こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
今週末に選挙があるので生徒と選挙権の話題になりました。ちょうど歴史の勉強をしていて、最初は納税額による制限選挙だったのが、普通選挙が実現し、戦後には女性にも選挙権が与えられ現在のような仕組みになったんだよ、という流れを説明いたところ「なんで、18歳以上というように、下は決まっているのに、上は決まってないん? 90歳までとかにはならへんの?」という質問をされました。
なるほど、確かにそうですね。国の方向性を決めることができる大切な権利ですから、さまざまな義務をはたすことができること、判断できる能力があることなどからこれまでは20歳以上という年齢がいわゆる「一人前」と認められる年齢だったのでしょう。それはとてもよく理解できますが、では20歳以上なら何歳でも権利があるというのは少し違和感がありますね。
悲しいですが、人は年齢とともにさまざまな能力が低下していきます。人の話を理解できなくなったり、冷静に物事を判断する能力ができなくなっていても選挙権を失うことはないのですね。だれか身近な人に言われるがままに投票している方もずいぶんも多いのではないでしょうか。
車の免許はもっと問題です。頻繁に高齢者の事故のニュースを見ます。車に乗っていても、「この車、フラフラして危ない運転してるなー」と思ってチラッと運転手を見ると高齢者の方ということが多いですね。いろいろな能力が衰えているにもかかわらず、免許の更新に行けば取り上げられることは基本的にはないのです。しかし車の事故は本人だけでなく、周りのまったく無関係な人たちを傷つけてしまうことが多いのですから、ここはもっと議論しなければいけないことだと思います。
日本では数年に1回、車の免許の更新に行きます。平日しか開かれないところも多いですので、みんな仕事や学校を休んだりして行きます。にもかかわらず、内容は、写真を撮って、毎回同じような映像を見せられて、毎回同じような講師の人の話を聞くだけです。なんの意味があるのでしょうね。
免許の更新時に実技の検査をされることもほとんどありません。本来ならば、交通違反や交通事故を多く起こしてる人や、ある年齢以上の人たちには、映像を見せるだけでなく、しっかり実技の検査をするべきですよね。そうして運転能力の低下している人を見つければ事故を未然に防げます。
高齢者といっても、まだまだ元気で、車の運転なんて楽にできる方もたくさんいます。ですから、◯◯歳以上の人は免許を取り上げますという方法ではなく、個々の能力で判断するべきですね。もちろん実技検査などを実施すると時間も費用もかかってしまいますが、事故や違反のない若い人たちの免許更新の期間をもっと長くするなど工夫すればやれないことはないはずです。それに、こういうことをきちんとしないと、制度が形だけで中身がスッカラカンになってしまいます。
前置きが長くなりましたが、立派に見えて、良さそうな制度でも、実は見た目だけよく中身が伴っていないことって多いんですよね。学校教育でも「すべての子どもたちに〜」「子どもたちの笑顔のために〜」などと立派な言葉が並んでいますが、実は子どもたちのためではなく、大人が都合のいい制度を作ってるだけです。制度がうまく機能していれば、今のようにとてつもない学力の二極化や、不登校生の増加、学級崩壊などこれほど多くの問題が出てこないはずです。
学力の問題だけ考えても、学校で勉強が理解できるようになったという子どもは、いったいどれくらいいるでしょうか?学力の高い子は、学校の授業よりも塾での授業に頼っています。偏差値の高い高校に合格するためには、学校の授業だけではとうてい通用しませんから。一方、学力の低い子にとっても学校の授業では理解できないので、同じく塾に行ってわからないところを自分のペースで教えてもらうことに頭に入っていきます。「学校とは勉強だけを教えるところではない」と言われますが、時間割を考えても勉強を教えることが第一の目的であることは明らかで、それが機能していないのだったら子どもたちは何をしに学校に行っているのでしょうか。
車の免許にしろ、学校教育にしろ、制度ができたのはずいぶん昔です。現在のような社会を想定して作った制度ではないはずです。作った当時はベストな制度であったとしても、時代の変化とともにベストではなくなってくるのです。「私たちはこの制度の中で生きてきて、それでうまくいったのだから、このままでいい」なんてのは、まったくナンセンスです。数十年前と現在とでは状況が全く違うのですから、制度を変えることが自然なんです。
いつの間にか私も45歳となり、大人の目線で物事を考える時間が多くなりました。しかし、子どもたちと話をすることで、子どもたちはどのように考えているのか、どんなことに不安を持っているのか、どうすればいいと思っているのかなどがわかるので、子どもの立場でも考えなければならないということを思い出させてくれます。ある意味、これからの教育を考えていくときに、一番必要なのは彼らの生の声かもしれません。
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今週末に選挙があるので生徒と選挙権の話題になりました。ちょうど歴史の勉強をしていて、最初は納税額による制限選挙だったのが、普通選挙が実現し、戦後には女性にも選挙権が与えられ現在のような仕組みになったんだよ、という流れを説明いたところ「なんで、18歳以上というように、下は決まっているのに、上は決まってないん? 90歳までとかにはならへんの?」という質問をされました。
なるほど、確かにそうですね。国の方向性を決めることができる大切な権利ですから、さまざまな義務をはたすことができること、判断できる能力があることなどからこれまでは20歳以上という年齢がいわゆる「一人前」と認められる年齢だったのでしょう。それはとてもよく理解できますが、では20歳以上なら何歳でも権利があるというのは少し違和感がありますね。
悲しいですが、人は年齢とともにさまざまな能力が低下していきます。人の話を理解できなくなったり、冷静に物事を判断する能力ができなくなっていても選挙権を失うことはないのですね。だれか身近な人に言われるがままに投票している方もずいぶんも多いのではないでしょうか。
車の免許はもっと問題です。頻繁に高齢者の事故のニュースを見ます。車に乗っていても、「この車、フラフラして危ない運転してるなー」と思ってチラッと運転手を見ると高齢者の方ということが多いですね。いろいろな能力が衰えているにもかかわらず、免許の更新に行けば取り上げられることは基本的にはないのです。しかし車の事故は本人だけでなく、周りのまったく無関係な人たちを傷つけてしまうことが多いのですから、ここはもっと議論しなければいけないことだと思います。
日本では数年に1回、車の免許の更新に行きます。平日しか開かれないところも多いですので、みんな仕事や学校を休んだりして行きます。にもかかわらず、内容は、写真を撮って、毎回同じような映像を見せられて、毎回同じような講師の人の話を聞くだけです。なんの意味があるのでしょうね。
免許の更新時に実技の検査をされることもほとんどありません。本来ならば、交通違反や交通事故を多く起こしてる人や、ある年齢以上の人たちには、映像を見せるだけでなく、しっかり実技の検査をするべきですよね。そうして運転能力の低下している人を見つければ事故を未然に防げます。
高齢者といっても、まだまだ元気で、車の運転なんて楽にできる方もたくさんいます。ですから、◯◯歳以上の人は免許を取り上げますという方法ではなく、個々の能力で判断するべきですね。もちろん実技検査などを実施すると時間も費用もかかってしまいますが、事故や違反のない若い人たちの免許更新の期間をもっと長くするなど工夫すればやれないことはないはずです。それに、こういうことをきちんとしないと、制度が形だけで中身がスッカラカンになってしまいます。
前置きが長くなりましたが、立派に見えて、良さそうな制度でも、実は見た目だけよく中身が伴っていないことって多いんですよね。学校教育でも「すべての子どもたちに〜」「子どもたちの笑顔のために〜」などと立派な言葉が並んでいますが、実は子どもたちのためではなく、大人が都合のいい制度を作ってるだけです。制度がうまく機能していれば、今のようにとてつもない学力の二極化や、不登校生の増加、学級崩壊などこれほど多くの問題が出てこないはずです。
学力の問題だけ考えても、学校で勉強が理解できるようになったという子どもは、いったいどれくらいいるでしょうか?学力の高い子は、学校の授業よりも塾での授業に頼っています。偏差値の高い高校に合格するためには、学校の授業だけではとうてい通用しませんから。一方、学力の低い子にとっても学校の授業では理解できないので、同じく塾に行ってわからないところを自分のペースで教えてもらうことに頭に入っていきます。「学校とは勉強だけを教えるところではない」と言われますが、時間割を考えても勉強を教えることが第一の目的であることは明らかで、それが機能していないのだったら子どもたちは何をしに学校に行っているのでしょうか。
車の免許にしろ、学校教育にしろ、制度ができたのはずいぶん昔です。現在のような社会を想定して作った制度ではないはずです。作った当時はベストな制度であったとしても、時代の変化とともにベストではなくなってくるのです。「私たちはこの制度の中で生きてきて、それでうまくいったのだから、このままでいい」なんてのは、まったくナンセンスです。数十年前と現在とでは状況が全く違うのですから、制度を変えることが自然なんです。
いつの間にか私も45歳となり、大人の目線で物事を考える時間が多くなりました。しかし、子どもたちと話をすることで、子どもたちはどのように考えているのか、どんなことに不安を持っているのか、どうすればいいと思っているのかなどがわかるので、子どもの立場でも考えなければならないということを思い出させてくれます。ある意味、これからの教育を考えていくときに、一番必要なのは彼らの生の声かもしれません。
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