2025年4月28日 13:37 藤井寺市藤井寺 西国観音巡礼五番札所 葛井寺
午後から本降りの雨。
長く尾を引くみごとな藤。
足元が濡れるような本降りの雨でも参拝者が絶えません。
線香の「紫の雲」。
西国五番札所 葛井寺の御詠歌は「まいるより 頼みをかくる 葛井寺(ふじいでら) 花のうてなに 紫の雲」。
4月28日と少し遅い目の時期におうかがいしましたが、開花がすこし遅れているようで見ごたえがありました。
例年まず紫の藤は先に咲き追って白い藤が咲くのですが、今年はもう白い藤も見事に咲いています。
今年の開花は例年より遅い目です。現在すこし紫の藤の花が落下し始めた感じです。
ほぼ先の方まで開花しています。
アーチの藤もちょうど咲いています。
それにしてもみごとな藤。境内いっぱいに種類によって時期をずらしながら咲いています。
遅れて咲く藤も尾の先の方まで咲き始めています。
2段に重なって豪華に見えます。
葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建されたと伝わります。葛井氏の前身である白猪氏は朝廷から葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜ります。
日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族は大きく関わっており、葛井氏は新しい文化を多くもたらします。その実績が認められ広大な土地を賜り、その地に寺を建立し葛井寺の基が始まったとされます。(「葛井寺」HPより)
そして、永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、伽藍の大修理に尽力します。その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。
藤井安基は元々は誰も手が付けられない乱暴者でしたが、急死した後、閻魔大王に地獄に落とされるところを藤井寺の観音様に救われ蘇生します。その後堂宇を大々的に再興し葛井寺の為に命をかけたと言われています。
奈良時代には「葛」と「藤」は混用されていたとされますが、葛井寺の建立には2人の「ふじいさん」が大きく関わり今の姿になります。
(「葛井寺」HPより)
楠氏ゆかりの旗掛の松と藤の花。
紫の藤は葉っぱを広げ、つるを伸ばしています。
白い藤も満開状態で、一番見応えのある時期でした。
藤の甘い香りが漂います。
「藤まつり」はすでに終わっているようでした。
お寺によく似合う、藤の花ですね。
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