富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈リバイバル・アーカイブス〉富田林の古墳~美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)古墳群

2022年05月23日 | 古墳

〈リバイバル・アーカイブス〉2024.6.3~6.17

原本:2022年5月23日

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新しいシリーズを加えました。「古墳」です。

意外に知られていませんが、富田林の古墳は4世紀後半前期から7世紀初頭と二百年以上にわたる間、連綿と古墳が造り続けられてきました。

 

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百舌鳥古墳群の築造期間は100年間、古市古墳群の築造期間は200年間ですが、富田林市域の古墳の築造期間はなんと200年を超えています。

築造されてきた期間の長さでは世界遺産以上! これはすごいことではないのかなと思います。

 

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富田林市域には百舌鳥古市古墳群が大王家の墓域として造られ始めた津堂城山古墳の頃の、4世紀後半の前方後円墳を含む古墳がたくさんあります。

鍋塚古墳(円墳・消滅)製方形板革綴短甲、鉄鏃、刀子、銅鏡、石釧 25m

美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)一号墳(前方後円墳、現存)58m

真名井古墳(前方後円墳・消滅)三角縁三神三獣鏡出土 60m 

板持三号墳(前方後円墳、現存)仿製重圏文鏡 40m 

廿山古墳(前方後円墳 現存)定角有篦被式銅鏃、鏡 48m

廿山北古墳(方墳 現存)4C後半か? 32m

宮林古墳(方墳 消滅)鉄剣、鉄錐、鉄鏃など 4C後半~5C初頭 15m

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複数の被葬者集団による地域性前方後円墳によるヤマト王権との協力体制が注目されます。

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このほか、終末期古墳で独特の省略形、横口式石槨のもつ方墳 お亀石古墳の壁面保護の為に平瓦が近くのオガンジ瓦窯で焼かれ、新堂廃寺も使われていたこと。これは当時の中国風水の影響を大きく受け方墳ということで、後の8世紀中ごろの旧石川郡の広大な正方位条里地割の施行から鑑みて、蘇我氏の存在を強く感じます。

また、6世紀後半の後期古墳 廿山南古墳の銀箔を挟んだ7連重層ガラス管はシルクロードを渡って、西アジアか中央アジアからもたらされたことが解明されています。

このように、連綿と築かれた富田林市域の古墳は、世界遺産の百舌鳥古市古墳群の影に隠れて目立たないものの、百舌鳥古市古墳群より長きにわたって、連綿とした在地の複数の地方豪族の存在を強く感じさせるものではないでしょうか。

今後は順番にここの古墳や古墳群の特徴とその重要性を考えていきたいと思います。

 

今回は古墳時代前期(4世紀後半)の古墳、美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)一号墳を含む古墳群についてご紹介します。

美具久留御魂神社 富田林市宮町3丁目

歴史は古く、式内社であり、社伝によれば紀元前88年、美具久留御魂大神(大国主神)を主祭神とし、「大国主命の荒御魂」鎮めるために崇神天皇の用命で創建されたと言われる由緒ある神社です。

水との関係が深く、江戸時代は「水分宮(みくまりぐう)」と呼ばれていたようです。

 

鳥居を過ぎてまず下拝殿、急な階段を登り切ると上拝殿があり、本殿と摂社があります。

山自体がご神体の神奈備山「真名井ケ原」、さらに左脇から山道を上がっていき一番高いところに「奥神籬(おくひもろぎ)」があります。

ここは実は美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)一号墳が4世紀後半に築造された前期古墳にあたり、60m級の前方後円墳です。

 

そして、ここには4つの古墳があります。

 

標高103mの一番高いところが一号墳の後円部に当たります。その周りに3つの後期古墳(円墳)が取り囲むように現存します。

 

一号墳は神域を示す注連縄(しめなわ)で古墳全体が囲まれています。

 

「奥神籬」の石碑のあるところが後円部の墳丘頂。平らな部分は約10m余り。ここ以外は自然林で覆われています。

円筒埴輪、朝顔形埴輪などが調査時に採取されており墳丘には埴輪の配列あったとされていますが現認できません。また、後円部は2段築成と推定されていますがこれも現認できませんでした。1930年頃に付近で銅鏡1面が出土したといいますが、遺物の詳細は不明です。内部構造は未調査。

 

後方部の盛り上がりが前方部と後方部の中間からは2.5m程度の比高。後円部の直径は30mでその比高は5m程度でした。前方長は28mあり、前期の前方後円墳としては山の頂上部にありながら、比較的どっしりとしたきれいな形の古墳だと思います。

 

南側30mにある四号墳(円墳)の高まり。

 

この辺かな? 墳丘としては確認できませんでした。

 

一号墳から西へ70mの三号墳(円墳)。ここは墳丘の高まりがよく分かります。

 

北へ100mの二号墳(円墳)。ここも明らかに人為的に盛り上げたような感じです。一号墳以外は後期古墳。一号墳を取り囲むように分布します。

この周辺は北部の鍋塚古墳から尾根沿いに美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)一号墳、さらに南側に真名井古墳と前期古墳が続きます。

どうもヤマト王権と関係を持つ、このあたりを支配していた在地の豪族の首長の墓の可能性があると思われます。

 

一号墳から北へ100m位の所に初代「なみだれの梅」の碑があります。

 

太陽の道のお話。

 

東には雄大な二上山が見えます。

 

美具久留御魂神社 神奈備山(裏山)一号墳の完成に喜ぶ在地豪族とその庶民

撮影日:2022年5月16日

2022年5月23日  ( HN:アブラコウモリH )

 

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