個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

現状維持というのは、ある意味安心ですが

2017-10-19 11:16:01 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

今週末に選挙があるので生徒と選挙権の話題になりました。ちょうど歴史の勉強をしていて、最初は納税額による制限選挙だったのが、普通選挙が実現し、戦後には女性にも選挙権が与えられ現在のような仕組みになったんだよ、という流れを説明いたところ「なんで、18歳以上というように、下は決まっているのに、上は決まってないん? 90歳までとかにはならへんの?」という質問をされました。

なるほど、確かにそうですね。国の方向性を決めることができる大切な権利ですから、さまざまな義務をはたすことができること、判断できる能力があることなどからこれまでは20歳以上という年齢がいわゆる「一人前」と認められる年齢だったのでしょう。それはとてもよく理解できますが、では20歳以上なら何歳でも権利があるというのは少し違和感がありますね。

悲しいですが、人は年齢とともにさまざまな能力が低下していきます。人の話を理解できなくなったり、冷静に物事を判断する能力ができなくなっていても選挙権を失うことはないのですね。だれか身近な人に言われるがままに投票している方もずいぶんも多いのではないでしょうか。

車の免許はもっと問題です。頻繁に高齢者の事故のニュースを見ます。車に乗っていても、「この車、フラフラして危ない運転してるなー」と思ってチラッと運転手を見ると高齢者の方ということが多いですね。いろいろな能力が衰えているにもかかわらず、免許の更新に行けば取り上げられることは基本的にはないのです。しかし車の事故は本人だけでなく、周りのまったく無関係な人たちを傷つけてしまうことが多いのですから、ここはもっと議論しなければいけないことだと思います。

日本では数年に1回、車の免許の更新に行きます。平日しか開かれないところも多いですので、みんな仕事や学校を休んだりして行きます。にもかかわらず、内容は、写真を撮って、毎回同じような映像を見せられて、毎回同じような講師の人の話を聞くだけです。なんの意味があるのでしょうね。

免許の更新時に実技の検査をされることもほとんどありません。本来ならば、交通違反や交通事故を多く起こしてる人や、ある年齢以上の人たちには、映像を見せるだけでなく、しっかり実技の検査をするべきですよね。そうして運転能力の低下している人を見つければ事故を未然に防げます。

高齢者といっても、まだまだ元気で、車の運転なんて楽にできる方もたくさんいます。ですから、◯◯歳以上の人は免許を取り上げますという方法ではなく、個々の能力で判断するべきですね。もちろん実技検査などを実施すると時間も費用もかかってしまいますが、事故や違反のない若い人たちの免許更新の期間をもっと長くするなど工夫すればやれないことはないはずです。それに、こういうことをきちんとしないと、制度が形だけで中身がスッカラカンになってしまいます。

前置きが長くなりましたが、立派に見えて、良さそうな制度でも、実は見た目だけよく中身が伴っていないことって多いんですよね。学校教育でも「すべての子どもたちに〜」「子どもたちの笑顔のために〜」などと立派な言葉が並んでいますが、実は子どもたちのためではなく、大人が都合のいい制度を作ってるだけです。制度がうまく機能していれば、今のようにとてつもない学力の二極化や、不登校生の増加、学級崩壊などこれほど多くの問題が出てこないはずです。

学力の問題だけ考えても、学校で勉強が理解できるようになったという子どもは、いったいどれくらいいるでしょうか?学力の高い子は、学校の授業よりも塾での授業に頼っています。偏差値の高い高校に合格するためには、学校の授業だけではとうてい通用しませんから。一方、学力の低い子にとっても学校の授業では理解できないので、同じく塾に行ってわからないところを自分のペースで教えてもらうことに頭に入っていきます。「学校とは勉強だけを教えるところではない」と言われますが、時間割を考えても勉強を教えることが第一の目的であることは明らかで、それが機能していないのだったら子どもたちは何をしに学校に行っているのでしょうか。

車の免許にしろ、学校教育にしろ、制度ができたのはずいぶん昔です。現在のような社会を想定して作った制度ではないはずです。作った当時はベストな制度であったとしても、時代の変化とともにベストではなくなってくるのです。「私たちはこの制度の中で生きてきて、それでうまくいったのだから、このままでいい」なんてのは、まったくナンセンスです。数十年前と現在とでは状況が全く違うのですから、制度を変えることが自然なんです。

いつの間にか私も45歳となり、大人の目線で物事を考える時間が多くなりました。しかし、子どもたちと話をすることで、子どもたちはどのように考えているのか、どんなことに不安を持っているのか、どうすればいいと思っているのかなどがわかるので、子どもの立場でも考えなければならないということを思い出させてくれます。ある意味、これからの教育を考えていくときに、一番必要なのは彼らの生の声かもしれません。

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あの人は「ひきこもり」だから、、それをやめましょう

2017-10-17 11:02:43 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

「不登校」や「ひきこもり」に対して良い印象を持っている人はわずかでしょう。いろいろな原因はありますが、ニュースなどでいわゆる「ひきこもり」の人が大きな事件を起こしているのが取り上げられるのもそのうちの1つでしょう。しかし、「ひきこもり」の人が犯罪を犯す確率はそんなに高いのでしょうか?統計をとったわけではありませんが、それほど差はないのではないのでしょうか。一部の「ひきこもり」の犯罪で「ひきこもりの人=危険な人」というイメージが出来上がっています。

私自身が大学卒業後ひきこもっていた経験があることから、何か役に立てればという気持ちで、ひきこもりの支援をしている場所や、ひきこもりの方の会議などに顔を出すことがあります。そこでわかったのは、「ひきこもり」と1つの枠でくくるのは危険だということです。

世間で「ひきこもりは甘え」という意見があります。私も一部賛成なんです。というのは、たとえばこんなことがありました。ひきこもりの人たちが集まる場所でいろいろ話をしているときに、あるひきこもりの方が、「今のひきこもりの小遣いの平均って知ってますか?」と。私は「うん?小遣い?」と一瞬思いましたが、その方は続けて「月2万円なんですよ。サラリーマンの平均の小遣いよりも少ないんですよ!」と怒っていました。「何を言ってるんだこの人は。毎日汗水たらして働いているサラリーマンの人の方が多くて当たり前だし、そもそも小遣いもらってるん?そっちの方がビックリやわ」と唖然としました。

なぜこのような思考になるのか。私なりに考えたのですが、おそらく長い間ひきこもっていたことにより、感情がネガティブになります。そして自分の現状を無理やり納得させるために、いろいろと言い訳を考えます。私も経験がありますが、ひきこもった原因は自分が悪いのではなく社会が悪いのだと思い込むことで、なんとか倒れずに立っていられるのです。そして同じ感情を持った仲間や、そういった場所に集まることで不満をぶちまけます。そこまでは社会復帰の第一歩として必要だと私は思いますが、あまりに長い時間そういう場所にいることで不満しかでてこなくなり、すべてを人のせいにしてしまうようになります。そうなると社会復帰は程遠く、どこに行っても不満ばかり言って、まったく好転しません。ですから次のステップに進めるための場所や、導いてあげる人が必要なんでしょうね。

ですが一方では、ひきこもりの状態からなんとか脱出しようと毎日もがいて、必死で戦っている人もいます。ひきこもった原因を他人や社会のせいにするのではなく、しっかり自分自身を見つめなおし、新たな人生を歩もうと頑張っている人もたくさんいます。職歴がなく、30代半ばでアルバイトをし、仕事に慣れていないため、ずいぶんと年下の子から毎日怒鳴られたり、それでも1日でも早く仕事を覚えようと歯を食いしばって頑張った。でもやっぱりしんどくなってやめてしまった、こんな人も甘えなんでしょうか?

勤務されている会社などが突然倒産になって、働く場所を失ったとします。生きていくためには働かなければなりません。これまでの仕事とはまったく別の分野の仕事しかなく、仕事を1から覚えなくてはなりません。さらに労働条件も以前と比べてずいぶんと厳しいものになったとします。ほとんどの方はストレスなどで苦しくなり、体調を崩したり、あるいは精神面をやられてしまったりするでしょう。仕事を続けることができない人もいるかもしれません。ほとんど社会経験のない「ひきこもり」の人の場合は、それの何倍もしんどいのだと思います。それを「甘えだ」や「それまで働かずにひきこもっていたのが悪いのだ」と突き放すことは私にはできません。

確かにひきこもっていた時期は甘えていた部分もあったのでしょう。ただ、そういった甘えていた自分を反省し、これから再スタートをしようと必死になって頑張り、もがいている人たちを、もっと受け入れサポートする社会になるべきだと私は思います。

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本気で受け止めてしまう子も多いんですよ

2017-10-14 12:06:56 | 教室から
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

個別指導の利点の1つに、生徒がわからないところをピンポイントで質問できるというのがあります。そうすることで授業形式よりも効率的な勉強ができます。しかし、これはあくまで生徒が質問するという前提ですので、個別指導という形式には、生徒が質問しやすい環境を作るというのは絶対に必要な条件となります。

質問しやすい環境のためにどうすればよいか?当然ですが、生徒から「この先生に聞いても、どうせわからない。」「教え方が下手でよくわからない」などと思わせてしまってはおしまいですので、できるだけ知識を増やして教える技術を磨いておかなければなりません。しかし、これだけでは不十分で、生徒と仲良くなることも同じくらい重要なんです。質問があっても、性格的にそれができない子どももいますので、そうなってしまっては、せっかくの個別指導がいかされません。ですから、気軽に話せる関係を構築していくことが最も効率の良い勉強への近道だと考えています。

冗談を言ったりできるようになるまで距離が近くなると、指導の面ではほぼ完璧になります。生徒がどこがわからいかなどの質問はどんどん言えるようになりますし、また勉強面以外での話もしてくれることから、現在何か悩みがあったりしたときにはすぐに見つけてあげることができますし、保護者の方にもそれを伝えることができ、子どもにとってよりよい環境が出来上がっていきます。

ただ、子どもたちが自分に対してどれほど親近感を持ってくれているのかを見極めるのは少し難しいですね。私も塾を始めてから10年くらいは、たびたび失敗をしてしまいました。もうそろそろ大丈夫かなというタイミングで冗談を言ったことで生徒を傷つけてしまったり、親しみを込めてニックネームをつけたことで保護者の方に叱られたり。(^_^;)

今では、そのあたりは十分判断できるようになりましたし、使う言葉も気をつけています。いろいろなタイプの子どもがいますから、同じ内容を伝えるときでも、違う表現にしたりする必要があります。

よく生徒たちが、学校で先生に「お前は〇〇高校には行かれへん。」「高校合格したかったら1日1000枚ののプリントをせなあかん」などと言われて、ショックを受けたり腹を立てたりしています。先生は子どもたちに「受験が近いんやから、もっと勉強しろよ!」とやる気を出させるために言ってくれているのですが、生徒との信頼関係を築けていなかったり、生徒の性格を把握できなかったりしているため、言われた子どもは「〇〇高校には行けないのはショックや。別の志望校見つけなあかんわ」「1000枚のプリントなんてできるわけがない。もう無理や」などと先生の真意をつかめず、逆にやる気をなくしてしまったり、先生に対して不満を持つようになったりします。

しかも私なら、「〇〇高校には行かれへん」などといういい方はまずしませんね。受験生と言うのはとくにデリケートな時期ですので言い方には気をつけなければなりません。ひどい例としては「お前、このままやったら将来〇〇になるぞ!」というような学校の先生とは思えないような発言で脅された生徒もいます。このときは、私もめちゃくちゃ怒り、学校に抗議をしようとしたのですが、保護者の方が代わりに抗議してくれました。

学校の先生は何百人という子どもたちと接するわけですから、1人1人の細かい性格まで把握するのはほぼ不可能です。だからこそ、言葉にはもっと気をつけなければなりません。受ける側によっては、それがただの暴言になり得るからです。

こんな私でも生徒と真面目な話をすることはもちろんありますが(笑)、ときには笑いもありながら話をすることがあった方が楽しいですよね。特に勉強という、子どもたちにとっては苦痛なことをしているわけですから、できるだけ楽しく勉強させてあげたいと思っています。そのために、生徒のことを学力面だけでなく、いろんな面を知ることを続けていきたいと思っています。

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1歩ずつ

2017-10-12 11:12:02 | 活動報告
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

8日の日曜日に、3月に講演させていただいた大阪狭山市のNPOさんのスタッフさんと、学習支援や就労支援されている方々との食事会がありました。

近くのスーパーで食料を買いに行き、お酒を飲める方は飲みながら楽しい会となりました。みなさんとは初対面ではありませんでしたが、こうしてゆっくりお話するのは初めてでした。

知識や経験が豊富なだけでなく、熱い想いも持っておられ、その場にいるだけで私も元気をもらえました。そして私が疑問に思っていたことや、知りたかったことなども親切に教えてくださり、とても有難い時間となりました。

不登校や引きこもり、学習の悩みや発達症のことなど、子どものことで悩まれてる方はたくさんいます。ただ、そういったすべての悩みを1つの機関で解決していくのは不可能です。例えば、私のONE-Sですと、学習塾ですので不登校や勉強についていけない子どもなどの学習サポートや、その相談をすることができますが、引きこもりの方の就労支援はできません。しかし、私ができなくても、それを専門にしている方や機関につないであげることができればいいんですよね、

そういった意味では、以前から書いているように、ネットワークを広げるということはとても重要です。それも、ただネットワークを広げるのではなく、目指す方向は同じで信頼できる方たちとのネットワークが必要です。お互いが安心して紹介しあえるような、そういうものでなければ意味がありません。

相談のために、どこかに電話をするというだけでも勇気のいることで、ハードルは決して低くありません。いろんな不安を持ちながら、子どものためにと勇気をだして相談機関に電話したとしても、その機関がいいかげんなところであったりすると、「やっぱり真剣に話を聞いてくれるところなんてないんだ」と思ってしまい、どこにも相談できなくなってしまいます。

これが、たとえば学習塾であったり病院であったりすると、ここは自分には合わないから別のところに行こうという選択ができるのですが、不登校・引きこもり・発達症・非行などの場合は、それを専門に扱ってる機関がまだまだ少ないため、他の機関に行くこともできず、他の人の意見を聞くこともできないのが現状です。

結果的に、どこにも相談できなくなるか、ちょっと不満や納得のいかないことがあっても1つの場所に行き続けるしかないのです。

ひきこもりの居場所をつくってくださってる場所に、ひきこもりの相談があったとします。本人もその場所が気に入り、家から出ることができるようになり、そこで友達などもでき元気になってきました。そこで、このままここにいるのではなく、次のステップに進みたい、アルバイトや仕事を見つけて働きたいと思っても、その場所は就労支援をしていません。そこで、この人は自分で探そうとするのですが、ブランクもありサポートなしではうまくいかず、また元の状態に戻ってしまいます。こういった例は山ほどあるのです。

これは、居場所が必要ないというわけではなく、居場所は絶対に必要です。ですが、居場所だけではさまざまなニーズに対応できないため、他の機関とつながっていないのはもったいないのです。居場所が必要な子はここに、そして働きたいと思っている子はここにというように、それぞれの独立したそして専門的な機関が手を取り合うことで、一気に必要とされる組織が出来上がります。

1つの組織の中に同じような機関がいくつもあっていいのです。ONE-Sのように不登校の子どもたちの学習サポートする塾が同じ組織の中にいくつもあった方がいいんです。場所や先生、そして授業の進め方、雰囲気など塾によって違っていて子どもたちが自分にとって一番心地よい場所も異なるはずですから、選択肢を多くすることが大切です。お互いが競争相手のライバルではなく、同じ志を持った仲間なんですから。とにかく窓口はまだまだ増やしていかなければなりません。行政ではないのですから、もっと横の連携を深めていくべきです。

それほど遠くない未来に、堺市だけでなく、大阪全体に広がる大きなネットワークができると確信しています。その大きな1歩を踏み出しました。

あと残っている大きな問題は、この会の名称がまだ決まってないことなんです。30分ほど案を出し合ったのですが、こういうことは私も含めてみなさん、苦手なようで。次回集まるときまでに考えておかなければ。



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凱旋門賞から学ぶこと

2017-10-10 11:04:44 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

以前このブログで、私は競馬ファンであることを書きましたが、今回はその競馬の話から始めます(といっても馬券の必勝法などではありませんので、競馬に興味のない方も最後までお読みください)。

10月1日の夜にテレビでも放送されましたが、フランスで凱旋門賞というレースが行われました。日本からも2頭が参戦しましたが、残念ながら完敗に終わりました。この凱旋門賞というレースは世界的に大きな歴史のあるレースで日本馬もこれまで何度も挑戦していますが、まだ優勝することはできていません。ディープインパクトやオルフェーヴルといった日本で無敵だった名馬でも凱旋門賞を勝つことができませんでした。

日本の馬が凱旋門賞を勝てない理由はいろいろ言われていますが、日本馬の実力が足りないわけではなく、日本の競馬場とフランスの競馬場があまりにも違いすぎることが1番大きな原因だと私は思います。簡単に言うと、日本の競馬場は舗装されたアスファルトで、ヨーロッパは泥や砂というくらい違いがあります。当然同じ距離のレースでも、日本の競馬場の方がヨーロッパの競馬場よりも走りやすいので早いタイムで走れます。日本の競馬場でとても早いタイムで走れる馬が、ヨーロッパにいくとまったくそのスピードをだせずに惨敗するのです。

これは、日本の馬は日本の競馬場で勝つために育成されているからです。日本の走りやすい競馬場に合うような配合をし、そして育成されます。アスファルトの上をできるだけ早く走るように訓練されるのですから、急に泥の上を走らそうとしてもパワーも足りず走り慣れていないため勝てるはずもありません。逆に、凱旋門賞を勝った馬が日本の競馬に参戦することもあります。凱旋門賞を勝つほどの世界的な名馬でも、日本の競馬場では勝つことができないんです。つまり、凱旋門賞を勝つような馬はヨーロッパの馬場で勝つために育成されているので、それとほぼ真逆の日本の競馬場では実力が発揮できずに負けてしまうのです。

目標をどこに設定するかによって、どういった訓練をするのか、どういった努力をするのかが変化するのです。

野球やサッカーなどのプロスポーツの場合はもっと明確ですよね。おそらくトップクラスの選手たちは、幼いころから目標を定めて、そこに向けて練習してきたのでしょうね。どういった能力が必要で、何が足りなくて、どの練習をすればよいのか、最も効果的な方法を模索しながら練習してきたのだと思います。

一方、勉強というのは競馬やスポーツに比べると、あいまいで不透明なものですね。将来、どういった仕事をしたいのか、どういった人間になりたいのかによって学ぶ内容や学ぶ方法も変わってきます。義務教育で教えるような基礎的な学力を身につけさせてあげることは必要だと思います。しかし、子どもたちに勉強することはこういう面で役に立つんだよというのを伝えないまま勉強をさせていますし(役に立たないような勉強もあるから伝えることができないのかもしれません)、さらに義務教育を超える学習については一部の職業を目指す人たち以外は、ほとんど役に立たないように思いますが、高校では義務教育の延長を勉強するのが当たり前、そして高校に進学するのも当たり前という風潮になっています。

高校生くらいの年齢になると、将来自分が進みたい道がある程度決まっている子も増えてきますが、それでもその職業の専門的な勉強をする場所はほとんどなく、とりあえず高校を卒業してから大学なり専門学校なりでその道の勉強をようやく始めることができます。

着地点(目標地点)が決まれば、そこにたどりつくための必要な訓練を、もっと効果的にできるシステムにすることはできないでしょうか。凱旋門賞を狙う子どもがでてきてもいいじゃないですか。ですが、教育システムがこのままでは、そういう子どもはレールがない場所まではじかれます。そんなことではいつまでたっても凱旋門賞を勝つことはできません。日本の特殊な競馬場で、そこそこ走れる子どもが増えていくだけです。

近い将来、日本馬が凱旋門賞を勝つことを期待しています。

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