〈リバイバル・アーカイブス〉2022.6.13~7.3
原本:2017年8月11日
煉瓦は、幕末から明治初期にかけて構築物・構造物に多く使用された。寺内町周辺は、明治後期から大正期かけて多く造られたと思われる煉瓦構造物が多く残存しております。当時、富田林でも、短年度ではあるが(河内煉瓦)として製造されており、大阪鉄道(現、近鉄)の橋脚等、又、寺内町の北部に痕跡が多く見られます。その一部お紹介します。 2017.08.09~10 撮影
北越井家の西壁、 イギリス積みか。
いぬい越井家の西外壁、角は花崗岩で補強され(算木積み)で石積みされている。
いぬい越井家の外壁、鉄板で補強されている。
本町公園の側溝の基礎部分。
本町公園の南壁。
薬師堂の東壁、真横からの煉瓦積みが見られる。
平尾街道沿いの坂の壁、段丘上に有り基礎は石積み、その上に煉瓦積み、モルタルで補強されている。
平尾街道沿いの坂の壁、煉瓦には刻印と思われる跡があります。
喫茶店ナロード入口付近、煉瓦は新しく四国より取り寄せたとのこと、長手積みか。
常盤町、近鉄煉瓦橋梁、(深溝井路)
若松町2丁目、(歯痛の観音さん)付近、近鉄煉瓦橋梁(深溝井路)。
貴重な土塀。
蛇足
長い蛇の様な瓜、1.35mも長く「へびうり」インド原産と言われている。
2017.08.11 kusu
大正12年の関東大震災で、浅草凌雲閣は崩れ落ち、銀座の煉瓦街は大きな被害を受けて、地震に弱い煉瓦構造物は、新しい工法の鉄筋コンクリートに急速に替わっていったようですね。
ところで「、へびうり」は食べれるんですか?