もしかしたら予想できなかったほど低いところにあるかもしれません。ですが、私たちから見たらすごく低く見える壁でも、本人にしたら見上げても、てっぺんが見えないほど高い壁なのかもしれないのです。頑張っても乗り越えることができない子どもたちに対して「どうしてもっと頑張らないんだ!それぐらいできるやろ!これぐらいできないと、この先、生きていけないぞ!」と言ってしまうと、子どもたちはどうしていいのかわからず、場合によってはすべてにやる気をなくしてしまったり、ものすごく反抗してしまったりします。

努力して生きていくことは素晴らしいことですし、私もできるかぎり、それを忘れずに生きていきたいと思っています。子どもたちにも、すぐに諦めるのではなく努力することを覚えてほしいと思っています。だから、子どもたちが乗り越えることができる壁にぶち当たって困っているとき、乗り越える手伝いをすることこそが私の役割だと思っています。励ましたり、背中を押したりしながら、壁を乗り越えたときの喜びを一緒に味わうことができるときは、たまらなく嬉しいんです。一方で、能力的に乗り越えることが不可能な壁で苦しんでいるとき、それを発見することも同じくらい大切な仕事だと思っています。1人1人の学力や能力、性格や考え方などできるだけ詳しく知ることがそれには必要になります。そんなきめ細かい指導を目指していきたいと思っています。

今週、受験を迎えるみんな。君たちはいくつもの壁を一緒に乗り越えてきたんだ。自分では気づかないほど大きく成長してるんだ。だからきっと大丈夫。安心して受験を楽しんでこいよー!



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