富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

除夜の鐘 - とんだばやし寺内町にて

2016年01月01日 | 夜景

 2015.12.31.23:54 富田林市富田林町 融通念仏宗 半偈山(はんけいさん)三仏院(さんぶついん)浄谷寺

大阪市平野区にある総本山大念仏寺の末寺。慶長13年(1608)に「大念仏道場」とあり、寛文6年(1666)に総門徒の寄進により再興された。

 

 2015.12.31.23:50 浄谷寺

 梵鐘は戦中に供出され、成分分析のために4つの穴を開けられたが、戦後溶解をまぬがれて、お寺に帰ってきた。

銘:「河内石川郡 富田林 浄谷寺什物 月山代 宝暦五乙亥歳三月吉日」 

 

  2015.12.31.23:43 浄谷寺 本堂 建築年代 文政13年(1830)(再建)

 内陣右側面の棚の上には、西国三十三度巡礼行者「富田林組」の御背板(オセタ)が5組そろっている。

 

 2016.1.1. 0:38 日本の道百選 「城之門筋 」

 

 2016.1.1. 0:15 城之門筋 興正寺別院 門前

 鐘楼(手前)と太鼓楼が見える。2つともある真宗寺院は数少ない。

 

 2016.1.1. 0:01 浄土真宗 興正寺別院 鐘楼

 

 2016.1.1. 0:03 浄土真宗 興正寺別院 鐘楼 文化7年(1810)の建築 国の重要文化財

 

 2016.1.1. 0:09 浄土真宗 興正寺別院 本堂  建築年代 寛永15年(1638)(再建)

浄土真宗の寺院本堂として大阪府内で最古の建造物です。国の重要文化財

応永年間(1394-1412)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。 永禄3年(1560)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。

 

 2016.1.1. 1:01 じないまち交流館

 

 2016.1.1. 1:00 じないまち交流館 連子格子より「明かり」がみえる。

 

 2016.1.1. 1:08 火の用心 「くわえきせる無用」の道標

 側面に「町中 くわえきせる ひなわ火 無用」とある。
町全体が火事の予防に細心の注意を払っていました。東高野街道沿いの道標で、刻字から宝暦元年(1751)建立であることがわかります。富田林は町全体が火事の予防に細心の注意を払っていたことが伺い知れます。

 

 2016.1.1. 0:23 浄土宗 知恩院派、天正山 神宮院 西方寺

 

2016.1.1.0:24 浄土宗 天正山 西方寺 本堂

本尊である阿弥陀如来坐像は、天和3年(1683)に尾州名古屋の伊藤治郎左衛門から寄進されたもので、像高143センチ、寄木造の堂々とした姿は、藤原時代の様式で鎌倉末期の作像とされます。

 

 2016.1.1.0:23 浄土宗 天正山 西方寺 本堂

立派な駕籠があります。

 

2016.1.1. 0:26 寺内町(西林町)の元富田林郡役所の石垣

 

 2016.1.1. 0:45 今も町に多く残る土蔵  

 

 2016.1.1. 0:36  北口地蔵

 赤ちゃんの夜泣き・疳の虫に効くという言い伝えがあるそうです。寺内町の北口で、巡礼街道の葛井寺や喜志の宮さん方面の出入り口にあります。

 

  2016.1.1. 0:49  山中田坂

千早街道・観心寺道の出入り口です。富田林寺内町は、小高い丘(河岸段丘面 )にあり、北部以外の三方が坂になっています。

 

  2016.1.1. 0:18 旧杉山家住宅 国の重要文化財 

 

2016.1.1. 0:10 興正寺別院 本堂にて  

 

2016.1月1日 (HN:アブラコウモリH)

 


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