富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

天誅組の足跡・羽曳野丘陵越え廿山・甲田・錦織水郡邸へ

2016年05月26日 | 館外活動

    

金剛中央公園の階段を降りた広場の正面に大きくそびえる落葉広葉樹ポプラの木がありその上部に鳥の巣のような大きな「宿り木」が生息しています。市街地では、なかなか見ることができないかも?

   

谷道の上り坂の両側に棚田景観があり農耕など緑豊かになれば、美しい棚田風景が見られるかも

      

廿山高地には、堺街道が東西に貫いていて、お地蔵さんが集中している、お参りしたとき同じ「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」の心経が貼られていた。

      

中央に寺院寺内東側に大念仏宗長福寺本堂、西側に地蔵堂あり、院内は手入れされた庭木と新緑が美しかった。なお、廿山高地は、楠氏の廿山城址、畠山一族の家督騒動で獄山城攻撃の屯営など史跡。

   

廿山墓地、僧行基(668~740年)の開基、錦部郡七郷の惣墓(集合墓)。

 

浅川八郎翁之碑、1866~1876年間10年かけて地域の人達と協力し、石川の川西大橋から富田林高校近くまで約1250メートルの堤を完成した。これを浅川堤と云う。

       

錦織神社は、平安時代中期以前に創建されたと推定される。南側の大石鳥居をくぐると照葉樹林に囲まれた参道を進むと左手に「天誅組 河内勢顕影碑」の碑が建っている。正面に本殿、二摂社があり神社建築としては珍しく、入母屋造三間社、正面千鳥破風、軒唐破風付き、檜皮葺きで社の彩色も極彩色でハデ。日光東照宮にも影響を与えたといわれている。重要文化財に指定。

      

水郡邸 伊勢神戸藩の代官又は庄屋、母屋は大和棟で安永2年(1773)他所から移築、江戸初期の建物。大阪府指定史跡。文久3年(1863)8月16日、天誅組の中山忠光ほか宿泊。(近くの旧家)

    

養楽寺 黄檗宗法雲寺末で静雲山と号す。水郡家の菩提寺、森本伝兵衛の記念碑あり。天誅組の吉村寅太郎他土佐出身者が宿泊。

       (石川石での石垣) 

深溝(ふこうど)井路(井堰)錦織の高橋から、河岸段丘上を利用し東北に進み、甲田、富田林小学校西側、富田林駅から巡礼街道のそって「粟が池」に至る。

 

kusu 2016.05.30

 *このブログは、2016.6.8.「富田林百景+」館内学習にてアップしました。

 


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